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◆【日本よ】石原慎太郎 人間の弱劣化 (産経 06/7/3)


 日本の社会に最近頻発する忌まわしい出来事を眺めると、共通してあることを感じざるを得ない。それは60年前の敗戦以来この国を支配してきたいくつかの、国家存立のための基本条件が結果としてもたらしたものに他(ほか)なるまい。

 それは戦後の世界の中で未曾有の長きにわたって続いてきた平和であり、国家の安全のための最大のよすがである防衛問題に関して日米関係に依存した根本的他力本願であり、それから演繹(えんえき)された個人主義に依(よ)る無責任、平和の安逸が育(はぐく)んだ物質主義だ。

 それらはむしろ難事においての方が在り得る本質的な人間関係を阻害し、家族という根源的な関(かか)わりまでを損ない、破壊しつつある。

 その証左の一つと思われるが、私は趣味としてペットを好ましいと思わぬタイプの人間だが、それにしても昨今のペット・ブームで犬と一緒に歩いている人たちを眺めると、犬を引いているというより犬に何か大切なものを預け、その犬に牽(ひ)きずられている者のような気がしてならない。ふと、あれは痛ましい代行にも思われる。

 家族が破壊された社会に、一体どのような連帯が在り得るのだろうか。

 従来日本の社会に存在しなかったこうしたもろもろの本質的変化は、結果として多くの人間たちをかつての時代に比べ人間として虚弱で劣悪なものに変えてしまったとしかいいようない。

 もとより平和は好ましいしそれを望まぬ者などいはしまいが、しかし心掛けずして安易に手にしている平和は、安逸な平和としての毒を醸し出すこともあるということを銘記すべきだろう。キャロル・リードの名作の最後のシーンでの「第三の男」の捨て台詞(せりふ)ではないが。

 動物行動学のコンラッド・ローレンツが高等な動物の生存原理としその脳幹論で指摘しているように、若い頃(ころ)辛(つら)い目に遭ったことのない、つまりこらえ性を欠いた動物は長じる前に淘汰(とうた)されてしまうし、人間は不幸な生き方となる。個人に限らず、社会全体、民族全体も同じことかもしれない。

 今日日本の社会に氾濫(はんらん)の兆しを感じさせる、安易でしかも凶悪なもろもろの事件。マネーゲームでの勝者の居丈高に理をかざしての居直り。かと思えば、彼等の一方的な理屈の違法性とあえない没落。

 そして世間はその度に羨望(せんぼう)での喝采(かっさい)と期待から、背信と失望の狭間(はざま)でふりまわされる。

 自らの責任で解雇された男が、家庭を持ち子供さえいながら、その鬱積(うっせき)を他人の子供を高層マンションから投げ落とし殺すことで晴らすという事件の動機の、あまりの薄っぺらさに世間は瞠目(どうもく)しても、犯人の人間としての本質的な虚弱さは実は今では茶飯なことでしかない。

 己の人生がどうにもままならぬので、他人の手で殺されたく小学校に乱入して見境なく多くの生徒を殺した犯人を、司法も珍しくそれに応えて素早く死刑の執行はしたが、あの犯人も、そしてまた、自分一人では自殺出来ずに、インターネットで呼び合って間際に互いに名乗り合うこともなしにただ皆して密室で練炭を囲んで中毒死する若者たちも、実は皆同じ人間として劣化した弱い者でしかありはしない。

 あるいは、この世界最大の地震国でいつか当然到来するだろう大地震に備えての新しい高層ビルの耐震性を、ただ金のために偽ってはばからない専門家たちも、日銀総裁という金融の最高責任者にありながら、国会で問いつめられれば、「利殖のため」と自ら吐露せざるを得ない権威者も、ともに己の立場その責任をさして苦悩もせずつい忘れるかなおざりにした、人間としてごくごく杜撰(ずさん)な、つまり社会の中での己の立場を踏まえての人間同士の連帯に心の及ばぬ、専門家としても権威者としても、劣化した虚弱な人間に他なるまい。

 そして、そうした手合いに我々国民それぞれの運命が預けられているということの危うさ恐ろしさを知って、もう一度己の身の回りを見直さなくてはならぬところまでこの社会は来てしまったのだろう。

 これらの手合いは決して知的に劣った人間でありはしまい。

 故にも国は彼等にある資格や権威を与え、期待もしたのだ。そして彼等は自ら犯した過失について彼等なりのある理屈をかざして逃れようとするが、その以前にその立場に付随した責任感と、それを醸し出すべき、その立場に在る人間としての感情を喪失してしまっているとしかいいようない。

 その喪失の原因を問えば、それは長き平和が培った精神に代わる物質への傾倒のフェティシズム以外の何ものでもない。それはすなわち真の自我の喪失でしかない。

 今になって私は戦争中のある挿話を思い出す。戦争という厳しい試練の最中に、個人の欲求の抑止を説いたポスターがあった。曰(いわ)くに、「贅沢(ぜいたく)は敵だ!」。そしてある時誰かがそれにいたずらして一字書きこんでいた、「贅沢は素敵だ!」と。

 贅沢と安逸が心地よからぬ人間など滅多にいはしまい。しかしなおそれを許さぬ人間同士の連帯の規約制約が在るのだということを、知ってはいてもなお、弱い自分の充足のためにその則から外れてしまう人間の氾濫をどう抑えるかに、この国の存亡がかかっていると思われる。
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by sakura4987 | 2006-07-06 11:22

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