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◆「生身の人間」と「大御心」 感慨と政策峻別すべし (産経 06/8/15)


 政治学者・櫻田淳 

 一九八八年春に当時の富田朝彦宮内庁長官が崩御前年の昭和天皇の発言を控えたとされるメモランダムの中身が、反響を呼んでいる。

 筆者は、この「富田メモランダム」の真贋(しんがん)を判定する学術上の知見を持たない。

 従って、筆者は、昭和天皇が日独伊三国同盟締結を主導した松岡洋右や白鳥敏夫に冷ややかなまなざしを向けていたという広く伝えられた挿話に照らし合わせる限り、A級戦犯靖国合祀(ごうし)に昭和天皇が不快感を示したという「富田メモランダム」に関しては、「昭和天皇ならば、そのように仰せになったかも…」という以上のことは語りようがない。

 むしろ、この「富田メモランダム」に関して興味深いのは、それを受け止めた人々の反応の仕方である。

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 普段はあまり強調されないけれども、そもそも皇室制度とは、「生身の人間」によって担われている制度である。

 従って、天皇陛下をはじめとする皇室の方々が世のさまざまな出来事を前にさまざまな感慨を抱いたとしても、それは当然のことである。このことに留意しない議論は、あまり意義を持たない。

 従来、わが国における奇態の一つは、皇室の方々に半ば絶対の「無私」が要請された一方で、たまに皇室の方々の「私的感慨」とおぼしきものが公になった折には、その「私的感慨」を利用しようとする層が続々と出てきたことである。

 此度は、「進歩・左翼」層を中心としてA級戦犯靖国合祀に批判的な層が、持説の補強のために昭和天皇の「大御心」を利用している風情であるけれども、今年初頭の皇室典範改正論議沸騰の折には、男系男子による皇位継承の堅持を唱える「保守・右翼」層が、とある宮家から示された「女系天皇容認論への懐疑」に寄り掛かろうとしていたはずである。

 振り返れば、昔日、源平の時代から幕末まで、国内各層が「院宣」、「勅許」の類を得るべく熾烈(しれつ)な朝廷工作を展開したものであるけれども、平成の御代に至っても、「進歩・左翼」層であれ「保守・右翼」層であれ、持説に絶対の権威を付与するために皇室の人々の「私的感慨」に依ろうとしている構図は、何ら変わらない。「富田メモランダム」への反響は、そうした旧き構図を再び浮かび上がらせているのである。

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 しかしながら、このように国民各層の中に皇室の方々の「私的感慨」に依ろうとする傾きが残っている限りは、わが国は、立憲君主国家としての体裁を完全に整えていないことになる。そのことは、国民各層が個々の政策評価に際して皇室に頼っていることを意味するからである。

 「富田メモランダム」に関していえば、立憲君主国家における国民各層に求められる構えとは、「メモランダムが本当に昭和天皇の想いを伝えているのであれば、その想いは重く受け止められるべきである。

 ただし、それによって、個々の政策判断が左右されることは決してない」といったものであろう。君主の「私的感慨」と国家の「政策判断」が峻別されるのは、立憲君主国家の原則である。

 そして、こうした構えが国民各層の中に定着すればこそ、皇室制度は、「生身の人間」が担うものとして従来に比べ無理の少ない制度になるのであろう。

 筆者は、皇室の方々が今までよりも伸びやかに国民各層と交わり、さまざまな物事に「私的感慨」を示す場面が増えることを歓迎する。皇室の方々が出来るだけ窮屈さや無理の伴わない環境の下で日々の務めに臨まれるのであれば、それは誠に結構なことである。

 国民各層にとっては、皇室は「敬意と信頼」の対象である。そして、皇室の方々の「私的感慨」に対する依存と便乗の姿勢は、そうした「敬意と信頼」とは程遠いものなのではないか。

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【プロフィル】櫻田淳

 さくらだ・じゅん 昭和40年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。東洋学園大学で教えながら愛知和男衆議院議員の政策担当秘書を務める。専門は国際政治と安全保障。著書に『国家への意志』『奔流の中の国家』『国家の役割とは何か』など。
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by sakura4987 | 2006-08-17 10:55

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