◆檻の中のハツカネズミ・・・同じ処を回るだけ
西村 真悟
次に、我が国国会が、今も慣れ親しんでいる、「法律に書いてあればできるが、法律になければできない」という前提で法律の条文解釈をこねくりまわすという議論の建て方について触れておきたい。
この議論は、実は、一部の局面でしか通用しないのである。
他に、「法律で禁じられていればできないが、禁じてなければできる」という重要な領域があるのだ。
前者をポジリストといい後者をネガリストという。
例えば、警察官職務執行法は、警察官ができることが書いてある。警察官は書いてあることはできるが、書いてないことはできない。従って、ポジリストである。
ネガリストとは、これと反対である。法律が明文で禁じたことはできない。しかし、明文で禁じていないことはできる。
現在の国会では、全てをポジリストの頭で処理しようとしている。従って、議論はご覧の通り不毛である。
しかし、この度の国連安保理決議の実施は、実はネガリストの領域にあるのだ。
即ち、我が国に、国際法に基づいて安保理決議を実施してはならないという法律が存在しないので、実施できるのである。
一九七七年、西ドイツのルフトハンザ機がアフリカでハイジャックされた(全く同時期に、日航機がダッカでハイジャックされている)。
この時に、西ドイツ政府は、国境警備隊をアフリカに派遣してハイジャック犯人を全員射殺して人質を解放している(日本政府は、犯人に屈服してその要求を全面的に飲んだ)。
西ドイツ政府は、如何なる根拠で国境警備隊をアフリカに派遣したのかと問われて、「国境警備隊をアフリカに派遣してはならないとの法律がないので派遣した」と回答した。
これが、ネガリストによる運用である。
我が国政治は、今こそ、このネガリストによる国家運営という領域を意識しなければ、ハイジャック犯にも屈服を続け、多くの国民に惨害が及ぶ危機を克服することもできないことを知るべきである。
のっぴきならない今こそ、今まで通りの平和なハツカネズミの檻から出るときだ。