◆平易化の大罪 漢字が読めない日本人 (産経 06/6/26)
【新国語断想】塩原経央
漢字が読めない、書けないという青年が増えている。ある大学教授が嘆くことに、小学3年程度の漢字を読み書きできない学生が珍しくないという。それで、どうすれば彼らが普通の国語力を身につけられるのか、悩み事相談を持ちかけられたのである。
漢字が使えない青年は何もその教授の大学に限らない。満足に文書の一つも書けない新入社員に小学生並みの国語教育を施している企業もあるという。
国語の惨状は極めて深刻な安全保障の問題なのだが、それが頭の上のミサイルのような明示された脅威ではないため、多くの人が非常事態に気づかないでいる。
かつてケルト語はヨーロッパ中央部の広い範囲で用いられていた言語だが、歴史の興亡とともに強勢な言語に同化させられ、あるいは辺境の地に追いやられ、今ではアイルランドなどで細々と生き延びるのみだ。
歴史に学ぶとすれば、このままでは伝統的な純粋日本語は遠からず離島や山間地の集落などにひっそりと息づくという事態が招来しないとも限らない。いや、インターネット時代の今日では、そんな保存のされ方さえも怪しいかしれない。
国語が滅びれば国語によって書かれた文献、つまり先人の知恵の集積が後代に継承されなくなるわけだから、その文化も時間の砂に埋もれて忘れ去られる。
国語も滅び、文化も滅ぶとは、国家も滅び、民族も滅ぶということだ。これをして安全保障の問題といわずして何といおう。
国語力衰微の元凶は知識の大衆化、情報の民主化というお題目の下、漢字制限など国語平易化を進めた戦後国語政策にある。平易化という言葉にだまされてはいけない。
実態は表記の曖昧(あいまい)化、語意識の粗雑化に過ぎなかった。
例えば、看護婦の看は〈みる〉だが、この訓は常用漢字では認められていない。
だから、看護婦はカンゴフという音声集合によって記憶することになる。語を意味でなく音声で覚えると、看病、看視、看守、看破のような語の看とのつながりが見えなくなり、知識が断片化してしまうのである。
また、「見る」と「看る」の微妙な相違を概念分けする分析力を失い、思考力も大雑把になる。
漢字制限は漢字語彙(ごい)の制限だから、その分仮名が増え、読みにくく理解しにくい文にする。
漢字を知らないために先人の文章が読めなくなるだけでなく、読みにくさが読書離れを助長し、かえって知識や情報から大衆を疎外する結果をもたらしたのだ。
一方、新しい概念を漢字で表す知恵を失ったために、片仮名語が増大した。現に「てにをは」以外はみな英語語彙というような話し方をする官僚や政治家、学者などが増えた。
片仮名語は読むことはできても原語を知らない大衆には理解するのが難しい。意思疎通の道具としても国語を劣化させたのである。
かくて、何のことはない、国語の平易化は知識や情報の知識層による壟断(ろうだん)を招いたのだ。
そればかりではない。坂道を転がるように国語が混成語(植民地語)化した。日本及び日本人にとって許すべからざる戦後国語政策の罪状である。堂々たる国語の再生のために残された時間はあまりない。
早く漢字制限をやめなければ、日本人はそれこそ先祖の戒名も読めないようなバチ当たりだらけに成り果ててしまうであろう。

