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◆生命の起源を推論する自由 (世界日報 06/7/3)


高度に複雑な生命情報/偶然発生の可能性ほぼゼロ

京都大学名誉教授 渡辺 久義


 ■≪唯物論専制に服す教科書など≫

 アメリカのいくつかの州では、生物の教科書にこんな注意書きを挟み込むことにしている――「この教科書には進化に関する教材が含まれている。進化論は生物の起源についての一つの説であって事実ではない。この教材に対してはとらわれぬ心をもって注意深く接し、これを批判的に考えるべきである。」

 最近、NHKテレビの総合理科「生命の誕生」という講座でこんな解説をしていた。原始の海で、物質がたまたまうまく組み合わさって生命が誕生したということを言うために、時計をバラバラに分解したものを箱の中に入れて何億年も振りつづけていれば、いつかは時計が組み立てられることもありうるでしょう、と説明するのである。

 二人の「生徒」はこれを聞いてげらげら笑った。講師も自分の説明が馬鹿々々しいことは半ば認めながら、しかし半ば以上真顔で「それ以外にどう考えろと言うのだ」といった口吻で話は進められた。

 これは、我々が首まで浸かって抜け出せないでいる唯物論文化(ダーウィニズムを典型とする)というものが、どういうものであるかをよく表わしている。

 この説明がおかしければ、考え方の前提に問題があるのではないかと考えなければならないのに、それはダーウィニズム専制体制によって、考えることを禁じられているのである(講師を責めて済む問題ではない)。

 そもそもアミノ酸などの生命の「組み立てブロック」が「原始スープ」から、放電などのエネルギーで自然に生じ、それがうまく保存され、うまく組み合わさって、生命組み立ての方へ向かうなどという可能性が、ほぼ完全に否定されているにもかかわらず、この事実を伏せたまま、我々の生物教科書はすべて、このNHKの箱振りの論理によって生命の起源を説明しようとする。


 ■≪物と心の両側面から生命観を≫

 これは生物教科書の数々の隠蔽、ゴマカシの一例にすぎない。なぜそういうことが起こるのか。それはダーウィン進化論というものが、根本的に誤った生命観の上に立っているからウソを重ねなければならないのである。

 教科書の教えるのは要するに、生命というものは異常に複雑ではあるが、しかしあくまで物質の延長上にある物質の特殊状態にすぎない、という唯物論的生命観である。これは形容矛盾のとんでもない生命観であるが、この前提が夢にも間違いであってはならないのである。

 しかし「そういう生命観がなぜ間違っているのか根拠を示せ」と詰め寄る人がいるだろう。私はこう答えたい。かりに時計ぐらいの単純な細胞があったと仮定して、その部品を箱に入れて振り続けていたら、幸運にもうまく組み合わさって細胞ができたとしよう。

 しかしそもそもこれは細胞であろうか? それは細胞ではない。つまり生きて機能する細胞ではない。細胞の形骸にすぎない。

 なぜなら生命というものは物質を組み合わせて作るものではない。生命は最初から、目に見えない形であったと考えなければ理屈に合わないからである。

 それが物的条件が整った(宇宙進化の)時点で、物的側面の支えを得て顕在化するのだと考えざるをえない。つまり生命体とは、目に見えない心の側面と目に見える体の側面が一体化したものである。

 確かにこれは「証明」できることではない。しかしそれは証明なしに納得できる公理というべきであろう。

 よく生命情報のような高度に複雑なものが偶然によって生ずることがありえないことの比喩として、サルがでたらめにタイプライターを叩いてシェークスピア作品ができるわけがないなどと言う。

 シェークスピアは論外としても、十七文字の俳句ならどうか。これならかなり可能性は大きくなるだろう。そこでランダムにタイプを叩いて、一応俳句として通用するものができたとする。これは俳句ではないのか? 私はそれは俳句ではないと言う。

 なぜなら、サルに一句でなく、数句の「作品」を叩き出させてみればよい。これが一人の人間の作ったものなら、いかにそれが稚拙であろうと、その作品群から浮かび上がる心(認識できる個性)が感じ取れるはずである。

 しかし、ランダムに叩き出した俳句群からは、かりに一つ一つは一応俳句として通用するとしても、決してそこに心の存在を感じ取ることはできないだろう。それは俳句の形骸であって、(巧拙とは関係なく)俳句ではない。


 ■≪「作者」の痕跡を実証するID≫

 生命についてもまったく同じである。生命の形骸を生命とは言わないのである。心の関与しない俳句(芸術作品)などというものがないように、心の関与しない生命などというものはない。

 作品の中に感じ取れる心の存在から、心を持ったその作者が推定できるように、自然界に感じ取れる心の存在から、心を持ったその作者の存在が推定できるのである。

 インテリジェント・デザイン(ID)理論とは、その心の働きの表れ(痕跡)を自然界のいたるところ――細胞の内部から宇宙構成にいたるまで――に実証的に突きとめることによって、ある未知の大きな「心」の存在を推論し得るという理論なのである。
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by sakura4987 | 2006-07-05 07:43

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