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◆真珠湾攻撃から65年 運命の日 昭和16年12月8日 (産経 06/12/01)


 ■日曜の朝、切られた口火

 今月8日は、日本海軍の空母機動部隊が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争(大東亜戦争)に突入してから65年にあたる。運命の日「昭和16年12月8日」はどのような日だったのか。

 ≪トラ・トラ・トラ≫

 そのとき、真珠湾は日曜日の朝だった。

 海軍機動部隊は空母6隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻などからなる大艦隊で、択捉(えとろふ)島の単冠湾(ひとかっぷわん)を出航し、ハワイ沖にひそかに接近していた。

 日本時間12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、第1次攻撃隊183機が真珠湾に停泊する米太平洋艦隊の戦艦へ殺到した。指揮官は同22分に「トラ・トラ・トラ」の無電で奇襲成功を伝えた。

 167機の第2次攻撃隊も加わった。

 米戦艦8隻に撃沈または大中破の打撃を与え、さらに米側被害は航空機約230機破壊、戦死・行方不明約2400人に及んだが、その後の戦局を左右した米空母は真珠湾におらず攻撃を免れた(米戦艦のほとんどは後に引き揚げられ、戦列に復帰した)。

 日本側の被害は未帰還機29機、未帰還特殊潜航艇5隻、戦死64人だった。

 真珠湾攻撃は米太平洋艦隊壊滅をねらったものだった。海軍は、日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した経験から、日本近海で戦艦が米太平洋艦隊を迎え撃つ「艦隊決戦」の勝利を目指していた。

 しかし、航空戦力を重視する連合艦隊司令長官の山本五十六が空母機動部隊を使った真珠湾攻撃を発想し、慎重な海軍軍令部を押し切って実行した。これ以降、海軍の主力の座は日米とも戦艦から空母・航空機へ移った。

 ≪沸き立つ日本≫

 日本では12月8日午前7時に開戦の臨時ニュースが流れ、午後1時には真珠湾攻撃も発表され、国民は大戦果に沸き立った。

 日中戦争で悪化した関係打開をめざした日米交渉は進まず、閉塞(へいそく)感は高まっていた。蒋介石政権を支援する米国は、在米日本資産の凍結、石油など主要物資の輸出禁止などの対日制裁を発動した。

 10月に発足した東条内閣は戦争準備を進めつつ外交交渉による対米戦回避を模索したが、中国からの全面撤兵などを求める11月26日の米政府の覚書(ハル・ノート)で絶望し、開戦に踏み切った。

 新聞も「我海鷲、ハワイ爆撃」「早くも刻々として捷報(しようほう)を聞く。まことに快心の極みである」(朝日新聞8日発行の夕刊)との言葉がおどった。開戦の詔書も載った。

 中村粲(あきら)「大東亜戦争への道」(展転社)などによれば、歌人の与謝野晶子は四男の海軍大尉・●(いく)について「水軍の大尉となりてわが四郎み軍(いくさ)に往く猛(たけ)く戦へ」と詠み上げた。

 講談師の徳川夢声は9日、「日本海軍は魔法を使つたとしか思へない。いくら万歳を叫んでも追つつかない」(「夢声戦争日記」)と記した。歌人の斎藤茂吉も開戦時の思いを「やみがたくたちあがりたる戦を利己妄慢の国々よ見よ」とうたった。

 ≪「忘れるな」≫

 一方、米国民は「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)を合言葉に、日本への敵愾心(てきがいしん)から団結した。

 日本は、事実上の宣戦布告となる断交通知書を真珠湾攻撃の30分前に米政府へ手交することで、真珠湾への戦術的奇襲を予定していた。しかし、ワシントンの日本大使館の痛恨の失策で断交通知の手交は攻撃後となり、米側に「日本のだまし討ち」との非難材料を与えた。

 米陸軍長官のスチムソンはこの日の日記に「それ(真珠湾攻撃の報)はたまらなく面白いことだった。(略)ジャップ(日本人を指す蔑称)はハワイで我々を直接攻撃することで問題全部を解決してくれた。(略)全米国民を一致団結させるような仕方で危機がやってきたというほっとした気持ちだった」(「大東亜戦争への道」)と記している。

 真珠湾攻撃で第二次大戦は本当の世界大戦となった。ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶ日本の対米英開戦によって、ヒトラーが米国に宣戦布告、米国は連合国側として欧州戦争への参戦を決定した。

 独ソ戦の帰趨(きすう)もまだ不明で、米参戦を切望していた英首相チャーチルは「(真珠湾攻撃を知って)感激と興奮に満たされ、救われた気持ちで感謝しながら眠りについた」(チャーチル「第二次世界大戦」)。

 ≪欧米の植民地≫

 南方(現東南アジア)はタイをのぞき、米英仏蘭の植民地だった。陸軍第25軍は真珠湾攻撃よりも約1時間前の8日午前2時過ぎ、マレー半島に上陸、英国のアジア支配の拠点シンガポールへ進撃を開始した。

 米国が支配するフィリピンへは同日、台湾を飛び立った航空隊が米軍機を壊滅させた。10日にはマレー沖で英東洋艦隊の新鋭戦艦2隻を撃沈、快勝が続いた。

 1970年代にタイ首相となったククリット・プラモートは戦後、「サイヤム・ラット」紙主幹として「12月8日」と題する記事で「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。(略)今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。(略)われわれはこの日を忘れてはならない」と振り返っている。(文中敬称略)

 ●=日の下に立

       ◇

 【真珠湾攻撃までの歩み】

 ≪大正≫

 11年(1922年)2月 ワシントン海軍軍縮条約、太平洋地域の領土権益尊重の4カ国条約、中国独立尊重の9カ国条約などを締結したワシントン会議終了、日英同盟解消

 ≪昭和≫

 3年 8月 パリ不戦条約調印

 6年 9月 満州事変

 7年 3月 満州国建国

    5月 五・一五事件

 8年 3月 国際連盟を脱退

 11年2月 二・二六事件

    5月 軍部大臣現役武官制復活

   11月 日独防共協定調印

   12月 西安事件

 12年7月 盧溝橋事件。日華事変(日中戦争)へ拡大。通州事件

    8月 第2次上海事変

 13年1月 近衛文麿首相、「国民政府(蒋介石政権)を対手(あいて)とせず」と声明

   11月 近衛首相が東亜新秩序建設を声明

 14年5月 ノモンハン事件(日ソ両軍衝突)

    7月 米国が日米通商航海条約の廃棄を通告

    9月 独がポーランドに侵攻し、英仏が対独宣戦布告、第二次世界大戦が始まる。米国は中立宣言

 15年1月 日米通商航海条約失効

    3月 汪兆銘が中華民国南京政府樹立

    9月 日本軍が北部仏印に進駐(23日)

       米、蒋介石政権へドル借款開始(25日)

       日独伊3国同盟(27日)

 16年3月 米国が連合国へ武器供与を開始

    4月 日ソ中立条約調印

    6月 独ソ戦開始

    7月 米国が在米日本資産を凍結(25日)

       日本軍が南部仏印進駐(28日)

    8月 米国が対日石油輸出を全面禁止(1日)

       日本、近衛・ルーズベルト会談を提案(8日)

    9月 御前会議、帝国国策遂行要領を決定(対米英蘭戦の準備を10月下旬めどに完成)

   10月 東条英機内閣発足

   11月 ハル米国務長官、ハル・ノート手交(26日)

   12月1日 御前会議で対米英蘭戦を決定

      8日 日本軍がマレー半島上陸と真珠湾攻撃。太平洋戦争(大東亜戦争)開戦
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by sakura4987 | 2006-12-01 09:03

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