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◆一家に一冊『昭和天皇』を/作家 出雲井 晶氏に聞く (世界日報 06/6/24)


戦後復興の最大の功労者  日本神話の心を体現/お命と引き換えにご聖断

天皇の仰せ無視した軍部/独自に戦争責任究明を


 日本神話の作家で知られる出雲井晶さんが最近、『昭和天皇』(産経新聞社)を一家に一冊そろえる運動を進めている。皇室典範の改正をめぐり日本および日本人にとっての天皇の意味が問われている中、昭和天皇に焦点を当てた運動の経緯と意義を、出雲井さんに伺った。


 ――『昭和天皇』一家に一冊運動を始めたのは?

 戦後六十年目を迎え、昭和天皇のご生誕日四月二十九日の「みどりの日」が、来年から「昭和の日」になることもようやく決まりました。わが国がまさに存亡の危機の時、昭和天皇は御身の命をなげうって国家国民をお救いくださいました。

 しかし、“昭和天皇のおかげで戦後に日本は存在する”ことがあまりにも忘れられています。

 占領軍総司令官であったマッカーサー元帥でさえ、古今東西にこのような偉大な聖天子はいなかったと絶賛しているのに、日本人がご恩を忘れては幸せな人生は望めません。

 昭和天皇はご生涯、淡々と「日本神話の心」を行じられました。昭和と共に生きてきた者にとっては“昭和”とは自分の人生そのものです。

 私は平成に入って十年、資料に埋まりながら昭和天皇のご事跡をたどり、二冊の本を上梓(じょうし)しながら、昭和天皇の偉大さ、ありがたさを、心の底からわき上がる感動で身をもって知りました。

 お姿は人間でも、お心はまさに神の領域にお住みのお方と思います。私心なく国家国民の安寧、人類の幸せ、世界の平和のみ願われたお方です。

 「昭和天皇様ありがとう。昭和天皇を見習おう」の大合唱が津々浦々からわき上がってくるとき、人々は本来の根アカの魂を取り戻し、ぬくもりのある芯(しん)の強い日本はよみがえると思います。


 ――神話作家の出雲井さんが『昭和天皇』を書かれたのは?

 神話の心を生き通されたのが昭和天皇だからです。講演で全国を歩いてみると、最近の若い人は、古代史だけでなく、近現代史の大切なところも教わっていないことが分かりました。

 昭和天皇が戦争を避けようと、どれだけご苦労されたか知らない。天皇の言う通りにしていれば、戦争にはなりませんでした。

 「日本は侵略していない」と言う人もいますが、軍部はやはり侵略しています。それを防ごうとされた天皇の努力を中国や韓国の人にも理解してもらえば、靖国神社の問題も解決するのではないでしょうか。

 私は平成になってから、日本神話の伝承をする一方で、昭和天皇のご事跡の資料を集め、七年間研究しました。

 あまりにも崇高な心、全く私心のない、ひたすら国民の幸せと国家の安寧、世界の平和を願われた美しいお心に、読むたびに涙がこぼれ、『昭和天皇』という分厚い本を書き、御生誕百年には読みやすい本を著しました。

 戦後の私たちは、昭和天皇がお命と引き換えに聖断を下されていなかったなら、確実に日本の地図の色が変わるか、なくなっていました。そのことを知れば、八月十五日にはどんな宗教の人も、思想の持ち主も、昭和天皇に感謝の思いをささげなければなりません。

 昭和天皇は古代の先祖と同じように、魂が澄んでおられたので、天からの啓示が正しく降ってきたのでしょう。遠い先まで正しく見通し、それを政府や軍の幹部に伝えていました。

 ところが、彼らはそれを謹んで受け取らず、実行しようとしなかった。指導層は私心があったので、天皇の言葉が頭の上を素通りしてしまったのではないでしょうか。

 昭和十一年、昭和天皇は北清事変以後、中国にいる同胞を守るために派遣している日本陸軍を、一度全部引き揚げてはどうかと言われた。ところが、軍はそれに従わず、一年後に日中戦争が起こります。

 共産軍に仕組まれて国民党軍と戦闘を始め、それが泥沼化し、大東亜戦争につながったのです。

 また昭和天皇は日独伊三国同盟に否定的でした。ところが、東條英機陸軍大臣が松岡洋右外相をけしかけ、強引に結ばせてしまった。それを聞いて天皇は、米国が重要物資の禁輸措置を取るであろうと心配されます。

 天皇は第一次世界大戦後の欧州を旅行し、戦争の悲惨さを理解し、最大限譲歩しても外交的に解決を図るべきだと考えておられました。

 三国同盟が結ばれた後、昭和天皇は、これから日本は何年も暗い道を進むことになるが、一緒に歩む覚悟があるのかと言われています。昭和天皇の真意は戦争の回避にあったのに、軍部の大勢は戦争の準備ばかりしていたのです。

 陸軍は何としても開戦に持ち込もうとし、昭和天皇は陸軍の暴走を抑えるのに苦心されます。平和裏での解決を望まれましたが、天皇は立憲君主なので、内閣が開戦を決めるとそれを承認せざるを得ません。

 昭和天皇が最終的に開戦を認めたのは、二・二六事件以上のことが起こることを懸念した東條首相が何度も何度もお願いしたからです。


 ――昭和天皇に開戦の責任があるとする考えもあります。

 私と同世代の人の中にも、昭和天皇に戦争責任があると考えている人がかなりいます。軍隊などで、天皇の名によってひどい目に遭った体験もその原因でしょう。

 また、戦後は大学で左翼の先生たちに教えられた人たちが新聞やテレビを作るようになったので、どうしてもそういう主張が多くなります。

 昭和天皇は、日本の神話を貫く大和(だいわ)の心を、日常の世界に実現されようとされたお方です。ずっと遠い先まで正しいお見通しで、預言者のように言われています。

 それを周りの人たちが謹んで聞き、実行していれば、戦争にはならなかったのに、自分にとらわれていたため分からなかったのです。

 開戦の詔勅で昭和天皇は「洵(まこと)に已(や)むを得ざるものあり。豈(あに)朕(ちん)が志ならむや」と仰せられました。緒戦の勝利に日本が酔っている時にも、早く戦争をやめさせようと思いを巡らされます。

 昭和二十年八月九日、最後となるはずの御前会議が宮中の地下防空壕で開かれました。鈴木貫太郎首相が最初に東郷茂徳外相を指名すると、外相は「即刻ポツダム宣言を受諾すべき」と答え、次に阿南惟幾陸相に聞くと、「本土決戦し、一億玉砕しても戦う」と答えました。

 意見は二つに分かれて決まらず、総理が天皇のご意見を伺ったので、天皇は外相と同じだと答えられました。列席者は号泣し、天皇も涙をぬぐわれました。

 昭和天皇は念のために考えを申しておくと言われ、「軍部が言ってきたことと結果とは開きが大き過ぎる。備えもないのに本土決戦し、本当に一億玉砕すると、先祖にも子孫にも申し訳ない。このあたりで戦争をやめなければ、世界人類にも申し訳ない。自分の身はどうなっても構わないので戦争をやめる決断をした」と話されました。

 ところがそれでも軍が終戦に抵抗したので、八月十四日の御前会議でやっとポツダム宣言受諾が決まります。十五日の未明、軍の不穏な動きを察知した阿南陸相は「一死大罪を謝す」との遺言を残して自刃。それにもかかわらず、陸軍の一部は宮中に乱入し、玉音放送の録音盤を奪おうとしました。

 十五日正午の玉音放送によって、日本人は神話の心を取り戻し、戦後の混乱を抑え、復興へと歩みだすことができました。ところが、昭和天皇がお命を投げ出されたおかげで戦後の日本があるということを知らない人が多過ぎます。

 昭和二十一年の歌会始で、昭和天皇は「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」との御製を詠まれています。そして全国を御巡幸され、国民を励まされたことが、戦後の驚異的な復興の大きな力となったのです。


 ――先の大戦がアジア諸国の独立を助けたという主張もあります。

 右寄りの人たちは、先の大戦は米英に仕掛けられた戦争で、日本は悪くない。日本はアジア諸国を侵略していないし、むしろ独立させたと言います。

 私は、それは結果論であって、日本が侵略したのは確かだと思います。しかし、昭和天皇の仰せを謹んで承っていたら、絶対に戦争を始めることはなかったことが、右寄りの人は分からないし、左寄りの人は天皇に戦争責任があるという。

 日本の国は天照大神から真ん中を行く国で、右でも左でもありません。

 ビルマ戦線に従軍し、『アーロン収容所』を書いた京都大教授の会田雄次さん(故人)は、日本人が自分の手で昭和時代を検証していないのが問題だと言いましたが、私もそう思います。

 東京裁判とは別に、日本独自で戦争責任の所在を明らかにする必要があります。天皇の国でありながら、なぜ天皇の仰せに従わなかったのか。昭和天皇のお言葉通り実行しようと努力していれば、戦争を起こすには至らなかったのですから。

 昭和天皇のご聖徳が国民の間にもっと知られるようになると、日本も少しは良くなるのではないでしょうか。神社本庁も「昭和の日」制定を記念して、『昭和天皇』一家に一冊運動を全国に呼び掛けています。


 いずもい・あき 北海道生まれ。作家、日本画家。日本文芸大賞女流文学奨励賞、文部大臣表彰など受賞。勲四等瑞宝章。日本画家として日仏現代美術展、パリ・ル・サロン展など入選多数。内閣総理大臣賞など受賞。「日本の神話」伝承会会長。著書は『花かげの詩』『春の皇后』『昭和天皇』『誰も教えてくれなかった日本神話』『日本神話の知恵』など多数。
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by sakura4987 | 2006-06-25 12:47

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