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◆韓国、日本へ新たな謝罪要求 北に同調、遠い歴史和解


平成17年3月2日(水)産経新聞

 韓国の盧武鉉大統領が一日行われた恒例の「三・一独立運動記念式典」の演説で、日本との過去の歴史に触れ日本にあらためて「謝罪」と「賠償」を求めた。また、日本人拉致問題にもわざわざ言及し、「(日本統治時代に)数千、数万倍の苦痛を受けたわが国民の怒りも理解すべきだ」と述べ、日本における北朝鮮非難の雰囲気を批判した。

 演説は拉致問題について「日本国民の怒りは十分理解する」としてはいるが、「過去の歴史」を持ち出し拉致問題での日本の世論を批判するというのは、北朝鮮の「居直り」的な日本非難の理屈と同じである。

 これは韓国がこの問題で間接的に北朝鮮に同調する立場を表明したに等しく、今後の日韓関係はもちろん北朝鮮をめぐる日米韓協調体制にも微妙な影響を与えそうだ。

 今年は盧大統領にとって就任後、二度目の演説だったが、演説のほとんどを歴史や日韓関係に費やし、その内容は直接的な日本批判という異例のものだった。従来は過去問題より民族的課題として南北統一や北朝鮮問題に触れることが多かったが、今回は南北関係にはまったく触れなかった。

 とくに日本との関係では、首脳会談などで表面的な友好、協力の姿勢や現実路線が語られる一方で、左派ないし革新派主導といわれる政権内部にかなり強い反日・民族主義が存在することをあらためて示したものとして注目される。

 過去の歴史をめぐる日本に対する新たな「謝罪」と「賠償」の要求は、これまで謝罪や反省を明確にした一九九五年の村山首相談話や一九九八年の金大中政権下の日韓共同宣言などを「かなりな進展」と述べた後、登場した。

 大統領自ら「過去の問題を外交的争点にはしないと公言した考えには変わりない」としながらも「われわれの一方的努力では解決されない。両国関係の発展には日本政府と国民の真摯(しんし)な努力が必要であり、過去の真実を究明し心から謝罪し、賠償すべきものがあれば賠償して和解すべきだ」と述べた。

 「もう過去は問題にしない」といいつつも、実際は「さらに謝罪と賠償」を求めているのだ。金大中前大統領も小渕恵三首相(当時)との日韓共同宣言の後、「もう過去は問題にしない」といいながら“過去離れ”できなかった。

 「賠償」が具体的に何を意味するのか不明だが、過去の日本統治時代にかかわるいわゆる補償問題(あるいは請求権問題)は最近、韓国で公開された外交文書により、四十年前の国交正常化の際に韓国政府が一括して日本政府から受け取った「請求権資金」ですべて解決済みということが再確認されている。

 演説はまた、第二次大戦中にドイツに一時占領されたフランスの大統領が最近、大戦終結六十周年に際しドイツに対し「友人として歓迎する」と語った例を挙げ、「われわれも日本にそうしたい」という。

 しかし、ここでも謝罪や賠償などで日本はドイツのような努力が足りないとして「いくら経済力や軍備を強化しても国際社会の指導的国家にはなれない」と日本を批判している。近年、韓国でよく聞かれるドイツ美化の主張だが、一九四五年以前の日韓関係を第二次大戦時の独仏関係にあてはめるという歴史認識は国際的には通用しない。歴史認識の違いが続く中で日韓の“歴史和解”の道は依然、遠い。(ソウル支局長 黒田勝弘)

                           ◇

<参考>本日の産経新聞の主張・・・・・■【主張】賠償要求 日本相手だとなぜ混乱?




※北朝鮮の金さんと、どっこいどっこいの人間だな、この盧武鉉という男は。まあ、北のスパイということになるが、どこの国民も騙されやすいものだとつくずく思ってしまう。げに恐ろしきはスパイである。


この男が大統領になった時、親族に北のスパイがいるので要注意と言われていたが、まさにその通りだった。しかも今回の演説は、「我が国はヤクザ以下の国家です!」と国際的に宣言したようなものだ。交通事故で示談が成立したあとに、いちゃもんを付けて来るのはヤクザでもやらない。韓国の国民はよく黙っているものだ。これがこの国の文化程度なのだろう。

国民主権といい、民主主義といい、我が国では礼賛しきりであり、これ以上ない制度のように言っているが、その結果が現在の我が国の状況であるし、韓国の実態である。そろそろ西洋かぶれはやめて、我が国独自の徳ある政治に戻ることが必要だと思う。 

そもそも、この民主主義というのは、良い意見も悪い意見も同列に扱うという制度だが、真実の目から見ると、意見には優劣の差があるのだが、これが国民にはなかなか分からず、しかも分からない国民の方が多いため、うまくおだてて乗せた方が勝つことになる。 

しかも最近の風潮では、国民の意見さえ聞いておけばいいのだという、判断能力がないアホな指導者も多く、自分の判断能力がない事をいいことに、アンケートなどを取って自分の責任逃れにうまく使っている。

結局はその国民の認識力によって、国の方向は変わってくるのだが、ギリシア時代の昔より、ソクラテスもプラトンも、民主主義は衆愚政治や僭主を招くと、民主主義には反対している。 

この民主主義を高める方法は、国民の側が見る目を肥やしていく事だが、「ゆとり教育」や「人権教育」などで、その識見はずたずたになってしまったし、そもそもが民主主義には、権力者は悪いことをするという前提があるために、指導者についていこうという姿勢も乏しい。 

しかも、その指導者が、日本で言えば総理大臣が、はっきり言って支那やアメリカの傀儡政権となってきたので、もう何がなんだか、どうすればいいのか自分で判断することがかいもく出来なくなってしまった。


こうなると、独裁者待望論も出てくるし、独裁者が出てきやすい状況が生まれたわけだが、それは縁起の理法から言って当然の帰結だろうし、今の状況では、そうならないと我が国の再生は無理だと思う。


もうこうなったら、どこかに独裁者はいないか、目を皿にして探し回ることもいいのかもしれない。しかし、その独裁者の条件は、徳ある独裁者という事が大前提になるのだが、それは結局において、真の指導者を探すということになる。
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by sakura4987 | 2006-06-23 14:22

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