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◆ここまできた家庭科教科書のフェミニズム汚染


 今春から高校で使用されている家庭科教科書に目を通してみて暗然とした。フェミニズムとジェンダーフリーのおびただしい記述。何も知らない人にこれらの教科書の表紙を隠して読ませたら「フェミニズムの本」といふ答へが間違いなく返つてくるだらう。

 家庭と家族を敵視する人間を量産するフェミニズムの洗脳文書ーー家庭科教科書を一言で表現するとかういふことにならうか。

 たしかに育児や料理、被服についての記載も存在する。しかし実習教材の削減ぶりは著しく、実習はほとんど付けたりの印象を免れない。家庭科は家事・家政を教へる教科から、「家事は女性に押し付けられた無意味な仕事」といふイデオロギーを吹き込む教科へと変貌した感がある。

 家事ばかりではない。育児も、老親の介護も、女だけに押しつけるな、「社会化」せよといふ調子で書かれてゐる。こんな教科書で学ばされた高校生が、家事や結婚をうとましく感じない方が不思議である。

 私は現行の高校家庭科教科書をフェミニズムとジェンダーフリーの過激度に応じて格付けしてみた。結果は次のやうになつた。

第一位 開隆堂『家庭総合』
第二位 一橋出版『これからの家庭基礎』
第三位 実教出版『家庭基礎21』
第四位 実教出版『家庭基礎』『家庭総合』
第五位 教育図書『家庭総合』

 家庭基礎は二単位、家庭総合は四単位の科目で、実教出版は計三種類の教科書を出してゐる。本稿では、ワーストワンに輝いた?開隆堂の教科書を読んでみることにしたい。各社の教科書を断片的に紹介するよりも、一冊まるごと紹介する方がフェミニズム汚染の実態がよく分かるはずだ。

 開隆堂の『家庭総合』を開くと、まづ扉のグラビアが目に飛び込んでくる。若い女がヘルメットをかぶつて工事現場で働く写真。それから若い男が赤ん坊にミルクを与へてゐる写真。説明文はかうだ。「これまでの固定的な性別役割分業意識を見直すとともに、多様な生き方を認め合い、男女の平等・共生・自立のために、さまざまな取り組みが行われている」。

 扉ページにはこのほか、「男女共同参画社会」のコラムや男女共同参画社会基本法の概要、世界各国の女性議員の比率のグラフ、世界女性会議の年表まで満載。『家庭総合』で伝へたいメッセージは男女共同参画=ジェンダーフリーであることが明らかになる。 そして本文をめくると、早速ジェンダーフリーの講釈が始まる。

 《長い間、家庭のことは、女性が受けもつとされてきました。しかし、今、世界中が、性別で役割を固定することなく、自らの意思のもとに、家庭にも祉会にも参画する社会をめざして取り組みを始めています。性に関係なく、だれもが家族・地域・祉会に参画する視点から学びます》

 家庭科は、「性別で役割を固定することなく」「性に関係なく」、男女共同参画の視点から学ぶ必要があると宣言する。

 その先には早速、フェミニズムの好きなセックスの話題が登場する。

 《性には子孫を残すための生殖としての性と、体と心のふれあいを深め合うコミュニケーションとしての性がある。長い人生の中では、むしろ後者の性が、特定の愛する人とのかかわりのなかで大きな意味をもつ》

 子供を産むための性をなんて大した意味はないと言ひつつ、「コミュニケーションとしての性」を楽しめとけしかける。まるで『ラブ&ボディ』だ。

 別のページには、リプロダクティブ・ヘルス・ライツの説明もある。

 《女性の性と生殖に関する健康のことをリプロダクティブ・ヘルスという。子どもを生むか生まないか、いつ何人生むかなどの生殖に関する女性の意思決定権をリプロダクティブ・ライツという》

 「セクシュアリティ」について、コラムは言ふ。

 《人間のセクシュアリティ(性意識や性行動)のあらわれ方は、男女によって、また個人によって、その差は非常に大きく、また多様であり、自分が他の人と違っていても、不思議ではない。人間には、両性の中間的な性の人や、身体的性と心理的性、社会的性が異なる(性同一性障害)人もいる。また、同性カップルの存在に対する社会的な理解も広がりつつある》

 フェミニズムの得意な同性愛と性同一性障害のお話。同性カップルもOKなのよと通常の結婚を相対化するいつもの手口だ。

 次のページには「ジェンダーに気づく」といふ項目があり、ここからジェンダーフリーの本題に入つてくる。

 《自分の将来の生活や進路、仕事を思い描くとき、自分のしたいことが、これまで耳にしていた「女らしさ」「男らしさ」と一致しないと感じたことはないだろうか》

 性同一性障害の話と早合点してはいけない。

 《人間はもって生まれた性別(sex)の上に、育てられる過程で、「女らしさ」「男らしさ」を周囲から期待され、それを意識する・しないにかかわらず、祉会的・文化的につくられた性差や性別意識を身につけていく。これをジェンダー(gender)という。たとえば「男なら泣くな」と言われて感情を抑えたり、個人差や得意・不得意にかかわらず、「男なら力仕事」「女なら家事」などと強制されたりするのがこれに当たる。しかし、自分とは何かを真剣に考えるとき、こうした固定的なジェンダーの枠組みに疑問をもったり不白由を感じたりするのは、ごく自然なことである。固定的なジェン
ダー(ジェンダー・バイアス)にとらわれず、そこから白由(ジェンダー・フリー)になる生き方について考えてみよう》

 フェミニズムのテキストから引き写したと思はれるやうなジェンダーフリーの記述が長々と続く。私が「フェミニズムの洗脳文書」と呼ぶのも決して誇張ではないことが理解していただけると思ふ。

 さて、その後には「性別役割分棄を見直す」といふ見出しが踊る。

 《日本では「男は仕事、女は家庭」と、性別で役割を固定してみる割合は、若い層を中心に減ってきている。しかし、諸外国に比べると賛成する人の割合は高く、性別役割分業の意識はいまだ根強い。(中略)1979年に国連で採扶され1985年に日本も批准した女子差別撤廃条約や1995年の第4回世界女性会議で採択された北京宣言は、あらゆる分野の男女の平等な権利と家族的責任の男女の公平な分担を規定している。性別役割分業の撤廃は21世紀の世界共通の課題といえる》

 「性別役割分業」は「夫婦関係」の項目でもしつこく登場する。

 《夫婦はたがいの協力で家庭を築いていく対等な間柄である。しかし、「男は仕事、女は家事・育児」という性別役割分業の定着は、実質的な男性優位の状況を生みだした。(中略)収入のある人と収入のない人の関係は、家族のなかで力(権力)をもつ人と、もたない人を生じさせる。ドメスティック・バイオレンス(domestic violence)など今日的問題となっている現象は、家族のなかの力関係が反映されていると考えることもできる》

 権力をもつ人ともたない人の力関係がドメスティック・バイオレンスを生み出すといふラディカル・フェミニズムの教義。結婚に恐怖を抱かせる記述には事欠かない。

 「母子密着」も、次のやうに性別役割分業の観点から語られる。

 《高度経済成長期以降、性別役割分業が一般的になるなかで、家庭での父親不在と母子密着という問題が出現した。子どもの数が少なくなり、母親はその子どもたちに精一杯の愛情をかけ、子どもを生きがいにするが、一方で社会から孤立し、いらだちをつのらせる。父親は仕事が多忙で家族と接する時間がもてない。このような状況が、ともすれば親から子どもへの過干渉や過保護となり、子どもの自立をさまたげていると指摘されている》

 民法改正の動きにも一項が割かれてゐる。

 《現行の民法には、個人の尊厳、平等という面からみて、さまざまな問題があることが指摘され、現在も民法の改正が検討課題とされている。たとえば、女性の社会進出にともない、夫婦の氏を別姓で選択できる制度や離婚における破綻主義の導入、婚姻していない女性から生まれた子(非嫡出子)の相続の平等などが検討されている》

 今の民法は古臭いと切つて捨て、結婚しない選択もあるんだよと誘導する。

 《日本は諸外国に比べて婚姻率が高いが、近年、結婚観は男女や個人による差が大きくなっている。平均初婚年齢は年々高くなるとともに「結婚しなくてもよい」という考え方も年々増加し、結婚するもしないも一つの選択という考え方が広まっている》

 新学習指導要領に変はつて、家庭科教科書には高齢者問題に関する記述が大幅に増へたが、ここでも「老人の世話を女に押し付けるな」といふフェミニズムの主張が繰り返される。

 《これまでは、要介護高齢者の介護は、家族の中でも嫁、妻、娘という女性に集中してきた。これは家制度の意識や高齢者の介護は女性が行うという性別役割分業としての考え方からである》

 以下、老親を家族で面倒をみることは馬鹿らしい、老人は介護保険制度や福祉施設にお任せしませうといふストーリーが続く。

 さて、育児の章に進むと、ここでもジェンダーフリーの刷り込み教材が登場する。

 木登りをする女の子とままごとをする男の子のイラストを掲げ、問ひかける。

《楽しそうに、木登りをする女の子とままごとをする男の子を見てあなたはどう感じただろうか。あなたがこの子の親だったらどのような言葉をかけるか。あなたがこの子であればどう感じているか》

 育児方法の伝授などそつちのけで、ジェンダーチェックに血眼になる神経はどう理解したらいいのだらう。

 「三歳児神話」についても、もちろん大きなスぺースを割いてある。

 《これまで育児は、おもに女性が担い、男性は協力者という状況があり、これは「三歳育児神話」が人びとの意識に浸透していたからである。その結果、男性は子育ての喜びを肌身で味わう機会が少なくなり、女性は育児が負担になってきてしまうという現状がある。両性が子育てにかかわることの意義は、子どもにとっては、男性と女性という異なる個性、すなわち、声・肌触り・愛情の向け方などの違いやさまざまな価値観の中で育てられるということにある


 女性の育児負担を強調し、子供は男性と女性の双方に育てられた方がいいともつともらしくささやくが、これが母親の「育児放棄のすすめ」であることは断はるまでもない。

 育児の章では、なぜか「子どもの権利」をしきりに強調する。

 《子どもは、大人とは異なる独自の文化と権利をもった人間として尊重されなければならない。しかし、困難な条件のもとで生活し、その権利を奪われている子どもたちが世界の全ての国に存在している》

 子供が訳した「児童権利条約」の条文まで載せ、児童権利条約について次のやうに説明する。

 《子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)は、子どもについて取り決めをするにあたって「児童の最善の利益が主として考慮される」とし、子どもは自分に影響を及ぼすことについて「自由に意見を表明する権利」があることや、「思想・良心・宗教の白由、結社や平和的な集会の自由」などの市民的な権利があることも明らかにしている》

 子供は親によつて教へ導かれる存在ではないと言ひたいのだらう。これが親子関係の否定でなくて何なのか。

 さて、被服の章に行くと、またしてもジェンダーフリーである。

 《男女の服装は、洋服の場合、16世紀ごろに女性はスカート、男性はズボンにはっきりと区別された。長い間、女性は足を見せることが淫らとされていた。スカートたけが短くなり足をみせるようになったのは、20世紀になってからである。日本では公的な場での女性のズボンの着用が一般的に認められるようになったのは、男性の権利と同等の権利を女性が主張し、女性の社会進出が始まった1960年代であった》

 女性の服装は男性に抑圧されてきたと強調し、服装には男女の差があるべきではないと教へる巧妙さ。

《現代では、ジーンズにTシャツという軽装や、機能性を重視したカジュアルな服装が生活の中に定着し、男女の区別や年齢などによる服装のちがいの差が少なくなった。慣習的な男女による色のちがいも少なくなりつつある》

 紹介したい記述はこのほかにもたくさんあるが紙幅が尽きた。平成六年に高校家庭科の男女共修が始まつてから十年、教科書のジェンダー・フリー汚染がここまで進行したことに空恐ろしさを覚える。

 それにしても、これほどひどいジェンダーフリー教科書がどうして検定を通つたのか? 

 答へは簡単である。政府と文部科学省が男女共同参画=ジェンダーフリー路線を走り始めたからである。

 教科書にジェンダーフリーをはびこらせた元凶は、教育課程審議会答申と新学習指導要領、男女共同参画社会基本法である。

 教育課程審議会が平成十年七月に出した答申には、家庭科について「男女共同参画社会の推進、少子高齢化等への対応を考慮して」といふ文言が盛り込まれた。

 これを受けて文部科学省は平成十一年三月に新学習指導要領を告示し、「男女が相互に協力して、家族の一員としての役割を果たし家庭を築くことの重要性について認識させる」といふ文言を入れる。「男女が相互に協力」といふソフトな表現が、男女共同参画=ジェンダーフリーの言ひ換へであることは明白だらう。

 おまけに同年六月には男女共同参画社会基本法が成立する。教科書会社が「ジェンダーフリー完全解禁!」と色めきたつたのも無理はない。教科書会社はジェンダーフリー教科書づくりに狂奔する。そして完成したのが今春から高校生が使用してゐる家庭科教科書といふわけなのだ。

 ある家庭科教科書は、厚生労働省が作成した「育児をしない人をパパと呼ばない」といふ有名なポスターを掲載してゐる。これに倣つて国民は叫ぶべきだらう、「家事育児を教へない教科書を家庭科教科書と呼ばない」と。
by sakura4987 | 2006-06-22 04:37

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