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◆引き裂かれた日本の自画像 媚態、謝罪文化改めよ\美徳でなく国際的には悪徳


 (世界日報 06/9/18)

北欧文化協会理事長 武田 龍夫 ポスト小泉で異常な靖国報道

 「こいつは戦友を殺した憎い奴だが―死ねばホトケや」と米兵と戦友の墓標をつくって草花と川の水を手向ける日本兵の話があるが(寺沢冽)、この種の話は先の大戦中各地の戦線であったことで戦後これが「武士道の精神」として豪州軍から戦犯指定を解除された例も見られた。

 この種の類例は幾らでもあり、例えば虚構の南京事件で処刑された松井大将は日中友好を念願した中国通で、郷里に興亜観音像を建立して日中両国兵士の慰霊を行った将軍であるし、遠くは北条時宗が文永・弘安の役で元・高麗軍の戦死者と日本側の戦死者の慰霊のために開山した円覚寺があり、また日本が国際赤十字加入の際に紹介して関係者を感動させた楠木正行の渡辺橋での敵兵救助と看護の例もある。

 明治ではノギ、トーゴーと松山収容所が有名だ。

 そして先の大戦では撃沈した敵艦の上にその敢闘を讃えて花束を投下する心床しさをも示した。その他この種の例話にはこと欠かない。

 日本を憎悪した米国大統領ルーズベルトの死に対しても鈴木首相は丁重な弔電を送ったが、新大統領トルーマンは「野獣を扱うにはそれにふさわしいやり方があるものだ」と嘯(うそぶ)いて原爆投下書に署名したのである。

 私はここでポスト小泉を焦点とする靖国問題の異常な報道、論評ぶりを日本人の劣化現象と絡めて隣国中国の精神文化と比較論述してみたい。トルーマンの対米国例はその一般的示唆である。

 そこで中国であるが、よく言われる「同文同種」は錯覚に過ぎない。その民族性には例の伍子胥(史記)のように、死者の遺骸を墓地より掘り起こして鞭打つこと三百しかして後ち止む―といった苛烈なものがある。

 つまり五十年たっても百年たっても恨みを忘れない民族だということである。これに大陸系民族に特有な残虐さを伴うのである。

 五刑三千の残酷極まりない刑罰や宦官(これは騎馬民族の影響下で生まれる発想である)や纏足や人肉食の習慣(資治通鑑、芳賀矢一他)を思うとよい。(日本はそのいずれも拒否した)。

 つまりは島国稲作農耕民族と大陸系民族との違いである。


≪敗戦で日本人の精神美が一変≫

 これに白髪三千丈的誇大癖(日中戦争での被害者、被害額などの急増を思われよ)と虚偽捏造癖が重なるのである。そして、さらに宣伝癖も加わるのだ。

 しかも極め付きとしての「以夷征夷」のホモポリチカス的性格がこれを対外的な政策として体系化するのである。

 ここで既述の日本人を振り返ってみよう。

 その結果は「私は涙なくしてこの国を去ることは出来なかった」(ノルデンショルド)

 「戦前の日本人には命すら預けることが出来た。今の日本人はキライだ」(高齢の元米国兵)となり、

 マッカーサー元帥の「日本人は卑屈な国民であり、十二歳の国民である」の言葉となり、かつて彼らを魅了した日本人像は一変した。

 事実強大な連合国軍最高司令官宛日本人の投書の殆どはマ元帥賛美のものだった(当時の監修本)。

 これでマ神社建立の運動も消えてしまったのだが、ここには日本人の精神美が一変してその悪しき裏面で一般化したことが示されている。

 「あらゆる悪徳の中で最も軽蔑すべき悪徳は卑屈である」(マルクス)。

 かくて今や欧米人が魅了された日本人のイメージは無残にも引き裂かれてしまった(それは現在の世相を見ただけで充分であろう)。

 そしてそれは特に自己サディズムとしてのマゾヒズムとなった。言い換えれば謝罪文化のことである。

 これは日本でこそ美徳だが、国際的には逆説的な悪徳となるのだ。

 ここにいわゆるガイアツと「ミンナ私ガ悪イノデス」とするやりきれない日本人の人の良さがある。

 これに経済利益から政府批判をする経済界の声も加わる。

 そして「政争は水際まで」の原則を知らない政治家たち―そして自分はすべてを見通していたかのように偉そうに歴史を裁く驚くほどの無知に無知な、あるいは意図的な学者、言論人たち―歴史は裁くためにあるのではない。学ぶためにあるのだ。


≪罪作りなマスコミの靖国報道≫

 それにしてもポスト小泉を焦点とする靖国の異常な報道論評に狂奔したメディアの罪は重い。

 これまでと同様に最も悪質な巨大メディア「朝日(第二アカハタと呼ばれる)」と非公共放送NHKがこの問題の震源だからだ。

 彼らが何を言ったか書いたか煽動教唆したかを国民はよく覚えておくべきだろう。

 それにしても不当な内政干渉に迎合し媚態で応ずる日本人―自国の精神文化を売り渡してまで土下座する国民―われわれは何という情けない国民に成り果てたことだろう。

 かかる国民に明日はない。そして筆者は国論二分で聖書の言葉を思い出す。

 「その国分かれ争わばその国立たず。その家分かれ争わばその家立たず」(マルコ伝)。

 にも関わらず筆者は夢想する。

 日本人で隣国との平和な共栄を願わない者はいない。中国の胡錦濤主席が反対勢力を説得して来日し、日本の首相と共に花束を手に靖国参拝を行うとき、日本国民は圧倒的且つ熱烈な中国国民への友好感情を爆発させるであろうことを―。

 しかし中国側にはかかる寛容も雅量もないであろう。政治と国民性がそれを許さないからである。
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by sakura4987 | 2006-09-19 07:28

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