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◆前上海総領事 杉本信行氏死去 「大地の咆哮」の著者 (産経 06/8/4)


 現代中国の実態を鋭く描いた「大地の咆哮(ほうこう)」(PHP研究所)の著者として知られる前上海総領事の杉本信行(すぎもと・のぶゆき)氏が3日午前5時20分、肺がんのため、東京都中央区築地の国立がんセンターで死去した。57歳。通夜は8日午後7時から、葬儀ミサは9日午後1時半から、東京都千代田区麹町6の5の1、聖イグナチオ教会で。喪主は妻、裕子(ひろこ)さん。

 杉本氏は昭和24年1月、京都市生まれ。48年に京都大法学部を卒業し、外務省に入省。在中国大使館1等書記官、国際機構課長、交流協会総務部長(台湾)、欧州連合日本政府代表部公使などを経て、平成10年に在中国大使館公使、13年10月から16年11月まで在上海総領事館総領事。17年4月には日本国際問題研究所主任研究員となったが、その後、病気療養のため休職していた。

 上海総領事在職中の16年5月、総領事館の男性職員が自殺した。背景に中国公安当局者による強要があったとみられたため、杉本氏はすぐに中国外務省に抗議し、政府に早急な対応を求めた。しかし、外務省は当時、小泉純一郎首相らに報告していなかった。この事実関係は今年に入り発覚し、国会でも取り上げられた。

 杉本氏はこの事件を契機に今年7月、「大地の咆哮」を出版。現代中国の現状を鋭く洞察し、今後の日中関係、対アジア外交に警鐘を鳴らした。

                  ◇

 ■外交評論家・岡本行夫氏 また一人、外交官が「戦死」した

 日本をたって中東に着いた直後に、杉本信行・前上海総領事の死去の知らせを受けた。

 2年半前、イラクで奥克彦大使と井ノ上正盛書記官がテロリストの凶弾に倒れた翌日も、私は中東の地に来ていた。その日も、今日も、呆然の中に、国を思いつつ倒れていった外交官たちへの鎮魂の言葉が浮かんでこない。奥、井ノ上は壮烈な戦死だった。任地の上海の病院で誤診され、進行中のがんの治療を受けぬまま日本の国益に献身し続けた杉本も「戦死」であった。

 私が外務省を辞めて間もなく、台湾に勤務していた杉本が訪ねてきた。台湾のことを一緒に手伝ってくれませんか。彼はそう言った。中国政府への遠慮から日本は台湾に眼をつぶっている、と。「自由」に対する杉本の圧倒的な確信と、持ち前の弱者への同情心。それが彼の行動の原点だが、考えは大きく戦略的だった。李登輝訪日問題も含めて日本が揺れるから、中国も日本の足もとを見てしまう。その結果、日中の信頼も生まれない。それが発想の基本にあった。

 中国に勤務しても、彼の関心はまず貧しい人々に向けられた。自身で貧困地帯を回り、人々の悲惨な状況に義憤を感じ、同時に中国の強さの裏の脆弱(ぜいじゃく)さに心を痛めた。死期の近いことを悟ってから、彼は渾身(こんしん)の力で「大地の咆哮」を著し、われわれに巨大な国の絵解きを残してくれた。

 「中国の現状をたとえて言えば、共産党一党独裁制度の旗の下、封建主義の原野に敷かれた特殊な中国的社会主義のレールの上を、弱肉強食主義の原始資本主義という列車が、石炭を猛然と浪費しながら、モクモクと煤煙(ばいえん)を撒(ま)き散らし、ゼイセイいいながら走っているようなものだ」(同書262ページ)

 彼の筆は中国の権力抗争にも腐敗にも及んだが、目標は、中国批判にあったのではない。この重要な隣国と日本はどうやってつきあい、そして和解に至るのか。そのロードマップをいかに作るか。それであった。

 北京、上海と続いた勤務の中で、大きな人脈を築き、さまざまな日中会談を成功させるための舞台回しを行い、そして中国に言うべきことを明確に言ってきた。上海総領事の時代、中国公安当局が彼の部下の電信官を自殺に追い込んだ。その時、杉本が個人的に行った強硬な抗議は、北京の指導部を動揺させたと聞く。しかし、彼は語らぬままだった。

 つい数日前、杉本にはまだ力が残っていた。彼は、誰よりも正確に自分の病状を知り抜いた上で、中国の将来の見通しを語り、気負うことなく、淡々と持論を語り続けた。

 彼の行動は徹底的な現実論と論考に支えられていた。靖国神社の中にアジアの戦争犠牲者を祀(まつ)る「鎭霊社」が存在することを指摘し、総理大臣は本殿だけでなく鎭霊社にも参拝すべきだと最初に説いたのも彼だ。靖国への総理参拝に違和感を持ちつつも、そのような行動が日中の政治問題と化してしまった以上は総理は参拝をやめるべきではない、とも主張した。日中関係を長期的に考えれば、いま参拝をやめて「日本は圧力に屈する国だ」という印象を中国に与える弊害の方が大きいという理由だ。日中関係は、感情で処理してはならない。杉本は、日本と中国が歩いていける細い道を示し続けて、そして、逝った。(寄稿)
by sakura4987 | 2006-08-05 12:01

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