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◆資料・世界12か国で行われている北朝鮮による拉致犯罪


家族会・救う会

 北朝鮮による拉致は全世界で行われている。最低12カ国の国民が拉致されて
現在も帰れずにいる。

 2002年9月、北朝鮮政府は13歳の少女を含む日本人を拉致したことを認
めた。

 韓国政府によると朝鮮戦争中に8万2959人、戦後に489人の韓国人が北
朝鮮により拉致され抑留され続けている。

 家族会・救う会の調査で、タイ人、レバノン人、ルーマニア人、中国人の拉致
被害者の存在が判明し、フランス人、イタリア人、オランダ人、ヨルダン人、マ
レーシア人、シンガポール人拉致に関する有力情報が明らかになった。

 すなわち、拉致被害国民は最低合計12カ国に上る。

 北朝鮮による拉致は日朝2国間に限定された問題でない。世界中12カ国以上
をまたにかけて北朝鮮が行った国家テロに対して、国際社会が団結して解決すべ
き問題である。

 日韓以外の拉致について概要をまとめておく。

1 タイ人拉致
 帰国した拉致被害者曽我ひとみさんとその夫ロバート・ジェンキンスさん夫妻
は、2005年「ジェンキンスさんと同じような脱走米兵があと3人おり、その妻は
全員拉致被害者で、タイ人のアノチャさん、レバノン人のシハムさん、ルーマニ
ア人のドイナさんだった」とし、彼女らから聞いていた身元情報を詳しく証言し
た。

 2005年10月、曽我・ジェンキンス証言がタイで大きく報道され、197
8年マカオで失踪したタイ人女性アノチャさんの家族が名乗り出た。同年11月
家族会・救う会が家族と面談して調べたところ、失踪時期・場所「1978年7
月・マカオ」、失踪経緯「自称日本人男性の観光案内をしているとき海岸で襲わ
れ船に無理矢理乗せられた」、家族関係「父と兄一人」、失踪前の職業「ホテル
のマッサージ師」が曽我・ジェンキンス証言と完全に一致した。タイ政府は北朝
鮮政府に対して調査を要請したが、北朝鮮政府はそのような女性は国内にいない
と回答した。

2 レバノン人拉致
 曽我夫妻が証言したレバノン人のシハムさん拉致についてはすでに事件の概要
が明らかにされている。1978年7月、シハムさんが他の3人のレバノン人女
性とともに日本企業に就職させると騙されて北朝鮮に連れて行かれた。1979
年、そのうち2人がベオグラードで隙を見て脱出に成功した。レバノン政府が北
朝鮮と交渉して残りの2人も1979年11月に取り戻した。しかし、シハムさ
んは北朝鮮で脱走米兵と結婚し妊娠中であったため、再び北朝鮮に戻り、現在も
北朝鮮に住んでいる。

3 ルーマニア人拉致
 ルーマニア人被害者のドイナさんに関しては、曽我・ジェンキンス証言以外に
情報がない。1978年7月、イタリアで絵の勉強をしているときに、画家にな
るため香港あるいは日本に行こうとだまされ拉致され、脱走米兵と結婚し息子を
二人もうけたという。1984年から曽我夫妻と同じアパートで暮らし、199
7年に癌で死亡した。父はルーマニア人、母はロシア人で両親はルーマニアにい
るという。すでに外交ルートを通じて日本からルーマニア政府にこの情報は伝達
されているが、現段階で該当するルーマニア人失踪者は見つかっていない。

4 中国人拉致
 タイ人女性アノチャさんが拉致された1978年7月2日に、二人のマカオ人
女性が失踪している。アノチャさんと同じく自称日本人に観光案内を頼まれ、姿
を消している。ホテル・リスボア宝石店店員の洪レンインさん(1957年生ま
れ)と蘇妙珍さん(1955年か1956年生まれ)だ。

 一方、「洪さんというマカオ人拉致被害者女性と親しくつきあっていた」と証
言する韓国人拉致被害者がいる。1978年に北朝鮮に拉致され1986年に脱
出した韓国人女優崔銀姫氏だ。

 家族会・救う会は、2005年12月崔銀姫氏から洪さんの身の上などに関す
る話を詳しく聞き取り、2006年1月マカオで孔さんの家族から確認作業をし
たところ、家族構成「母親と弟一人がマカオにいる。マカオに逃げてくるとき一
緒に来られなかった父親は中国本土に住む」、父母の職業「教師、針仕事」、学
歴「高校時代バレーボールの選手、高校卒業後、大学に行きたかったが、弟を大
学に進学させるため就職」、職業「宝石店店員、副業観光ガイド」、年齢「拉致
されたとき20歳の夏」、宗教「カソリック」などすべてが一致した。また、崔氏
は孔さんのバブテストネームが「マリア」だと証言したが、家族はそれを覚えて
おらず、後日教会に確認して間違いないことが判明した。

 2006年10月8日、訪中した安倍総理は晩餐会の席で温家宝・総理に「中
国人で拉致された人はいるか」と尋ねたが、温総理は「確認されていない」と回
答した。

5 フランス人、イタリア人、オランダ人拉致 
 前述した通りレバノン人拉致被害者は1979年に救出されたが、その直後に
レバノン政府の聞き取り調査を受けた。『エル・ナハル』(レバノンのアラビア
語新聞)1979年11月9日付には、そこで彼女らがヨーロッパ人拉致につい
て次のような証言をしたと報道されている。

「パスポートを没収された後、ある施設に移送された。同施設では、柔道、テコ
ンドー、空手のほか、盗聴などあらゆるスパイ活動のための訓練が行われ、金日
成思想への洗脳も行われた。同施設には28人の若い女性がおり、その中にはフ
ランス人3人、イタリア人3人、オランダ人2人、その他中東や西ヨーロッパか
らきた女性が含まれていた。また、彼女らは反抗することが不可能であった」。
なお、現在レバノンや米国などに住む3人の被害者女性は北朝鮮のテロを恐れて
いるためか、マスコミの取材を拒否し沈黙を守っている。

 フランス人拉致被害者については、韓国人拉致被害者の崔銀姫氏の次のような
具体的な証言がある。

 「フランスに派遣されていた工作員は、東洋の富豪の子息のふりをして、これ
はと思った女性に接近、物量攻勢で誘惑した。そのフランス女性は虚栄心が強かっ
たのか、誘惑に負け工作員と婚約するに至った。

 工作員は婚約者に婚約記念旅行をしようといって中国に連れて行き観光旅行を
させたのち北朝鮮まで連れて来た。

 平壌空港に到着すると、その工作員はどこかに消えて、代わりに別の工作員が
現れ、その女性を引き受けた。フランス女性が婚約者を探してほしいと頼むと、
新しく担当した工作員が、「そんな人はここにはいない』といって、彼女を招待
所に軟禁し、洗脳工作を始めた。」(崔銀姫・申相玉『闇からの谺・下』文春文
庫31~32頁)。

 崔氏は家族会・救う会に、「この情報を伝えてくれた人物は、招待所の中だけ
を巡回する理髪師の男性だ」と明らかにした。

 また、大韓航空機爆破テロの犯人である元北朝鮮工作員金賢姫は著書の中で、
崔証言とほぼ重なる以下のような拉致被害者を主要する施設に勤める世話係の女
性から聞いた話を記している。

「この前拉致されてきたかわいい外国人の女性がいたんだけど、北朝鮮工作員に
だまされて連れてこられたんだって。北朝鮮にくるやその工作員はどこかに消え
てしまい、その外国人女性は自分を連れてきた工作員を探してくれと何回も頼ん
だけど、たわごとを言うな、と毎日殴られていたのよ」(金賢姫『忘れられない
女 李恩恵先生との二十ヵ月』文春文庫248~249頁)。

6 ヨルダン人拉致
 崔銀姫氏は北朝鮮で、拉致被害者である可能性が高いヨルダン人に会っている。
家族会・救う会が崔氏から聞き取ったヨルダン人情報は以下の通り。

 1978年12月から79年春頃、平壌・東北里招待所4号閣に住んでいた。
散歩中に一度出会い、言葉を交わした。「ヨルダンから来た」といっていた。2
0代に見えた。崔はそのとき手編みした毛糸の帽子をかぶっていた。

 招待所の職員を通じてその帽子はどこの外貨ショップで売っているのかと尋ね
られ、手編みだと答え、その後で彼女のために毛糸の帽子を編んで贈り物した。
クリスマスにハンカチーフをお返ししでもらった。

 大きな声で指導員に不満を言っているのを木の間から目撃したことがある。指
導員とともに比較的自由に買い物などに行っていた。

 スパイ訓練を受けた後、北朝鮮から出てスパイとして活動しているのかも知れ
ないと推測している。

 ちょうどその頃、ヨルダン国王が北朝鮮に来た。自分の国の人間がここに拉致
されているのに、北朝鮮当局から歓迎されておかしいと感じた。

7 マレーシア人、シンガポール人拉致
 1978年8月20日、5人の女性が拉致される事件が起きている。自称日本人
の男性2人がエスコートガール会社に船上パーティーへ女性の派遣を依頼し、派
遣された19歳から24歳の女性が船ごと行方不明となった。マレーシア人Yeng
Yoke Fun,22、Yap Me Leng,22、Seetoh Tai Thim,19、Margaret Ong Guat
Choo,19、とシンガポール人Diana Ng Kum Yim,24歳、だ。

 2005年、5人の写真を見たジェンキンスさんが、そのうちYeng Yoke Funさん
について「1980年から81年にかけて目撃した平壌の遊園地の売店で働いて
いた女性と似ている」と証言した。

 先述のごとくマカオで起きたタイ人、中国人拉致事件の犯人もやはり自称「日
本人」だったが、その似顔絵をシンガポール警察がエスコート会社経営者に見せ
たところ、「5人を拉致した犯人とそっくりだ」と証言した。

 Yengさんの兄が2005年12月16日、クアラルンプールのマレーシア華人
協会(MCA)の会館で記者会見して、妹の救出を訴えた。

 一方、この事件との関係は明らかではないが、崔銀姫氏は北朝鮮抑留時に招待
所のおばさんから「マレーシア人の夫婦が別の招待所にいる」ときいている。

8 12カ国からの拉致の背景
 全世界で起きた北朝鮮による拉致事件は、1970年代後半に集中している。

 事件発生時期が明確なタイ人、レバノン人、中国人、マレーシア人、シンガポー
ル人拉致は1978年に事件が起きている。フランス人、イタリア人、オランダ
人、ヨルダン人、ルーマニア人拉致も70年代後半になされたことは証言などか
ら明らかだ。日本人拉致も70年代後半に集中している。韓国でも1977年か
ら78年に海岸で5人の男子高校生が拉致する事件が連続して起きている。

 元北朝鮮工作員の安明進氏は「拉致は遅くとも1960年代からあったが、本
格化するのは70年代中頃からだ。74年金正日が後継者に選ばれた後まず手を
伸ばしたのが資金、人材のすべてが優先的に回されている朝鮮労働党対南工作部
門だ。金正日は工作部門を掌握するために、74~75年にそれまでの工作活動
を検閲し、その成果はゼロだったと批判した。そして、『工作員の現地人化教育
を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ』という指示
を出したのだ。その指示により、日本人をはじめとして韓国人、アラブ人、中国
人、ヨーロッパ人が組織的に拉致された。自分はこのことを金正日政治軍事大学
で、金正日のおかげでいかに対南工作がうまくいくようになったかという例とし
て学ばされた」と証言している。安明進氏以外の複数の元工作員もほぼ同じ内容
の証言をしている。

 北朝鮮の独裁者金正日こそが全世界で多くの人々を拉致した、許し難い国家テ
ロの首謀者である。 
by sakura4987 | 2006-11-03 11:23

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