★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆BC級裁判の検証も必要 (産経 06/6/26)


【一筆多論】石川水穂

 戦犯釈放の願いを込めて故渡辺はま子さんが歌った「ああモンテンルパの夜は更けて」の作詞者、代田銀太郎さんが今月7日、92歳で亡くなった。

 モンテンルパは、マニラの軍事法廷で裁かれた日本のBC級戦犯が収監されていた刑務所がある場所だ。

 憲兵少尉だった代田さんも死刑を宣告され、ここに収監された。そこで代田さんが作詞し、同じ死刑囚の元陸軍大尉、伊藤正康さん(後に自衛隊陸将)が作曲した。このことを知った渡辺はま子さんは昭和27年暮れ、モンテンルパを慰問し、この歌を歌った。

 さらに、刑務所に派遣されていた加賀尾秀忍教戒師らが当時のフィリピンのキリノ大統領に戦犯の減刑を嘆願し、この曲の入ったオルゴールを贈ったところ、キリノ大統領はそのメロディーにも心を打たれ、戦犯の特赦を決めたと伝えられている。

 フィリピンでは、それまでに14人の戦犯が処刑されたが、代田さんら108人の戦犯は昭和28年7月22日、白山丸で帰還した。約半数の死刑囚は終身刑に減刑され、巣鴨に収監された後、その年末に全員が自由の身となった。

 当時の日本では、フィリピンでの戦犯を含め、すべての戦犯の赦免が国民の悲願だった。

 サンフランシスコ講和条約発効後の昭和27年6月、日弁連が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に出したのをきっかけに、戦犯赦免運動が全国に広がり、署名は4000万人に達した。

 日本政府もこうした世論を受け、A、BC級戦犯の赦免、減刑などを米国など関係各国に要請した。

 昭和28年8月、衆院で全会一致で可決された「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」は、日本の戦犯赦免要求にこたえた各国への謝意をこう記している。

 「中国(中華民国)は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フィリピン共和国はキリノ大統領の英断によって、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得た…」

 代田さんは巣鴨から釈放された後、故郷の長野県で地元の建設会社に勤めた。「父は戦犯時代のことを家族にほとんど話さなかった。父がどんな罪に問われたかは詳しく分からない」と長男、和信さん(50)は話す。

 今月10日、同県飯田市で行われた告別式には、モンテンルパの元戦犯らでつくる「モンテンルパの会」のメンバーや「奇跡の歌姫『渡辺はま子』」を上演した女優の五大路子さんらが参列した。

 同会の事務局を務める植木信良さん(85)は「マニラの軍事法廷では、ゲリラ討伐で住民虐殺に問われたケースが多く、冤罪(えんざい)もかなりあった」と話す。植木さんは当時、厚生省復員局でモンテンルパの戦犯の帰還に尽力した。

 マニラの戦犯14人の死刑執行が日本の新聞で報じられたのは、昭和26年2月1日。翌2日、残る死刑囚の家族が駐日フィリピン代表部を訪れ、死刑執行の延期を求める陳情書をキリノ大統領あてに出した。「これを機に、戦犯の赦免を求める機運が高まった」と植木さんは話す。

 マニラ、シンガポール、ラバウルなどアジア各地の軍事裁判で処刑されたBC級戦犯は1000人を超える。その3分の1は明らかな冤罪だといわれる。これらの軍事裁判の膨大な資料は未公表のまま、法務省に保管されている。

 今年は、いわゆる「A級戦犯」を裁いた東京裁判が開廷されてから60年にあたる。東京裁判に加え、BC級戦犯を裁いた軍事裁判も再検証が必要である。
[PR]
by sakura4987 | 2006-06-26 08:16

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987