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◆党争から始まった竹島問題


** 竹島問題は党争の「二次災害」だった **
 
 竹島は「歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である」(日本政府)。

 では、なぜかくも未だ竹島問題がやまないか。そのきっかけの一つに、17世紀末の朝鮮漁民、実は軍兵だった安龍福(アンヨンボク)の偽証がある。安龍福は竹島を朝鮮領といい、鳥取藩もそれを認めたと偽証した。

 ただ偽証はいつの世にも存在する。問題はこの偽証が「朝鮮半島名物」の血みどろの党争に巻き込まれたことにある。竹島問題は朝鮮半島の後宮をめぐる党争のいわば「二次災害」といえる。

** 安龍福の偽証 **

 現在は韓国領である鬱陵島は1617年以来、鳥取藩米子の大谷・村川両家が幕府の渡海許可を得て経営していた。これより先、朝鮮政府は鬱陵島を朝鮮領としていたが、1417年以来島へ渡るのを禁じ空島政策を続けていた。その理由には税金を逃れて島に渡るものが後を絶たなかったことと、仮倭、すなわち日本人を装って朝鮮半島各地を襲う朝鮮人の存在とがあった。
 
 その日本人が経営していた鬱陵島に安龍福は国禁を犯して渡ったのである。朝鮮側から見たら安龍福は罪人である。日本側から見ても安龍福は領海侵犯の罪人である。当然、大谷家の猟師たちはこの罪人を鳥取藩に連れ帰った。

 安龍福は日本と朝鮮とで取調べを受けた。繰り返すが安龍福は罪人である。罪人の証言は自己を弁護するための、自分に都合のいい言い訳がしばしばである。そして彼の証言はとても信用するに足りない、明らかな偽証であった。

** 「罪人」から「被害者」へ **

 当時の朝鮮政府は安龍福を、法禁を畏れず他国に事を生ずる乱民と見なしていた。そして安龍福の証言に懐疑的だった。当時の常識からしても、安龍福の証言には不審な点が多すぎた。取り調べ当初、朝鮮政府は安龍福の供述を事実とは認めなかった。

 ところがこの安龍福の一連の取り調べ中に後宮問題で朝鮮政府内で「朝鮮半島名物」の党争が起きていた。この党争により政権がそれまでの南人派から小論派に変わり、外交姿勢が一変した。

 南人派が政権の時には安龍福は越境の罪人とされ、法律に従って厳罰に処されることになっていたのに、「強硬派」である小論派が政権に就いたとたん、彼は「日本に拉致された被害者」となってしまった。そしてその「被害者」の、竹島は朝鮮領とする偽証が事実とされてしまったのである。

** 常に国際情勢の変化に連動していた朝鮮半島の党争 **

 本稿では詳しく触れなかったが、この「安龍福事件」をきっかけに日本(江戸幕府)は鬱陵島を放棄し、一方で竹島はそのまま日本が実効支配していたから、もし17世紀末に朝鮮半島で「名物」の党争がなければ、現在に至る竹島問題は起こらなかったかもしれない。

 朝鮮半島の党争は常に国際情勢の変化に連動していた。高麗王朝は「元」の末期になると「元」と「明」とに仕える事大派に分かれ抗争し、李氏王朝もまた19世紀末、開化派と守旧派、事大党、独立党を問わず何れも事大主義に徹して血みどろの抗争をしている。

 つい最近の報道でも韓国で「反日法」が拡大修正された。左派や革新系が保守勢力を糾弾しようというのである。韓国でまた「斥前王朝」(せきぜんおうちょう)という持病の発作が始まったようである。朝鮮では一つの時代や王朝、政権が代わるたびに前王朝の文化等が徹底的に否定されるのである。

 現在の日本での「自虐病」の発作も困りものであるが、お隣韓国の「斥前王朝」という発作もまた困りものである。両国お互いそれぞれの持病を克服しないかぎり、竹島問題の解決も、真の友好関係も永遠になさそうである。

※お断り

「竹島」および「鬱陵島」は国や時代によって呼び方が違いますが、本稿では便宜上、現在日本で使われている呼称で統一しました。

参考文献
 「竹島は日韓どちらのものか」下條正男・文春新書
 「歪められた朝鮮総督府」黄文雄・光文社
 「立ち直れない韓国」黄文雄・光文社
 Webサイト「竹島問題」
  http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

!!!自虐史観に怒れる男達!!!
http://melten.com/m/7156.html   第60号
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by sakura4987 | 2006-06-23 14:07

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