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◆小児科医・田下昌明 子育て方針御用心


平成16年10月24日(日) 産経新聞

 子供が児童期へと成長すると友達も多くなり行動範囲も広くなって、親子の世界とは別の、社会的な精神世界ができていく。親はそれに伴って人生の生き方、人との付き合い方を子供に教え始めなくてはならない。

 「あなたはお子さんを何を一番大切に考えて育てていますか」「はい、他人に迷惑をかけない人になってほしいと思っています」-これはよく聞く言葉だ。しかも何か道徳のように思っている人も多い。だがこの言葉には重大な意味が潜んでいる。それは、

 一、なされた行為が迷惑かどうかは、された人が決めることであるのに、したほうが既に決めてかかっている。

 二、他人に迷惑をかけないというが、「世の中に迷惑をかけない」というのと同じ意味では言っていない。

 この二点をふまえてこの言葉を解釈すると、

 一、他人にとって迷惑にならないと自分で判断したら何をやってもいい。

 二、迷惑になるといけないから、他人のことは知らぬふりをするのが一番だ。

 という意味でしかなく、実態としては何も教えてはいないし、指標も与えていない。禁止事項もない。すなわち育児方針になっていない。要するに子供に自分の人生観を語らず、生きる目的と理由を共に考えることもしない、そういう親の逃げ口上なのだ。だから「他人に迷惑をかけない人になれ」と言うのは「俺達は何の指導もできないので、何でもお前達が自分で勝手に決めろ」と、親が子供に言っているのと同じことになる。

 子供が親に求めていることは、自由だの権利だの独立などではない。無条件の愛による“強い保護”なのだ。それは、どんな些細(ささい)なことでも常に真面目に本気で聞いてくれて最後は必ず味方になってくれるという固い絆(きずな)を指す。

 それなのにこのような言葉で冷たく突き放されては、子供のほうの立つ瀬がない。放り出された子供達は可愛そうに、毎日毎日その稚拙な判断力で、自分のしたことが、他人にとって迷惑かどうかを決めさせられているのだ。一方、人間は一人では生きていけない。みんなで助け合って生きていく。その仲間を“世間”とか“世の中”と言うのだが、これらを“他人”という言葉では表現できない。

 他人と世間、個人と社会についての言葉の混乱は、もとをただせば戦後の民主主義、自由主義のはき違えに起因するのだが、その行き着いた結果は「自己実現」「自己決定」「自分らしく」などという、反省が欠落している上に、責任感も伴っていない、自己中心だけの勝手な言い分であった。しかも近頃、これらは日本語として“標準化”している。由々しいことだ。

 六月に長崎県佐世保市で発生した、小学校六年生女子による同級生殺害事件は、この路線の終着点である。殺人に至る経過も結果もまさに「他人にとって迷惑でないと自分が判断したので、何をやってもよかった」のだ。

 そこには「自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない」という、付き合いの中で最も大事な禁止事項が一度も登場しなかったのだろう。





※論語の中に、孔子が弟子から「この一言なら生涯守るべき信条とするに足る-そういう言葉はありましょうか」と尋ねられた時、こう答えている。「それ恕か。己の欲せざるところは人に施すなかれ」。これは仏教でもキリスト教でも言われる黄金律である。この様に、人類の偉人が残した言葉さえも現在では教育から排除されている。取り戻すべき事はわかっている。いかにして取り戻すかだ。近日中に「自分らしく」や「自己実現」を論破する文章を掲載する予定だ。
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by sakura4987 | 2006-06-22 05:04

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