◆韓国併合
平成16年10月2日(土)産経新聞
併合を「植民地化」と混同するな
今日の日本では、韓国併合・朝鮮統治を、「韓国の植民地化」「植民地支配」と意図的に“混同”する議論が横行している。
韓国併合を専門とする研究者も、「日韓併合は日本による朝鮮の植民地化であり、日本の侵略の帰結である」、「日本の朝鮮支配は国際的に承認された植民地である」と、併合を「植民地化」と同一視することに何のためらいも見せていない。
現行教科書も同様で、まず例外なく「韓国併合」と「韓国の植民地化」を併記し、両者を同じ意味に用いている。
だが、おかしいではないか。日本は韓国を併合(annex)して一つの国とはしたが、欧米流の「植民地(colony)」にしたのではない。両者には天と地ほどの差がある。
朝鮮総督府司計課長・財務局長を歴任した水田直昌は、「併合は…いわゆる植民地視する意向の下に行なわれたものでないのみならず、積極的には…新旧同胞を同一レベルに到達させることを究極の目的とした」(『総督府時代の財政』)、「少なくとも私達総督府官吏としてその統治に関与してきたものは…『朝鮮は日本に従属する植民地』であったなどとは全く考えていなかった」(『統監府時代の財政』)と証言しているし、戦前の日韓関係史研究の第一人者であった田保橋潔も、「朝鮮は日本の植民地ではありません」(『朝鮮統治史論稿』)と断言している。
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なぜ今どきの研究者や教科書執筆者たちは、「併合」を「植民地化」と、わざわざ言い換えなければ気がすまないのか。「支配」と「搾取」を連想させる「植民地」という言葉を使うことで、朝鮮統治をマイナスに評価しようとする底意がそこには明確にあるように、筆者には思われてならないのである。
ロシアの新聞ジュルナル・ド・サン・ペテルスブール紙は、韓国併合条約調印直後の一九一〇年八月二十六日付で、次のような論評を掲げている。
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「フランスがアルザス=ロレーヌを失って以来、またとりわけボスニアとヘルツェゴビナがハプスブルク王国に組み込まれて以来、『併合』という言葉はおぞましい意味を持ち、国家間の強盗と同義語になった。だが、朝鮮を日本が掌握することにはこのような意味合いを持たせることはできず、むしろアルジェリアのフランスへの併合やイギリスによるエジプトの占領、カフカスあるいはヒヴァ汗国のロシアへの主権移行などがもたらした恩恵の記憶を喚起するものだ」
「朝鮮は、日本の保護統治下に入って以来、夢のような変化の道を歩んでいる。見る見るうちに、広大な鉄道網や電信電話網が敷かれた。公共建築物や工場が立ち並び、日増しに増え続けている子供たちは学校に通っている。農業も盛んになっている。輸出は五年で三倍以上になった。財政は、輝かんばかりの状態にある。港は活気に満ちている。司法制度が改革され、裁判の手続きもヨーロッパの裁判所に決して引けをとらない。…この観点に立てば、朝鮮の日本への併合は極東の繁栄と発展の新たな要素となるだろう」(国際ニュース事典『外国新聞に見る日本』第四巻)。
他国を「取る」ことが“善”とされた時代もある、と筆者は先に論じたが、右の論評は、他国の「併合」が「恩恵の記憶」(善のイメージ)から「国家間の強盗」(悪のイメージ)へと、次第に移ろいつつあった時代の雰囲気をうまくとらえていると思う。
韓国併合は、そうした行為がなおも“善”とみなされていた恐らく最後の時代に、韓国の主権者であった高宗皇帝をも含む、全世界の承認の下になされたものである。
「併合」という過酷な現実に、当初は抵抗もあり弾圧もあったが、その根底に流れていた「日韓合邦」の理想は、“一視同仁(いっしどうじん)”と謳(うた)われた日本の統治を、「侵略」や「植民地」といった今風の概念では決して包摂し得ぬものにした。
やがてはそれが韓国近代化の地ならしをし、韓国民の幸福にも繋(つな)がっていくのだが、そういう事実を現代人は忘れてしまっている。
※この様な記事を読むたびに、現行の歴史教科書に腹が立つ。教育の原点は、生徒に「本当の事を教えること」であるはずだ。ところが今の教科書は、嘘を教えている。これで教育が成り立つはずがない。「新しい歴史教科書」を阻むのが、日教組や、同和や、過激派であることを歴史にとどめ、日本国中に広めよう。加えて、教育委員会はもう必要ないことも確認しておこう。政治的イデオロギーの教育現場への介入を阻止していない。する気もない。

