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◆日本人よ、東京裁判と訣別せよ-福田和也 (日本の論点 06/8/10)


過去への問いを歪めないために――

http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/ron/06/022/r06022BNA1.html

福田和也 (文芸評論家、慶應義塾大学教授)


■≪アメリカにとって戦争は善が悪を倒す行為≫

 東京裁判――極東国際軍事裁判の思想的淵源をたどっていくと、アメリカという国のなりたちに行きつきます。

 二〇世紀なかば以降、今日にいたるまでアメリカが国際社会の主導権をにぎりつづけていることと、東京裁判が日本人のみならず、国際世論をまで呪縛し続けていることには、切り離すことのできない深い関りがあるのです。

 第一次世界大戦でアメリカ派遣軍司令官J・パーシングは、ドイツからの休戦提案を拒絶してベルリンまで進撃し、カイザーを裁判にかけるべきだ、と主張してヨーロッパの指導者たちを呆れさせました。

 旧大陸の、成熟した価値観から見れば、戦争とはクラウゼヴィッツが定義した通り、「外交の延長」にほかならず、各国が力ずくで自国の利益を追求する営為にすぎません。

 善悪をいいだせば、たがいに臑に傷を持つ身であるし、なによりも勝負がついた後に、敗者をいたぶるのは騎士道精神に反する、下品な行為としか思われなかったのです。

 けれども、アメリカにとって戦争は――たとえ、それが本質的には営利を追求するための行為であっても――善が悪を倒す行為でなければなりません。

 敗者は、倒されるだけでなく、悪として、邪なものとして罰されなければならない。

 南北戦争の終結後、北軍は南部連合の大統領デービスを逮捕し、足に鎖をつけて牢屋に入れ、裁判にかけました。デービスは、牢内で飼い葉桶から水をのまされるなど、かずかずの侮辱、虐待を受けたといわれています。

 ――東京裁判でも、A級戦犯にたいして虐待が行われました――が、こうした敗者の遇し方は、ヨーロッパ的基準から見れば野蛮でしかない。

 アメリカが、戦争にたいしてこうした態度で臨むのは、そもそもアメリカは祝福を受けた国である、神に選ばれた者たちの土地である、という意識に根ざしています。

 ピューリタンの初期植民地で、魔女狩りや火あぶりが行われたことは有名ですが、それだけ彼らは自らの正義にたいする確信と悪にたいする戦いに憑かれていた、といえるでしょう。


■≪連合国の訴追対象はドイツの残虐行為 ≫

 アメリカ人の好きな言い回しに「Manifest Destiny=明白な使命」という言葉がありますが、戦争は彼らにとって、自らの「使命」を証したてる営みにほかなりません。

 第一次世界大戦においては、脇役にすぎなかったアメリカは、第二次世界大戦において主役になります。ここにおいて、戦争にたいする、ヨーロッパ的功利主義は一掃されて、アメリカ流のピューリタニズムに席巻されます。

 戦争をめぐる環境も変化していました。ソビエトのように、戦争にイデオロギー的な正統性を求める国も登場しましたし、軍事技術の発展によって、一般市民の被害が莫大になりました。

 戦争がプロ同士の戦いではなく、無辜の市民、女性や子供を巻き込む殺戮行為に変化したために、政治家は勝利だけではなく、有権者の復讐感情をも満たさなければならなくなりました。

 そのため、敗者にたいするアメリカ式のあしらいに同調したのです。もちろん、アメリカに追随する利点が大きかったのですけれど。

 大戦中すでにアメリカの主導のもと、連合国は、戦争犯罪人を処罰するという方針を固めていました。ユダヤ民族の隔離や強制収容所への移送といった、ドイツ軍が占領地でおこなった蛮行が、こうした趨勢を正当化しました。

 四三年一〇月、連合国戦争犯罪委員会がロンドンに設けられましたが、留意すべきはこの時点ではあくまで訴追の対象とされたのは、いわゆる戦争犯罪、残虐行為であり、そうした行為に責任がある軍人やナチス党員を対象にしていたことです。

 残虐行為は、第一次世界大戦においても、ごく一部ですが、起訴されています。

 けれども、ドイツの降伏後、英米仏ソの四カ国の会議できめられた「重大戦争犯罪人の訴追および処罰に関する協定」(いわゆるロンドン協定)では、戦争犯罪以外に平和に対する罪をも罰するとしました。

 戦争計画にかかわった指導者とその共犯者は、計画の実行において生起したすべての犯罪に責任がある、と定めたのです。

 一九四五年八月一〇日起訴状が発表され、ゲーリンクをはじめ二四名が起訴されたニュルンベルク国際軍事裁判の審理は、四〇三回に及ぶ公判を経て、翌年九月末に途中自殺または病死した二名をのぞく二二名に判決が言い渡されました。

 絞首刑が一二名、終身刑三名、有期刑四名となり、三人が無罪となっています。


■≪対ドイツとは違って報復的だった東京裁判 ≫

 東京裁判は、ニュルンベルク裁判をもとにして行われたものですが、双方の判決を比較すると、ドイツでは死刑とされた被告のほとんどが、戦争犯罪にたいしてくだされ、平和にたいする罪の量刑は軽いものだったのにたいして、東京で死刑に処された被告は、侵略の首謀者として平和にたいする罪を問われたものがほとんどでした。

 この差は、ドイツにたいする処置にくらべて、日本にたいする姿勢が、より報復的であり、政治的であること、つまりは日本を悪として定着させることを目的としていたことをよく示しています。

 実際、ナチスにおけるホロコーストのような、民族や思想で選別した人々を計画的に大量虐殺するような犯罪を日本は犯していません。

 たしかに戦争をおこなった以上、さまざまな側面で責任を問われるべき、反省するべき事由がありましたが、それとてアメリカやイギリスといった交戦国に比して多いとは到底いえません。

 ポツダム宣言に、戦争犯罪人を厳重処罰することが記されていました。ですから、受諾した日本はその点については承知していましたし、事実、日本人自身の手で、裁判を行う用意も進められていたのです。

 けれども、昭和二十一年一月、連合国最高司令官マッカーサーは、極東国際軍事裁判所設立すると宣言して、オーストラリアのウエッブ裁判長、アメリカのキーナン主席検察官ほか十一カ国から裁判官、検察官が任命され、勝者が敗者を裁く儀式がはじまったのです。

 弁護には、二八人の日本人と二二人のアメリカ人があたりました。

 審理の過程で、極東国際裁判所条例は、事後立法であり、事後法で裁くことは違法ではないか、戦勝国にのみ平和に対する罪について裁判をおこなう根拠はどこにあるのか、国家の行為である戦争について、個人の責任を問うことができるのか、ポツダム宣言に記されていた戦争犯罪人は、従来の概念の戦争犯罪人であって、「平和にたいする罪」といった新奇な概念は念頭におかれておらず、このような裁判は降伏条件に違反するのではないか、といった根本的な異論が提示されましたが、弁護側が用意した膨大な資料とともに、とりあげられることなく、被告全員が有罪とされ、東條英機以下七名が死刑、木戸幸一以下十六人が終身禁固、二名が有期禁固刑という判決がくだされました。

 裁判長をつとめたウエッブはドイツと比較した場合、死刑に相当する被告は一名もいないという反対意見をのべ、インドのパル裁判官は判決本文よりも長大な意見書を書いて全被告人が無罪だと主張したことは有名です。


■≪拙速かつ米・ソ・中に都合のよい裁判だった ≫

 一連の経緯を見ていけば解るように、裁判自体は、きわめて恣意的かつ政治的なものでした。世界大戦を裁く法廷というものを許容するにしても、それはあまりにおそまつであり、拙速なものだったのです。

 けれども、この結論は、アメリカやソビエト、中国などの諸国にとってはきわめて都合のよいものでした。日本を非難し続けることができますし、原爆投下や中立の蹂躙など自分たちの蛮行を覆い隠すことができるからです。

 けれども、列国の都合に、日本人までが服する必要はありません。必要がないどころか、それは大変な悖徳であり、自らを害する行為といわなければなりません。

 現在、生きている私たちが、あの戦争が何だったのか、どのような過ちをおかしたのか、反省するべきなのか、と思い巡らすことは、当然のことですし、そうした思惟がなければ歴史を語ることも、未来を眺めることもできないでしょう。

 東京裁判と、その判決に訣別する必要があるのは、過去への真摯な問いを閉ざし、歪めてしまうからです。
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by sakura4987 | 2006-08-12 14:31

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