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◆戦没者追悼への非難は傲慢 (産経 06/8/5)


【靖国参拝の考察】 トーマス・スニッチ氏

 この7月、サッカーのワールドカップ決勝戦をテレビで観戦するうち、ふっと靖国論議を思った。

 決勝の試合はヒトラーが1936年にベルリン五輪を開き、侵略や虐殺につながる国威発揚の大演説をしたオリンピック競技場で催されたからだ。

 だが「大虐殺を働いた独裁者が政治利用した場所での競技は人民の感情を傷つける」と非難する声はどこにもなかった。

 中国の靖国非難は「靖国が軍国主義の精神拠点だったから」という主張が基盤となっているようだ。その種の主張を拡大すると、ベルリン競技場のいまの使用もけしからんということになりかねない。

 その主張のもう一つの基盤は日本が過去に中国に対し悪事を働いたから、中国は日本の戦没者の追悼の方法など命令や指示をする資格がある、という思考のようだ。

 だがこの世界に過去に他国への何の悪事も働いたことのない国など存在しない。国際社会での各国は悪事へのそれなりの制裁や自省の後はみな相互に妥協し、許容していくことが基本である。

 私は日本の首相を含む国民の靖国神社参拝は信仰かつ礼拝であり、日本自身が判断することであって、米国も中国も韓国も介入すべきではない、と考える。

 私は妻とともに自分たちで選んだ教会に毎週、通う。私たちの隣人は教会にはまったく足を向けない。だが、お互い何も干渉しない。これこそ米国で最も深く保たれる礼拝や信仰の自由なのだ。他国の人たちに信仰の有無を問い、求めることはない。

 日本の首相や国民が靖国を参拝することはこの信仰や礼拝の自由に基づく慣行であり、他者がその方法を非難すべきではない。とくに死者を悼む行為は悼む側には重大かつ深遠であり、外部の押しつけがあってはならない。

 靖国神社はある面でワシントンにある国立のベトナム戦争記念碑に似ている。

 同記念碑にはベトナム戦争の死者の名がすべて刻まれ、遺骨などは埋葬されていない。私は時折、友人やいとこの霊を悼むために記念碑を訪れる。私個人の信仰や礼拝だといえる。

 記念碑の友人たちの名に祈りをささげても、ベトナム戦争全体への礼賛や支持を意味はしない。

 ベトナム戦争に反対する人が私の祈りを止めることもできない。同様に一国の政府が自国の基準だけで他国の指導者や国民の戦没者の追悼に文句をつけることは、不当であり傲慢(ごうまん)だと思う。

 私は長年、軍備管理とともに中国をも研究してきたが、中国には一面、自国を中華帝国として世界の中心にみる傾向が強く、物事への対応にしても「中国方式でなければ間違った方式だ」という思考が消えていない。外国の言動に満足するということが少ないのだ。

 日本の首相が靖国参拝の停止を言明すれば、中国が満足するという主張は無知に近い。中国は必ず日本に対し他の案件を指摘し、抗議や要求をぶつけてくる。

 だから日本側は日中関係全体を人質にとっての靖国攻撃という中国側の戦術の危険に陥ってはならない。

 中国では毛沢東主席が数千万の中国人の死に責任を有することはいまや明白だろう。日本のA級戦犯も他者を死に追いやったという点では毛氏の軌跡には足元にも及ばない。

 中国は国家全体でその毛主席に弔意を表明し、日本の指導者が靖国の戦没者の霊に弔意を表することは許せないというのだ。矛盾といわざるを得ない。中国には日本の戦没者追悼に対し一定の方法を命令する権利はないのだ。

 米国の一部にも日本の首相に靖国参拝を停止することを求めるべきだと主張する人たちがいる。首相が参拝をやめれば、日中関係が改善されるという前提だろうが、その前提が間違っている。

 日中関係は靖国問題をはるかに超える、きわめて複雑な利害や権益のからみあいなのだ。

 米国にとっていまの日本は全世界でも最も信頼のできる貴重な民主主義の同盟パートナーである。その日本が自国の判断で決めた方法で戦没者を追悼することを米国も中国も尊重すべきだ。

                  ◇

【プロフィル】トーマス・スニッチ

 1970年代にアメリカン大学で中国問題や軍備管理の研究で修士号と博士号を取得。同大学の助教授を経て81年から87年まで米国政府軍備管理軍縮局上級顧問(核兵器管理、アジア安全保障担当)。現在は科学技術調査企業「リトルフォールズ・アソシエイツ」社代表。
by sakura4987 | 2006-08-05 11:29

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