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◆【詳説・戦後】第3回 憲法公布 満60歳(3-2)


 (産経 06/11/02)


 ■麻生太郎外相 「吉田は改正を考えていた」

 日本国憲法制定時の首相で、戦後保守政治の潮流をつくった吉田茂元首相の憲法観について孫の麻生太郎外相に聞いた。


 --昭和30年の保守合同では理念的な軸に憲法改正があった

 「吉田は保守合同時には自民党に参加しなかった(のち入党)が、日米安保、軽武装、経済復興最優先の考えだった。岸信介さんは自主憲法制定、自主防衛、対米自立という路線だった。当時の世論は憲法改正への志向は強かったと思う」


 --吉田元首相は憲法改正に反対だったのか

 「吉田は日米安保条約改定に賛成だったし、岸首相と結構会っていた。私は何回かその現場にいたことがある。ずっと座っていたわけじゃないが、そこで自主憲法の話やらなにやらしているのを聞いた。

 自主憲法制定に吉田は反対じゃ全くなかったね。『あのとき(=現憲法制定時)は、国体護持が最大の課題だったから、あれ(現憲法)をのむしかなかった。今はもう独立したんだから』というんだ。細かなところまでは記憶がないが、これだけは間違いない」


 --2人はどこで会っていたのか

 「新橋に『山口』という、今はなくなった料亭があった。そこじゃなかったかな。私は中学生か高校生ぐらいだった。ああいう所は(吉田元首相に連れられて)小学生ぐらいから行ってたから。渋谷の南平台の岸邸に吉田が行ったこともあるが、私は車の中で待っていた。結構、会談はやってましたね」


 --憲法改正はいまだに実現していないが

 「独立回復前の吉田の頭の中には2つあった。(戦前の)日英同盟を考えて、まず日米安保条約を結んだ。朝鮮戦争が始まって、アルゼンチンなんかが第3次世界大戦が始まると思って戦時体制を組むような時代だった。

 ソ連は朝鮮(半島)の次に日本に南下してくるぞと。これは(ロシア南下の脅威があった)明治時代と同じだから、日英同盟ならぬ日米安保だ。それと独立だ。この2つが優先だった。

 吉田は、独立さえすれば都合のいいように憲法を改正すればいいさ、と思っていたろうね。それが今日まで改正できなかったのは、冷戦が激しくなって国防費にカネを取られては復興できなくなる、という風潮になった。

 また、経済成長がうまくいき、憲法や教育といった国の根幹にかかわる話より、経済へ国民の関心が移ったからじゃないか」


 --最近、国民投票法案の審議が始まるなど憲法改正に向けた動きが進みだした

 「時代が変わったんだよ。戦後の憲法のおかげで戦争がなかったなんて言っている人がいるが、全然そう思わない。たまたま国際情勢がそうなっただけのことだ。

 いかにも英文和訳っていう文章ではなく、憲法は、美しい大和言葉、正しい日本語にしてもらいたい。明治憲法をつくるとき、欧米と違ってキリスト教の道徳がないのを理由に、伊藤博文が断念しかかった。

 『五箇条の御誓文』を起草した由利公正は『日本には皇室がある』といって、欧米憲法の根幹であるキリスト教の道徳律に代わる教育勅語ができた。

 天皇陛下の命令ではなくて、陛下も国民と一緒に『庶幾ふ(こいねがう)』もので、明治憲法のバックボーンとなった。これが戦後に廃止され、無味乾燥な教育基本法ができた。

 今、教育基本法の改正から手をつけているのは、正しいアプローチだ。教育基本法をきちんとして、その上で憲法を、というのは明治の例から見ても正しいと思う」

                    ◇

【プロフィル】吉田茂

 よしだ・しげる 首相として昭和21年の大日本帝国憲法改正案の国会での審議、改正、同年11月3日の公布、翌年5月3日の施行に携わった。

 吉田氏は24年4月5日、衆院本会議で「憲法改正の意思は、今日において持っておりません。今日われわれの念願いたすところは、経済の復興であり、日本の再建であるのであります」と答弁。

 独立回復後の29年5月28日の参院地方行政委員会でも「基本法である憲法は軽々しく改正いたすべきものではない。従って私は憲法を改正する今日意思はございません」と述べた。

 また、32年12月18日の内閣憲法調査会総会に「憲法改正は時期尚早」とする「吉田書簡」を寄せている。



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◆【詳説・戦後】第3回 憲法公布 満60歳(3-3)

 (産経 06/11/02)


 ■悲願引き継ぐ 安倍晋三首相

 安倍晋三首相の憲法観は、祖父の岸信介元首相の自主憲法論と極めて近い。

 生前、岸氏は「占領軍から威迫を受けて、憲法を採用するよう求められた。日本の歴史や伝統を無視し、あらゆる権威を失墜させるため、国際法でも国際慣行でも禁止されている占領中の憲法改正を日本に押し付けたのが当時の実情」と説き、「我々は自らの手で、日本人の魂を打ち込んだ自主憲法を制定しよう」と訴えた。

 安倍首相も平成16年2月のインタビューで「できたものが良ければいいという人もいるが、国の基本法の制定過程にはこだわらざるを得ない」と明言。著書「美しい国へ」(文春新書)では「連合軍の最初の意図は、日本が2度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった」と指摘。10月31日の米CNNテレビなどのインタビューで「自民党総裁任期は3年で2期まで。任期中に憲法改正を目指したい。時代にそぐわない条文として、典型的なものは9条だ。日本を守る観点や、国際貢献を行っていく上でも改正すべきだ」と、任期内の憲法改正を目指す考えを明確にした。


 ■国民投票、早くても21年 

 現時点で憲法改正の見通しは立っていないが、どんなに早くても実現は平成21年以降になる。

 これは、憲法改正に必須の国民投票の制度が未整備なのも大きく影響している。衆院憲法調査特別委員会(中山太郎会長)では、国民投票法案の与党案、民主党案の審議が始まったが、どちらも施行は法律の公布から2年後と定めている。

 さらに、憲法改正案の国会発議から国民投票まで60~180日間の周知期間があるため、どんなに早くても国民投票の実施は21年以降になる。

 国民投票関連法案が成立すれば、次の国会で、衆参両院に常設の「憲法審査会」が置かれる。

 審査会は憲法改正案の審議を行う権限を持つが、衆院憲法特別委の質疑で自民党側は、審査会発足後、2年ないし数年間は審議は調査にとどめ、改正案の審議は行わないことを“約束”している。

 国民投票法案は投票年齢などをめぐって与党と民主党の妥協が成立するか見通しが立っておらず、今国会で法案が成立するか不透明だ。

 このため21年中に憲法改正に関する国民投票が実施される可能性は低く、自民党は当面、昨年まとめた新憲法草案の検証作業を進める方針だ。

 森清・元自民党憲法調査会副会長は「新憲法草案は不十分な内容で、党内の意識を改革する必要がある。首相が(改正に)5年かけると言ったのはよかった」と語る。

                    ◇

 ■安倍首相の憲法改正に関する発言

 【自民党幹事長時代】

 平成

 16年2月3日 「(改正すべき)理由は、3つある。現行憲法は占領下、憲法の素人だったGHQの若いスタッフが極めて短期間に作り上げた。できたものが良ければいいという人もいるが、国の基本法の制定過程にはこだわらざるを得ない。2つは制定から半世紀以上が経過し、明らかに時代にそぐわない条文もある。新しい憲法を自分たちで書き上げていこうという精神こそが、新しい時代を切り開いていく力になるからだ」(産経新聞のインタビュー)

 【官房長官時代】

 18年9月1日 「戦後レジーム(体制)から、新たな船出をすべきだ。21世紀にふさわしい国のあり方を示す新憲法制定のためリーダーシップを発揮していく」(自民党総裁選の出馬会見)

 9月11日 「(憲法改正は)場合によっては5年近くのスパンも考えなければならない。国民的な議論が進み、コンセンサスを得る目安がつけば前倒しを考えるが、拙速でできるものではない。総裁としてコンセンサス作りでリーダーシップを発揮していきたい」(日本記者クラブでの総裁選候補者討論会)

 【首相就任後】

 9月29日 「日本が占領されている時代に制定され、すでに60年近くがたった。与野党で議論が深められ、方向性が出ることを願っている」(所信表明演説)

 10月3日 「憲法改正の目的が海外で戦争をする国をつくることとの批判は、まったく当たらない」(衆院本会議での答弁)

                    ◇

【用語解説】自民党新憲法草案

 自民党が立党50年の平成17年秋にまとめた憲法改正案。主要政党が初めて条文の形でまとめた憲法改正案で、前文と10章105条で構成。交戦権否認の現9条2項は削除し、国防と国際協力、災害派遣など公共の秩序維持が任務の自衛軍の保持を明記。集団的自衛権の行使も容認した。

 環境権など新しい権利を創設し、憲法改正要件は緩和した。前文で国民が「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」を持つとしたが、公明党や民主党に配慮して、中曽根康弘元首相が中心になってまとめた前文原案にあった日本の歴史、伝統、文化の要素を削った。

 このため「保守らしさを欠く」と自民党内からも批判がある。自民党憲法審議会は新憲法草案の検証作業を進める方針だ。

                    ◇

 【憲法改正をめぐる主な動き】

 昭和

 21年 2月 GHQが総司令部案を日本政府に提示

    11月 日本国憲法公布

 22年 5月 日本国憲法施行

 27年 4月 独立回復

 29年 3月 自由党憲法調査会(岸信介会長)初会合

     9月 改進党憲法調査会(清瀬一郎会長)が憲法改正を求める報告をまとめる

    11月 自由党憲法調査会、憲法改正要綱をまとめる

 30年 2月 衆院選で憲法改正を公約とする日本民主党が第1党

     7月 自主憲法期成議員同盟結成

    11月 保守合同で自由民主党が誕生

 32年 8月 岸首相が内閣に「憲法調査会」を設置

 39年 7月 憲法調査会が改憲論と改憲不要論を併記した最終報告書を池田勇人首相に提出

 44年 5月 自主憲法制定国民会議(岸会長)が発足

 47年 6月 自民党憲法調査会が「憲法改正大綱草案(試案)」を作成

 55年 8月 奥野誠亮法相が衆院法務委で自主憲法制定について「そういう空気が国民の間から生まれてくれば望ましい」と発言、野党が批判

 平成

 5年  4月 自主憲法期成議員同盟・同制定国民会議が日本国憲法改正草案まとめる

    12月 細川護煕内閣の中西啓介防衛庁長官が現憲法を批判、自民党の追及を受け引責辞任

  9年 5月 憲法施行50周年を機に超党派の憲法調査委設置推進議員連盟(中山太郎会長)が発足

 10年12月 民主党憲法調査会が発足

 11年 8月 小沢一郎自由党党首が「文藝春秋」9月号で憲法改正試案を公表

    12月 公明党憲法調査会が発足

 12年 1月 衆参両院の憲法調査会で論議開始

 14年 7月 民主党憲法調査会が「創憲」を視野に入れた報告をまとめる

 15年 8月 小泉純一郎首相が山崎拓自民党幹事長に17年11月までに憲法改正試案をとりまとめるよう指示

 16年10月 公明党が自衛隊の存在認定などを憲法9条に追加する是非を「加憲」論議の対象とする運動方針を採択

 17年 4月 衆院憲法調査会が9条を含む憲法改正の方向性を明示した最終報告書を議決

     9月 衆院選で自民、公明両党の与党が初めて衆院で憲法改正発議に必要な3分の2ラインを上回る。衆院憲法調査特別委員会が発足

    10月 自民党新憲法起草委員会(森喜朗委員長)が「新憲法草案」を、民主党の旧民社系議員らによる「創憲会議」が新憲法草案をまとめる。

        民主党が憲法提言を発表、条文化は見送る

 18年 6月 衆院憲法調査特別委で国民投票法案が審議入り

     9月 安倍晋三首相が就任会見で「(改正を)政治スケジュールにのせるべくリーダーシップを発揮する」

    10月 自民党が党憲法調査会を憲法審議会に格上げ
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by sakura4987 | 2006-11-03 10:09

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