◆【正論】国学院大学教授・大原康男 改めて靖国問題の正しい理解を
(産経 06/11/09)
■「鎮霊社」根拠の分祀論は誤り
≪まだ下火でない靖国論議≫
安倍晋三首相は靖国神社秋季例大祭に合わせた参拝をひとまず見送った。当面は緊迫する東アジア情勢を考慮して“曖昧(あいまい)戦術”を続けるのはやむを得まいが、いずれ持論に沿った明確な姿勢が示されることになると期待したい。
靖国神社に関してはもう1つ、去る10月12日、福岡高裁那覇支部は「小泉首相靖国神社参拝沖縄訴訟」の控訴審判決を言い渡した。平成13年以降、全国6都道府県で提訴された一連の訴訟のうち残された高裁判決の1つだが、その結論はこれまでの判決と同様、原告の請求をすべて退けるものであった。すでに大阪などの訴訟で最高裁の判断が下されていたこともあってか、メディアの関心は低く、判決を報じたのは全国紙(首都近郊版)では「朝日新聞」のみ。この種の訴訟の風化現象が早くも現れつつあるのだろうか。
とはいえ、靖国論議が下火になっているわけでは決してない。少々旧聞に属するが、8月15日の小泉純一郎首相(当時)の参拝を牽制(けんせい)するため、また、その1カ月後の自民党総裁選の重要な争点にさせるためでもあろう、靖国神社をめぐるさまざまな問題が各紙で取り上げられ、それらの議論はまだ依然として続いているからである。
≪「鎮霊社」の対象は不特定≫
その中心はやはり“A級戦犯”の分祀論である。たとえば「靖国神社の非宗教・国営化案」は、A級戦犯分祀を暗黙の前提にしているし、また、大戦末期に東条英機陸相(当時)の名で発せられた「合祀基準」では、合祀の対象は「戦役勤務に直接起因」して死亡した軍人・軍属に限定されていたことを捉えて、“戦犯”は合祀の「欠格者」ではないかと示唆する記事(8月5日付「共同通信」配信)もその1つである。
これらの点については別に批判しているのでそれに譲るとして、もう1つ注目すべきなのは、つい最近一般に公開された「鎮霊社」の問題であろう。「鎮霊社」はペリー来航以来の戦争・事変に起因して死没し、靖国神社に祀られていない人々の霊を慰め、併せて諸外国の戦没者も鎮祭するために昭和40年に建立された靖国神社の境内社である。
近世以降、人を祀った神社や霊社は全国に広く見られるが、「鎮霊社」のように祀る対象を特定せず、不特定多数の人々を包括的に合祀したものはほとんどなく、きわめて珍しい例である。これがなぜ分祀論につながるのか。
最初にこの問題を取り上げた8月12日付「東京新聞」と最近になって追いかけた10月12日付「毎日新聞」両紙の記事で共通しているのは、“A級戦犯”は本殿に合祀される前に「鎮霊社」に祀られていたとする一部の説をそのまま援用していることである。そこから本殿への合祀は「鎮霊社」からの分祀であり、ならば再び「鎮霊社」にお帰りいただけばよい、という論を導くのはさほど難しくはあるまい。
たしかに「鎮霊社」の鎮座の翌年である昭和41年に“A級戦犯”の「祭神名票」が厚生省(当時)から神社に送付され、53年に合祀された経緯からすれば、一理あるかに見えるが、はっきりしているのは、A級14人の合祀は「鎮霊社」とは全く関係なく、他のご祭神と同様に定められた手続きと方式によってなされたということである。
≪新手の分祀論に誤謬あり≫
当初、彼らが「鎮霊社」の慰霊の対象であったのかどうか、よく分からないが、仮にそうだったとしても別に不思議なことではない。同じ境内にある別々の社殿に同じご祭神が祀られているという事例はほかでもみられるからである。「『鎮霊社』にお帰りいただく」という新手(あらて)の分祀論の誤謬(ごびゅう)は明らかであろう。
ついでながら触れておくと、「東京新聞」の8月29日付「中日ウェブプレス」は「鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが、御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象」であるとして両者を区別している靖国神社の見解に対して、「慰霊ならば宗教的な行為といえるが、顕彰というのは国のために死んだ人をたたえるという政治的な行為だ」と批判する千本秀樹筑波大学教授のコメントを紹介している。
何とも単純な二分法ではないか。各地には地域社会のために尊い命を捧げた、いわゆる「義人」を祀る神社が多数存在する。そこには「慰霊」とともにその義挙を「顕彰」する思いが込められているのが普通である。これが「政治的な行為」なのであろうか。欧米における戦没者追悼の基調音が「mourning」と「honor」の2つから成っているというのに…。