◆インド首相の親日演説…中共との黒い友情は不要 (東アジア黙示録)
http://dogma.at.webry.info/200612/article_14.html
親日国インドのシン首相が来日して小気味良い演説をした。新外交ではインドなど民主国家との連携を提唱している。因縁ばかり付ける不愉快な隣国から、もう一つのアジアの大国へのシフトは大歓迎だ。
「戦後、パール判事の下した信念に基づく判断は今日に至っても日本で記憶されています」
この言葉が出た直後、衆院本会議場には大きな拍手が巻き起こった。
来日中のインドのシン首相は14日、国会で30分にわたって演説し、日本との関係強化を提唱。その演説は、親日国インドの面目躍如たる内容だった。
シン首相はこう語る。
「私は92年に財務大臣として来日しましたが、その時に受けた感動は忘れられません。90年代初頭、インドは深刻な経済危機に見舞われましたが、日本は迷うことなく支援を続けてくれました」
経済危機に直面したインドに対して、我が国が何の条件も付けずに援助の手を差し伸べたことに、シン首相は最大限の感謝の言葉を捧げた。
更にシン首相は訴える。
「我々(日印)は、自由、民主主義、基本的権利、法の支配といった普遍的に擁護される価値を共有するアジアの大国です」
その通り、インドは世界最大の民主主義国家だ。途上国ではあるが、法律面はイギリスの洗礼を受け、裁判制度などは先進国並みに整備されている。善良な市民を闇から闇へ葬る隣の大国とは全く異なる。
同じ日、シン首相夫妻は皇居を訪ね、天皇・皇后両陛下から歓待を受けた。思い出に残る1日となっただろう。
シン首相は今回、経済界のお歴々とも懇談している。来日する他国の首脳は天皇陛下との懇談(=名誉)と経済人との会合(=実利)があれば、それだけで満足とも言われる。もちろん政府当局者への皮肉だが、鋭い指摘でもある。
だた今回は、安倍政権の対応はお座なりではなかった。
15日には日印首脳会談が行われ、海上自衛隊とインド海軍の交流、毎年の首脳の相互交流などを確認。そして、最大の課題であるEPA(経済連携協定)の締結に向けた交渉の開始で合意した。
安倍首相は会談で「繁栄の弧」を描く大切さを強調している。これは前日の国会でのシン首相演説を受けての発言だった。
「自由と繁栄の弧」は、麻生外相が打ち出した外交戦略のキーワードである。ユーラシア大陸の外郭で帯状に弧を描く地域は、冷戦終結後に激変したエリアだと認識し、それを「自由と繁栄の弧」にする戦略である。
この外交戦略から漏れている国がある…中共だ。
中共をツンボ桟敷に置く麻生外交に期待したい。付き合ってもロクなことがないのが赤い隣国である。
15日、読売新聞は不気味なスクープを報じた。日中間の最悪の問題になりつつある遺棄化学兵器の新展開である。
【メディア封殺の遺棄兵器問題】
読売新聞によると、日中両政府は、旧日本軍が中国に残したとされる化学兵器の回収・処理を円滑に進めるため、来年1月にも「日中遺棄化学兵器処理連合機構」を設置。経費は日本側が負担し、発掘・回収施設建設や処理施設建設に3,000億円以上の垂れ流される見込みだという。
なんということだ…
この問題は『正論』6月号が、兵器の引継書発見をすっぱ抜いて以来、『正論』誌上で追及が行われていたが、わが国にとっては悪夢のような問題である。
中共サイドの問題だけではなく、外務省中国課と内閣府遺棄兵器処理担当室が絡んだ大問題の様相を帯びている。
発煙筒が化学兵器として処理されるなど意味不明の交渉が続いてたのだ。最大の問題は、マスメディアが完全に沈黙し、中共との交渉過程が闇に仕舞われていたことだろう。
読売新聞によれば、来週21日に都内で行われる日中実務者協議で合意される見通しだという。その日、大新聞やテレビがどう報道するのか、注目している。
中共=ヤクザ国家を証明する問題だ。改めて追及したい…
【中共を袖にしてインドに寄り添え】
これまでの我が国と中共との歪んだ関係については、繰り返し繰り返し罵倒してきた。深刻な問題が山積しているのはご承知の通りだ。
では、今後どうすれば良いのか?
その回答のひとつが、中共の最大のライバルであるインドとの関係強化である。
ここだけの話だが、筆者はインド滞在暦がやや長く、多少なりともインド社会に揉まれた経験がある。
ところが、それ故に客観的な見方が出来なくなっている。媚中派という言葉があるなら、完全な媚印派である。困ったことだ。
それはインドを語る評論家や作家にも言えることで、完全にまっぷたつに分かれている。
インド熱烈支持派か、インド大嫌い派の2つで、ナゼか中間派が存在しない。不思議な国である。
ひと言で表現すれば、インドは大の親日国だ。
親日国にも様々あるが、海外で日本人が高く評される場合、それは国家モデルや国民性などではなく、単にソニーやトヨタなど先端技術への憧れだったりする。
ところがインドは「マッチから原爆まで」と言われるように輸入制限が徹底されていた時代が長く、日本製品は殆ど見当たらない。あるのはスズキの車、ホンダのバイク、ボールペン。
それらも都会から離れた瞬間、消えてしまう。
では、なぜ日本人に対する親近感がそろって高いのか?
推測するに…歴史認識だ。
『F機関』を語ったエントリでも簡単に述べたが、インドの独立には大東亜戦争が直接、関わっている。
アジアの盟主として白人の植民地主義を粉砕し、2発の原爆で大打撃、絶望的な焼け野原から復興した国…それがインド人の日本近代史だ。
原爆に関しては少々誤解があるようで、何人ものインド人から「広島には人が住めないんだろ?」との質問を受けた。「立派な都市になって人口も多い」と答えると驚く者が多い。
中共とは全く逆で、日本は戦争でボロボロになった被害国というイメージがあるのかも知れない。
ついでに言えば、インドの歴史教育では中共が悪者に描かれているようだ。
これは中ソ対立で、インドがソ連側に付いたことが影響しているが、歴史的にヒンドゥー文明とシナ文明が対立してきたことにも由来する。
インドで日本人とシナ人のイメージは、天と地ほどの差がある。
もしかしたら大東亜戦争で日本軍がシナ軍を叩いた過去も関係しているかも知れないが、何とも言えない…
【経済連携はやるだけの価値がある】
国会演説でシン首相は、こう語っていた。
「印中の貿易規模は日印の3倍あるが、これは変えていかなければならない」
ハッキリした物言いだ。
さらにインド=韓国間の経済規模は日本と同等だとも言う。いつの間にか、韓国企業はインドに深く入り込んでいた。都市にはヒュンダイの新型車が走り回り、携帯電話でもサムスン製の高級機種が目立つ。
日本企業は完全に出遅れてしまっている。
20世紀末から激しい対中投資ブームが我が国で巻き起こった頃、インドでは南部のバンガロールを中心にIT産業が勃興していた。米国は早くから目をつけて協力関係を深めたが、なぜか、日本の経済界は対中一辺倒を崩さなかったのだ。
媚中派政治家と親中派経済人による失策である。
一方で岸内閣の時代に対インドODAをスタートさせたにも関わらず、経済面での関係強化に取り組む日本人が少なかったのも事実だ。
厳格な輸入規制、ソ連との友好関係をマイナスと見なし、大手商社がインドで暗躍することは例外的だった。そうした背景も90年代には徐々に崩れて、インド社会は外に開かれて行くが、密接な関係を築くことは出来なかった…
ビジネスの上では予期しない問題も起こるだろうが、やってみるだけの価値はある。
今からでも決して遅くはない。
【差し出された手を温かく握る】
インドの経済発展は未知数だが、民主国家を支援することに異議はないだろう。中共にいくら援助しても返って来るのは、因縁だけだった。
もう、いい加減、気が付いて良い時期だ。
シン首相の来日では、留学生の交流強化も提言されたが、親日家のインド人なら深刻な問題は少ないと想像する。
反日教育を受けたシナ人留学生とは比べものにならない。インドではマフィアさえもカーストに束縛されるため、犯罪集団が紛れ込む可能性はゼロだと信じる。
最近、都心部ではIT関連企業で働くインド人が目立つようになったが、取り立てて問題は指摘されていない。多くがホワイトカラー層の技術職で、教育レベルは高いと見る。当然、英語はしゃべれる。
インド人と接した日本人は、急に自分の英語が上手くなったと錯覚する。インド英語は独特だが、慣れるのも早い。ネイティブスピーカーは極少数なので、難解な単語を使うことはなく、会話に支障のないケースが多い。それでスラスラ喋れるようになったと勘違いするのだ。
練習相手にバッチリである。
なぜか相手が白人だと臆するが、インド人相手だとお互い手探りでコミュニケートできるのだろう。船乗りが使う簡易英語=ピジン・イングリッシュでもOK。
I go tomorrow
が許され、動詞の時制なんか気にしない。
…論点がズレてきたが、インドは経済発展にともなって中進国に飛躍しようとしている。
わが国のチカラを本当に必要としているのだ。
差し出された手を握りしめるのが国家の心意気であろう。中共からインドへのシフトを歓迎し、新しい関係が結ばれることを待ち焦がれる。
来年は日印友好50周年だという。
そのついでに、日中絶縁元年にしたい。