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◆【正論】評論家・鳥居民 葬り去られた米国高官の対日宣言 (産経 06/8/9)


評論家・鳥居民の「正論」


 ■長崎への「原爆投下の日」に思う


≪歴史研究家の誤った認識≫

 今日は2発目の原爆が長崎に落とされた日だ。

 まず、私の次の推論を読んでいただきたい。

 もしアメリカが原爆攻撃をする意図がなかったのなら、昭和20年6月末から7月中に日本は戦争の継続を断念し、降伏していたであろう。

 首をかしげる読者も多いだろう。なにをばかなことを言っているのだと鼻で嗤(わら)う歴史研究者もいよう。

 だが、そのような歴史研究者は誤っている。

 例えばある研究者は次のように述べている。

 「B29空襲による被害だけでは、天皇は『かくなる上はやむを得ぬ』といわなかったであろう」

 「鈴木貫太郎首相も、通常爆撃だけでは降伏にもっていけなかったと証言している」

 妥当な判断だと思う人がいるかもしれないが、これは間違っている。

 アメリカ政府が日本に原爆を投下する意図がなかったのであれば、日本が受諾できる条件をはっきり明記して、日本に降伏を呼びかけてきたからである。

 鈴木貫太郎はこれを受諾すべきだと説き、天皇はうなずかれたことであろう。この説明だけでは誰も納得すまい。別の話をしなければならない。


≪米の狙いは中国内戦阻止≫

 歴史研究者がまったく気づいていない問題がある。1944年(昭和19年)5月、ルーズベルトは日本に対する無条件降伏の要求をそっと取り下げた。

 対日強硬政策を10年にわたって取り続け、日本をアメリカとの戦争に引き入れた対日本・中国外交の責任者、ホーンベックを解任し、前駐日大使のグルーを後任とした。

 ルーズベルトはアメリカがこの先、無条件降伏を無理押ししないことを日本側にはっきりわからせようとした。

 そこでグルーは、日本にとって皇室は不可欠な存在だと演説し、日本の戦争勢力は陸軍の過激派だと説いた著書を出版し、その要点はアメリカの大多数の新聞に掲載された。そして、その半年あとにグルーは国務長官代行の地位に就いた。

 日本の政府と軍は、アメリカのその動きは、アメリカ兵の犠牲を少なくしようと戦いを早く終わりにしたいと願ってのことだと理解した。

 そうではなかった。ルーズベルトはその理由を明かさなかったが、中国の内戦を予防するためには、日本との戦争を1日でも早く終了させねばならないと考えたのである。


≪奏上されていた早期終結論≫

 もうひとつ、歴史研究者が無視してきた重要な出来事がある。

 天皇は昭和20年6月上旬に内大臣、木戸幸一から東大法学部教授の南原繁と高木八尺(やさか)の次のような戦争の早期終結の提言を耳にして、釈然とするところがあったのである。

 アメリカ政府は日本との戦いを早く終わりにしたいと望んでいるが、戦いが長引き、本土での戦いが続くことになれば、アメリカ政府内部の日本に対して穏健な講和を望む勢力は力を失い、強硬な主張を唱える勢力に取って代わろう。

 皇室は国民と直結することによって、日本復興の源泉とならなければならないが、戦争を続ければ、皇室の安泰、国体の護持といった目的も失われてしまう。こういう主張だった。

 紆余(うよ)曲折はあったが、天皇はこの提言によって行動した。

 その紆余曲折について述べなければならない。

 1945年4月にルーズベルトは急死し、トルーマンが大統領となった。グルーは5月末と6月上旬、大統領に対日宣言を今こそ公表するときだと説いたが、大統領は2度とも逃げて回った。

 グルーはトルーマンの考えが見当つかなかった。日本政府はアメリカ政府の意図が見当つかず、ソ連に和平の仲介を求めることになった。

 さて、1945年7月末、グルーの対日宣言案から天皇制度保全の条項を削除した宣言をトルーマンは発表した。その16日あとに、その削除した条項を日本側に示した。その条項をそのまま復活したのではない。細工をほどこした。

 なんだ、日本に2発の原爆を落とす実験を終えるまで、日本を降伏させないために天皇制度保全の条項を保留しただけだと、のちのち批判されるのを予防するためだった。

 原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が出たであろうといった主張は、原爆の「公開」を日本の都市で行うよう命じた人物を救うためのお話である。
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by sakura4987 | 2006-08-09 17:02

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