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◆学校の要塞化 フィリピンで見た優しさ

曽野綾子 平成17年3月4日(金) 産経新聞

 小学校に侵入して、何の動機も深い理由もなく、児童や先生を殺傷する人が現れるようになってから、小学校の防備が厳重になった。

 刺股(さすまた)と呼ばれる昔風の、武器とも言えない道具が一本一万円以上もして、しかもそれが生産が追いつかないほど売れているという。しかしそれで防備が完璧(かんぺき)になるわけではない。

 夫は、猫かわいがりに育てられた色が白い子供で、学校でばかにされることが多かった。相手にすればいじめがいがあったのだろう。ところが小学校四年生のころから突如として「男性ホルモンが出るような感じがして」(当人の言葉)悪口を言う相手は「取り敢えず殴っておこう」と思うようになった。それで多分人並みな悪童として無思慮な時期を越したのだろう。

 息子は自ら「下校拒否症」と言うほど学校が好きで、朝は開門と同時に校庭に入り、カケッコに打ち込んだ。池の金魚を釣り、煙突に上り、コロッケを買い食いして先生にしかられる子供時代だった。

 孫は別の土地で育ったのでよくわからないが、お母さんのおかげで小学校一年生から少林寺拳法の道場に通った。小学校六年生で初段を取ったが、闘わずしてとにかく逃げるが勝ちと思う冷静なタイプではないか、と私は見ている。

 しかし子供たちにも身を守る技術をつけさせることは大切だ。刃物を持った男に立ち向かうことはできないだろうが、指一本取って相手を動けなくするか、隙(すき)を突いて逃げる技術は覚えられるかもしれない。勉強ばかりして身を守れないのは、どこかアンバランスである。しかし教育の不備がここへ来ていよいよ明らかになったという人もいる。

 犯人の少年に、生きる目的を与えられなかった家庭や学校や社会が病んでいるのである。人を殺すくらいなら「死ぬ気でやりたいこと」が他にあってもよかったのだ。

 貧困な国や社会では、家族と自分が生きるのにせいいっぱいだと知っているから、家族を生かすために盗みや売春をするケースはあっても、無目的な殺人などしない。何とか一生懸命働いて、さしあたり自分が空腹から逃れ、親や弟妹にも食べさせることが、確固とした目的になっているのである。

 日本の刑務所にいればテレビも見られ、重労働の水くみをしなくても雑居房の水道の栓からさえ清潔な水が飲め、食事も十分に出される。しかしこういう保証のない国では、出所するや包丁を手に入れ再び人を刺して刑務所に舞い戻る道を計画したりしないだろう。

 日本の学校は侵入者を恐れて、ますます要塞(ようさい)化を進める。私が訪ねた質素なフィリピンの田舎の小学校では入り口に粗末な板をうちつけた看板があり、土地の言葉で「どうぞおはいりください」と書いてあった。その優しさが忘れられない。





※曽野綾子さんの意見に特に同調するわけではないし、単に昔帰りがいいとも思っていないのだが、参考のために載せてみた。 

いつの時代もそうだが、発展するまでは問題がないことが多いのだが、その後をいかに維持するかが非常に難しい。ご多分に漏れず、我が国も経済大国になったあと、大混乱に見舞われている。これを解決する道は、一人一人が智慧を絞り出すくらい考え抜くことだろう。 

我が国の文化の中には、女性的なるものが連綿と流れていたが、明治以降、急速に我が国に流れ込んできた、個人崇拝主義によって、跡形もなく消失する寸前である。自由主義や個人主義がすべだめと言うわけではなく、一面の真理ではあると思うが、それによって失われた価値はあまりにも大きいと思っている。

自由主義が台頭して以来、神というものが急速に、その存在価値を失っていったことは事実であり、個人主義が蔓延した結果、この地上は繁栄したかもしれないが、人々の心の中の「神の国」が廃れたことは事実である。

その結果、日本人が持っていた女性的なる「優雅さ」はなくなり、「奥ゆかしさ」もなくなった。権利を主張し、自我を主張し、自分の意見を男勝りにぎゃあぎゃあ言う女性の、なんと多くなったことだろうか。


自由主義の嵐の中で、ギスギスした男性論理が時代を覆ったときに、わざわざ女性たちはその戦場に参戦したがり、本来であれば唯一の安らぎの場所であるはずの、家庭や女性がいなくなり、その心休まる場所がなくなった。

「優雅」であるというのは女性だけではなく、男性にとっても美徳であったが、分刻みのスケジュールの中で、他人との競争の中に埋没する中において、どこか遠くに消え去っていった。

「優雅さ」や「奥ゆかしさ」の奥にあるものはなんだろうか。それはにじみ出す徳性であり、静けさではないだろうか。この静けさを取り戻すには、どうすればいいのだろうか。

それは、一つには、簡素な生活を取り戻すということだろう。大和の精神の奥にあるものは、簡素な美であったはずで、その為には、欲を出しすぎないこと、世間との比較において、優劣を考えすぎないことだろう。

日本ほど自然に恵まれ、大自然に囲まれた国はなく、自然の四季と山の美しさ、海や川の美しさ、こうした風景の美しさにの中に、実は私たち日本人の心情が吐露されていると思うし、この日本の自然の中にある、美しさや優しさを体現することが、今の日本人にとって最も大事なことなのではないだろうか。

もうすぐ春だ。私自身もこれらの事を良く振り返って、日本の自然の美をもう一度味わいながら、あまり焦らず、もう少し「優雅」で「奥ゆかしい」精神を保ちながらの活動が出来るよう、一日一日を大事にしていきたいと思う。

その様な精神を日本人の多くが持つならば、ほとんど役に立たないであろう、刺股(さすまた)を使う訓練などしなくとも、学校の安全は守られると思うし、経済を発展させながらも、秩序ある安定した社会を作り出せると思う。
by sakura4987 | 2006-06-21 16:56

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