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◆愛国心とは自発的なる忠誠義務 (産経 06/8/1)


【正論】京都大学教授・佐伯啓思  論理だからこそ教えるべきもの


≪押しつけか自然の感情か≫

 先の国会での教育基本法の改正問題は、結局、尻すぼみに終わったが、焦点であった「愛国心教育」の問題はいずれまた再燃するであろう。世論は、賛否相半ばといった様相に見えるが、この問題をどのように論じるのかは、それほど容易ではない。

 賛成派は「国を愛する心を持つのは自然な感情だから、それを教育で教えるのも当然だ」と言う。一方、反対派の多くは「愛国心をもつのは当然だが、国が特定の価値や信条を国民に押し付けるのは間違っている」と言う。

 しかし、どちらも説得力にかける。前者に対しては次のような疑問が出されよう。

 まず、自分の国を愛する気持ちは、ただ「自然」で「自明」というわけではない。今日、日本人にとって自明の感情はといえば、むしろ利己心である。本当は「自然な感情」ではないからこそ教育の対象にもなりうるのであるし、もし「自然な感情」だから教育の対象となるのなら、利己心や戦闘本能さえ教育の対象になってしまう。

 一方、反対派の論拠も説得力はない。たとえば反対派は、戦後憲法は平和主義や基本的人権といった理想的価値を高唱したものだ-と述べてきた。だが、それでは憲法は、国家が国民に一定の価値を押し付けたことになってしまうだろう。

 現行の教育基本法も、憲法とアメリカの占領政策が打ち出した価値を国民に押し付けたものといわねばならない。

 では、「愛国心」をどのような形で論議したらよいのだろうか。

 反対派の議論は、それなりに思想史的な意味を含んで、一見、説得力がある。それは近代国家はあくまで個人の生命、財産の安全確保を目的とするのみで、価値や信条という個人の「内面」には関与すべきではないし、価値中立的であるべきだ-というリベラルな国家観である。

≪曲解されたホッブズ思想≫

 この中立的国家観を導き出した最初の思想家は、17世紀イギリスのホッブズだった。彼は、国家は人々の生命、財産の安全確保を目的として、人々の自発的な契約によって生み出された-と論じた。

 ホッブズの契約とは、人々は他人を傷つける力の行使をすべて放棄し、それを主権者(国家)に譲り渡す-というものである。その結果、国家だけが絶対的な権力を手にし、人々の自由な活動の舞台である市民社会は国家によって安全と平和を確保され、人々は私的利益の追求にいそしむことができる。

 ところが後年の政治思想家は、ここから次のような論理を導き出す。ホッブズの論理では国家は絶対的権力をもつので、たえず市民社会の自由を侵す可能性がでてくる。

 そこで、国家権力から市民社会を守るために、人々の生命、財産のみならず、思想、信条、私的利益を守る必要がある。基本的人権思想もそこからでてくる。この論理を突き詰めると、国家権力と市民社会の自由はあくまで対立する-とみなされるのである。

 政治思想の流れの中では、この種の考えが圧倒的に主流となってしまった。いうまでもなく、これは左翼の進歩的歴史観であり、この考えからすると、個人の信条にかかわる「愛国心」を国家権力が強制するのは自由の侵害だ-ということになる。しかし、これはホッブズの近代国家のロジックを意図的に狭く理解した結果である。

≪国家と市民社会の相補性≫

 ホッブズの議論の中心は、あくまで、市民社会の平和が担保され、人々の自由が保障されるには、国家への絶対的な権力の委譲という自発的な契約が不可欠だ-という点にあった。したがって、仮にホッブズの契約論をもって最初の近代的国家論(中立的でリベラルな国家観)だとするなら、人々の私的な自由が確保される前提としての国家への忠誠義務こそが注目されなければならない。

 国家への一定の範囲での忠誠義務が自発的になされて、はじめて市民社会が成立するのである。つまり、ホッブズの論理は一方で、確かに国家と市民社会(個人の自由)の対立という面を持つと同時に、他方では国家と市民社会の相補性という構造を持っているのである。

 私には、「愛国心」とは、この国家への根底的な自発的な忠誠義務を言い直したものと思われる。だが、それは決して自明で自然の感情ではない。むしろ、上のような近代国家の論理を踏まえて、ようやく理解できる「論理的なもの」ではなかろうか。しかしだからこそ、それは国家の意味とともに「教えられ」なければならないのである。(さえき けいし)
by sakura4987 | 2006-08-01 14:49

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