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◆【保守再考】西部邁(24)廃憲もまたよろし (産経 06/10/9)

 いよいよもって憲法改正が、五年ばかりの余裕があるとはいえ、政治日程に載せられる気配である。歓迎すべき成り行きともいえるが、改正の焦点がその第九条問題に、つまり「自衛隊の国軍昇格」と「集団自衛権行使の容認」のことに、限定されること必定と思われるのには残念を覚える。

 つまり、政治思想の次元でいえば、現憲法前文における(国民とは名ばかりで、実は)人民の主権「主義」(第一項)、アメリカ依存の平和「主義」(第二項)そしてアメリカ的政治道徳の普遍「主義」(第三項)のほうが問題なのである。

 さらにはその人権「主義」(第一一条)、自由「主義」(第一二条)そして個人「主義」(第一三条)も大いに問題含みなのだ。それらアメリカニズムの線に沿った様々の主義は、日本の歴史的な国柄の上に据え直されたときにのみ日本人にとっての根本規範となりうる、ということを忘れてはならない。

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 だがその前に、成文憲法の存在そのものに疑義を呈するのが保守思想の基本姿勢であることを思い起こしておく必要がある。国家(国民とその政府)を、歴史の切断・破壊に立って、人為的に設計・建築しようとする(フランス革命やロシア革命に典型的に現れた)社会実験の思想、それへの真っ向からの抵抗が近代の保守思想をもたらした。

 そのことを押さえておけば、不文の慣習法の最も根本的な層にあるものが、つまり時代を超えて共通(コモン)の普通法(コモンロー)こそが、国民の根本規範にかんする感覚と意識を保証する、とみなければならない。

 英国が今なお成文憲法を持たずに、いくつかの(国家の在り方にかんする)歴史的な文書を「憲法的な基本」と定めるにとどめているのは、この保守思想にもとづいてのことだ。

 それを我が国に援用すれば、聖徳太子の「十七条憲法」に始まり明治の大日本帝国憲法を経てGHQの「日本国憲法」に至るいくつかの基本文書を参照にして、現代日本人の現状における根本規範はいかにあるべきかをめぐって、正統な手続きに従って正当な内容の議論と決定が行われているなら、それで十分に我が国は立憲国家だといえる。

                     ◇

 前世紀後半における社会哲学の泰斗(といわれている)F・フォン・ハイエクは、コンスティテューション(憲法)をコンストラクト(設計)しようとするやり方を「理性の傲慢(ごうまん)」とよんだ。

 その傲慢は、知識人や政治家の、理論や理屈の、前提や枠組が、国民の歴史的な常識によって与えられるほかないことを知りえない、という無知からやってくる。

 「無知は、物を知っていると思い込んでいる人を襲う病気だ」(G・チェスタトン)ということである。廃憲の意義を理解できない病人たちによる改憲という蛮行がこれから始まる可能性大なり、と見込まなくてはなるまい。

 憲法は国民の常識の(流行ではなく)不易の部分にほかならない。それに傲慢にも設計の指示を与えるような憲法学者は社会にとって有害無益の人々と見定めてよいのである。

 (にしべ・すすむ=評論家、秀明大学学頭)
by sakura4987 | 2006-10-09 12:12

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