◆【亡食の時代】第6部 再生への胎動(1)自治体の危機感 (産経 06/11/20)
■手応え、反発…手探りの一歩
「飽食」という時代が落とす現代の食の陰影を綴(つづ)った連載企画「亡食の時代」。最終部となる第6部は「再生への胎動」と題し、食の再興に挑む現場を追う。1回目は、時に反発を招きながらも、手探りで乱れた食生活の改善に取り組む自治体の現状を報告する。
「市販のスープでも、野菜を入れるだけで全然違うのよ」
管理栄養士の吉田博子さんの声はやさしい。
「本当だ、自然の甘みがする」「まろやかになった」。試食した中高生や女子大生が次々と驚きの声を上げた。
今月中旬、昭和女子大学の学園祭で開かれた東京都世田谷区の「出前型食育講座」。
主なターゲットは近い将来、子育てをする立場になる20代の若者たちだ。今年から月に1回、区内のNPO法人と連携し、2トントラックにコンロを積み込んだ「クッキングカー」を大学や駅前など若者が集まりやすい場所へ走らせ、簡単にできる料理を紹介している。
公民館や集会所で開く従来の食育講座では、参加者は食に対する関心が高い中高年層に偏りがちだ。外食が多く、生活も不規則…そんな“無関心層”に訴える仕掛けがクッキングカーだった。
「外で開く移動型の講座なら、予約もいらず、通りかかった人が気軽に参加できる。若者が食に関心を持つきっかけになれば」と世田谷保健所の渡邊裕司・健康推進課長。
この日の講座では、自ら削ったかつお節でだしを取ってみそ汁を、さらに地元の野菜を使って菓子を作った。外食や中食が増える現状に合わせ、市販のコンビニ弁当に野菜を加えてバランスを整える方法を教えることもある。
「一人暮らしの子はあまり自炊をしない。実家に住んでいても食事の支度を手伝わない。『食事を作って食べる』という(基本的な)体験が足りないのです」と吉田さん。若い世代に少しでも多く食に触れる経験を積ませたい、との思いが言葉の端々ににじむ。
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青森県鶴田町。津軽平野の中央に位置する人口1万5000人余りの町で、朝食を食べない児童・生徒の割合がここ4年間で5%ほど減った。「朝ご飯をしっかり食べないといけないという考えが広まってきた。効果は確かに出てきている」。中野●司(けんじ)町長は手応えを口にする。
鶴田町は2年前、「朝ごはん条例」を制定し、町挙げての食生活改善に乗り出した。きっかけは、平成13年度の食生活状況調査の結果だった。児童・生徒の1割が朝食をとらず、3割が午後10時以降に寝ていた。家庭における生活習慣の乱れが、市町村別の平均寿命調査において全国で下から10番目(男性、平成12年)という数字につながっている、という声が上がり、条例づくりの機運が高まった。
条例の柱は▽ごはんを中心とした食生活▽早寝、早起き運動の推進▽食育の強化-など6項目。1日に取る塩分の量など、項目ごとに数値目標や行動計画を設け、達成状況を調査している。
学校給食の立て直しも図った。小中学校の全教室に保温ジャーを置き、温かいご飯を出せるようにし、地元農家の有志で作る「給食応援隊」が取れたての野菜を定期的に届けるようになった。
「欠食や夜更かし…そんな生活習慣の乱れは、都会だけの話だと思っていた」(町職員)という町民の意識が、条例制定を機に変わりつつある。
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失われた家族の団欒(だんらん)を取り戻そうと動き出した自治体もある。
群馬県は毎月19日を「家族でいただきますの日」とし、家族そろっての食事を呼びかけるキャンペーンを始めた。
「今の親は子供に教えられるだけの中身を持っていないかもしれない。でも、家庭で食事について話し合うきっかけ作りになる」と、制定に携わった群馬県栄養士会の細野勝美会長は話す。
企業に残業を減らすよう呼びかけたり、スーパーで地元食材を安売りして家庭での料理を促したり-。「まだ手探りの状態」(県食品安全課)だが、効果を上げるための具体案はいくつか出てきている。
自治体が進める食育政策に対しては「行政が家庭の食卓にまで口出しするのか」という反発も少なくない。それでも、多くの自治体が対策に乗り出す背景には「今、手を打たなければ深刻な事態を招く」という強い危機感がある。
中野町長はこう問いかける。
「どこの家庭も自分たちの食生活はいいものだと思っている。それなのに、肥満や夜型生活の子供が増える。行政も、誤った考え方には『それでいいのですか』と訴えかけていく必要があるのです」(「食」問題取材班)
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■啓発には具体案の提示が大切
《提言》「日本食育学会」発起人の一人、高野克己・東京農業大学教授(食品化学)
外食が普及するなど社会が大きく変化しているのに、それに対応する食育をしてこなかったツケが出てきている。家庭で食事を作る機会が減っているので、行政や学校が動かなければ、もはや解決できない状況なのだろう。
行政の役割は、どの政策が有効かをきちんと選別し、現場をよく知る学校やNPOを支援すること。「家族の団欒を取り戻そう」とかけ声をかけても、サラリーマン家庭では現実的には難しい。休みの日はレジャーに行き、家で食事をとらない人もいる。
キャンペーンを展開して啓発することは悪いことではない。だが、成果を上げるための具体的な手段を示さなければ、「またこんなことをやっている」という冷めた反応を生むだけで、かえって逆効果になる可能性があるのではないか。
●=堅の土が手