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◆誤解だらけの英語教育② 学習院大名誉教授●篠沢秀夫




 発音はカタカナ風である。大正末期からはますますそうなる。英語を

習ったことのない人の方が圧倒的に多かった明治時代、習うには現地で、

日本でなら英米人から習うしかなかったころには、耳から聞いた音が日

本語化した。「メリケン粉」の「メリケン」は昭和になってから綴りを

カタカナ式に読むやりかただと「アメリカン」だ。「ヘボン式ローマ字」

を発明したヘボン博士の名は、昭和、それも戦後に有名な米国映画女優

の名と同じだが、戦後は綴りをベタ読みして「ヘップバーン」と表記し

ている。PとBが並んでいるが、Pで唇をつぐみ、Bで唇を破裂させるので、

耳にはBしか聞こえない。映画評論家の淀川氏が戦後渡米、

 ハリウッドで「キヤサリーン・ヘップバーンに会いたい」と言ったら、

何度も「フー?」と聞かれたと語った。「ヘボン」なら一発で通じたろ

う。



 旧制高校に進む率は低く、今日の大学r院並みだったろう。そこでは第

二語学が始まる。それは戦後、旧制高校が新制大学の教養課程に転換し

た時期までも、圧倒的にドイツ語だった。後はフランス語だが、新制大

学初期で二対一以上の差だ った。数年で逆転する。それがヨーロッパ

での姿に近い。日本でのドイツ偏向は前述のように明治三年の「晋仏戦

争」の勝利によるドイツ帝国形成の影響による。



 旧制高校の文科には第一語学で区別があった。甲類は英語、乙類はド

イツ語、丙類はフランス語。明治時代にだんだんと高校は増え、宮内省

の学習院高等科の他に、文部省立で八校できたが、フランス語第一語学

の文科丙類(文丙、プンペイ)があるのは「一高、三高、学習院」だけ

だった。一高は今の東大の教養課程、三高は京大の教養課程。



 旧制高校生、戦後の新制大学生の多くが学んだドイツ語の発音はカタ

カナ式であった。やはり、内容読み取りが中心だった。文科でも理科で

も明治時代の高校生はドイツ哲学に関心が深かった。「メツチェン(女

の子)」など学生俗語はドイツ語からできた。戦後も「アルバイト(内

職)」、「内ゲバ(内部闘争)」の元の「ゲバルト(暴力)」など続く。



 そして学生時代に先輩から、教師になっては学生から何度となく聞か

された「神話」がある。「発音」についてである。「フランス語は読ま

ない字があるからハツオンが難しい。ドイツ語は書いてある字を全部読

むから易しい」と。まず「文字の読み取り」と「発音」を混同している。

英語でも、前述のように、子音が二っ並ぶと「ヘボン」と「ヘップバー

ン」という問題が起こる。ドイツ語では子音が三っ並ぶのはザラだ。日

本語は「子音+母音」の音節を並べる仮名文字、「音節文字」で表記さ

れ、まさにそれをその通り読み取れば、発音にも問題はない。まるで違

う。日本語では違う子音が二っ並ぶことはまずない。



 フランスでは鉄道の駅は文化財を破壊しないように町外れに設置され

る伝統がある。ドイツの町には「中央駅」はある。「ハウプトhaupt(主

な)+バーンbahn(道、鉄道の略)+ホフhof(館)」と、漢字熟語のよ

うに意味の要素を並べると覚え易い。ただそれを考えながら言うと、カ

タカナ式に「ハウプトバーンホフ」と並べてしまう。学生時代、パリ留

学中にドイツ旅行をして、よく「中央駅」近くの安いホテルに泊まった。

市内を歩いてから戻るとき道に迷って、通行人に『中央駅はどこですか

~』と尋ねると、『何?』と聞かれてしまう。何度か言ったあと、ノー

トに書いて示すと、『ああ』と分かって『ハバホ』と叫び、教えてくれ

た。以後、『ハバホはどこ?』と聞くと一発で通じる。のちに原理が分

かった。PTBと子音が三つ並ぶと、Pで唇を閉じ(準備)、Tを口の中で構

えだけし(持続)、Bで唇を破裂させる(実施)。聞こえるのはBだけ。

 今日でもドイツ語の授業は、単語の構成部分の意味を考えながらカタ

カナ式に並べているのではっ.この点、フランス語の授業の発音はまだ

ましか。フランス語は並ぶ子音は二つまでで、それも「実施」「実施」

と並ぶ。ドイツ語や英語のように咬み合いにならない。そして「単語の

終わりに書いてある子音字は読まない」から、同じ綴りで英語読みだと

「パリス」になる首府の名は「パリ」だ。最後の音節「リ」は日本語と

同じ「子音+母音」。この形の単語が圧倒的に多い。日本人には発音し

易い。「神話」は逆を言っている。



●消えた「英語第二公用語論」



 さて、さまざまな誤解を正した上で、いよいよ英語教育の問題に入ろ

う。今や米国と日本は後期中等教育(高校、ハイスクール)への進学率

が九〇%を越え、世界最高である。多くの人が六年間英語を学び、もは

や「西洋に学ぶため内容を読む」という欲求はない。国際交流は盛んと

なり、海外旅行のチャンスも多い。しかし通じない!

 そしてアジア・アフリカの国々の政治家が英語でスピーチをするのを

見ると、「日本の政治家もああ在るべきだ」と騒ぐマスコミ人が出て、

人の心を煽る。



 それが数年前、「英語を第二公式用語にしよう」という論となった。

「放っておこう、あんまり馬鹿げてるから自滅するよ」と小生が予言し

た通り、「第二公式用語論」は消えた。この論があまりに騒ぎ立てられ

ると必ず表に出るのは、もと米英の植民地だった国の政治家が英語でス

ピーチするのは当たり前、という事実である。宗主国は被支配民の学校

教育に熱心でなかったし、まして中等教育は無かったし、被支配民の上

流者は宗主国で教育を受けた。英語である。この問題はもう一歩踏み込

んで考えて置くべきだ。十九世紀を通じて、米英の植民地での現地語は、

名前が一つの場合でも、バラバラの方言のままで文字化も遅く、西洋で

発達した化学、代数、幾何、天文学などの用語は無かった。そういう程

度まで学校へ行く人は宗主国の学校へ行った。そして問題は今日でも、

独立して自国の中学校を作っても、日常の現地語で授業する試みがうま

く行かない。近々、一度現地語にした理科と数学について、英語による

授業に戻った国があると新聞で見た。



 偉大なるかな、明治の先輩!「酸素」「窒素」など、西洋の学術用語

を、古代から身に付けた漢字で訳し、たちまち新しい標準日本語を実現

し、「西洋に学んだ」学問を自国語で、中学校で、やがて高等学校、大

学でまで教えることを成功させた。十九世紀末、二十世紀初頭では中国

(清帝国)でもそれは実現していなかった。我々は当たり前と思いがち

だが、これはアジア・アフリカで唯一の成功だったのだ。



 これで、「英語でスピーチできるからアジアの政治家は偉い」という

のは誤解であると判明したろう。もう一つの誤解は、「日本の英語授業

は文法ばかりだから喋れるようにならない」というタイプだ。一時「学

校で教えない実用英語」の騒ぎが流行した。そのタイプの本の新聞広告

に、「公衆トイレに入って、ドアをノックされたらどう言うか」という

のがあった。「サム・ワン・イン」と答えろ、と。一見してわかった。

外国語会話の学習を、「日常定型表現の詰め込み」と混同する発想法で

ある。それしか知らず、文のレベルで自分の考えをまとめられない人間

は、国際会議の席に座れようか。しかも覚えるだけで定型表現を詰め込

んだ人間は、それをふと忘れると、何も言えなくなる。公衆トイレに座

っていてノックされて、「何て言うんだっけ?」と考えていたら、鍵が

壊れていたら(日本よりよく壊れている)開けられてしまう!「サム・

ワン・イン」は実用的なようで、何の役にも立たない。現場の実用は咳

払いである。入っていることが分かればよい。



 もう一つ、これはむしろ新しい流行だが、「小さい時から外国語を習

うと発音がいい」という思い込みがある。小学校での英語教育論の支え

の一つであろう。もちろん、大脳の言語中枢が固定するのは八歳から十

歳と言われているから、それ以前にネイティヴ・スピーカーに習えば、

それこそ二つ日の母語として頭に入る。(母語は本来は「ラテン語はフ

ランス語の母語」のような意味だつたが今は公的には「母国語」の意味。

「台湾の母国語」と言うと「台湾は国ではない」と怒る人がいるからこ

うなった)。だがそれには大量に多時間、その言語の音を浴びねはなる

まい。技術的、制度的に学校では不可能であろう。



 近頃「バイリングワル」を「外国語達者」の意味に使うことが普通だ

が、英語本来、また同じ事のフランス語「ビラング」は「二重言語者」

の意味だ。外国で、家庭では母語、幼稚園や学校では現地語で育った人、

または二言語国家で、Aの言語の家庭、Bの言語の地域で育った人である。

厳密には大脳に母語が二つ入っている人だが、親の赴任でアメリカにい

た、といった「帰国子女」ではそこまで行っているのは少ない。帰国子

女特別入試は東大を始め多くの大学にある。これを「外国語が上手な貴

重な人材」と英文科などでは大事にする傾向があるが、本来これは単に

救済処置だ。面接試験で「フー・イズ・ザ・ブラザー・オブ・ミナモト

 ノ ヨリトモ?」と聞くことにしている。まず分からない。ひどいの

は頼朝も知らず、「ミズモト・フー」と怪訝な顔をしたりする。それで

いて「フリーダムとリバティの違いを述べよ」と聞いても答えられない。

日本文化もアメリカ文化も中途半端。もちろん、小学校での英語教育を

推進したい人々も、英語の時間を無暗に増やして帰国子女のような両文

化中途半端人間で全国を埋める気はなかろう。

 要は、明治以来の「西洋に学ぶための内容中心の学習」から、英語教

育については「意思疎通を可能にする」ことを目的に変更すればいいの

だ。



●意思疎通を可能にする教育へ



 それについては、水の流れを一気に変えるダムを作ればいい。いや、

ダムを作り変えるのだ。ダムはあった。戦後、今の学制が普及して、大

学が「マンモス化」し、今日の少子化では、ひどく入り易くなっている

が、入試の英語試験について、使用単語の範囲が限定されたことはない。

まだ明治の「西洋に学ぶために内容を読む」考えが働いている。入試問

題は英文和訳が中心である。日常使わないどんな単語が出るか分からな

い。電車の中で単語帳をめくりながら勉強している受験生の姿だ。しか

し単語は、書いてあるにせよ耳から聞くにせよ、文の中にあるのを認識

して身につけるのがいいのだ。一方、「ゆとりの学習」への動きの中で、

何度も中学高校で習う英語の単語数は減って来ている。細かい資料はな

いが、二千語を割ったと聞いた。それはいずれ、何らかの基準で、使用

頻度順位の高い単語を選んで教科書作成の規格としているのだろう。入

試問題はその単語数の範囲、せいぜい、使用頻度順位三千語まで、と何

らかの形で規定すればいいのだ。一番簡単なのは文部科学省による法制

化、政令による指定である。大学協議会の申し合わせでもよい。そして

英文和訳も日常的な内容とし、易しいテーマを指示して簡単な内容の自

己表現をさせるなど、コミュニケーションを主体とする問題とすればよ

い。



 ダムの構造が変われば、水の流れは変わる。中学の始めから英語の授

業が身につく。

「文法ばかりだから日本の英語教育はダメだ」という批判は、一面で正

しいが、それを文法無視に結び付けてはならない。中学三年から自分で

アテネ.フランセに行ってフランス人教師から「直接教授法」、つまり

フランス語でフランス語を習ったが、始めは「手は五本の指を持つ」な

ど、手真似付きのことばかりだが、一年もすると、文の構造を習い、文

法の規則を請じて言わされた。「複合時制における過去分詞は前方にあ

る直接目的補語に性数で一致する」! フランス語で話す。文法に触れ

てはならないと思うな。



 最後に「英語の発音のよさ」についての誤解を解こう。厳密な意味で

の標準語があって、発音にも基準があり、それを徹底して義務教育で教

え、かなりの高レベルで普及を実現しているのは、世界で日本とフラン

スだけだ、という文化的事実が日本では知られていない。階級感の強い

英国では、階級によって発音や言葉遣いが違い、中産階級下部出身の女

子が秀才でケンブリッジ大学の寮に来ていると、アッパー・ミドルやジ

ェントルマン階級出身の女子に発音をからかわれ、毎年一人は自殺する

と聞いた。米国では中西部風の発音が田舎風で親しみがあり、大統領選

挙に強いという。英国のキングス・イングリッシュに近いと自負する東

部の発音だと、民衆に反感を生む。WASP「ワスプ」、つまりホワイト、

アングロ・サクソン、プロテスタントが米国での上層部となる条件と言

われるが、ケネディー大統領は、ホワイト、白人ではあったが、先祖は

アイルランド出身、つまりケルト人で、カトリックだった。そして東部

出身の堅苦しい発音。殺されてしまった。フランスでは「ボン.フラン

セ」良いフランス語、標準語の発音ができない人は県会議員にもなれな

い。「いや小学校も卒業できませんよ」と、同僚のフランス人教授が笑

っていた。



 その意味では「小学校から英語をやっていれば発音がよくなる」とい

う思い込みには、枠を掛けなければならない。問題は単語のアクセント

の位置なのだ。細かい一つ一つの子音、母音の音などは地方によって変

わっていても通じるし、元植民地の各国でそれぞれに癖があっても通じ

る。「ビシーときれいな英語」というのは、想像に過ぎない。

 ロンドンの高級住宅街、日本からの各社の支店長の社宅がある地域へ、

タクシーで行こうと、空港や駅から乗って「ウェスト・ケンジントン」

と地名を言うと、通じない。ロンドンのタクシーは行き先が分からない

と発車しない。赴任者自身も来訪者も日本人は苦労した。これについて

その地に住むことの長い先輩が皆にうまい手を教えたという話を聞いた。

「上杉謙信」と言えばいいのだ! 一発で通じる。



 それを思えば、小学校の英語とは、週一度くらい、ネイティブ.スピ

ーカーと遊ぶ程度が一番いいのではないか。小生が中学で英語を習い出

す前、「マッカーサー元帥」は「ジェネラル・マッカーサー」と言って

もまず通じない、「蛇の目傘」ジャノメガサと言えば一発で通じると通

訳をしているオジサンから聞いて、アメリカ兵を見ると「蛇の目傘!」

と叫んで、喜ばしていた。その程度でいいのでは。問題はアクセントの

位置なのだから。
by sakura4987 | 2006-06-22 04:25

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


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