★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆現代史家・秦郁彦 通告前の真珠湾攻撃 記事が“証言” (産経 06/12/22)




 ■ホノルル発の速報時刻が真実明かす

 ≪攻撃30分前通告の手筈≫

 毎年めぐってくる12月8日(米国時間7日)に対する日米両国民の受けとめ方は、微妙にずれている気がする。日本側は日米開戦〇〇年(今年は65年)などと、一過性の感慨ですませてきた感があるが、米国人にとっては核をふくむ奇襲回避は可能なのかという命題に向き合う機会でもあるらしい。

 9・11テロのさいもこの「真珠湾症候群」(パールハーバー・シンドローム)の悪夢がむし返されたが、北朝鮮の核実験を望見したわが国にとっても、奇襲の恐怖は他人事ではなくなってきた。

 そこで65年前の「悪夢」をあらためておさらいしておくと、真珠湾攻撃の30分前にワシントンの野村大使がハル国務長官へ、国際法の規定に則した開戦の事前通告文を渡す手はずになっていたのが、日本大使館の事務的ミスで55分遅れてしまった。結果的に奇襲された真珠湾の米太平洋艦隊主力は壊滅、ルーズベルト大統領は日本の「騙(だま)し討ち」と非難し、米国民の復讐(ふくしゅう)心と戦意をかきたてた。

 東京裁判は米国にとっては「騙し討ち」の責任者をあぶり出し「殺人罪」として裁くのが主たる狙いでもあったが、法廷の審理で通告遅れは故意ではなく不測の過失だったことが認められ、判決文は訴因から除外した。かろうじてわが国の名誉は保たれたのだが、なぜこの重大な局面で暗号電報の解読遅延やタイプ技術などのミスが起きたのか、外務省が真相究明を怠ったこともあり原因や責任は確定できぬまま、われわれは負い目をひきずってきた。

 ≪「現場中継」の第1報≫

 そんな思いで開戦日前後の朝日新聞縮刷版を眺めていると、興味深い記事に出くわした。日米開戦を告げる大本営陸海軍部発表(昭和16年12月8日午前6時)は朝のNHK放送で全国民へ知らされたが、新聞に掲載されたのは8日の夕刊(当時は9日の日付)で、隣には「本八日未明ハワイ方面の米国艦隊並に航空兵力に対し決死的大空襲を敢行せり」という大本営海軍部発表(午後1時)が並んでいる。

 さらに下の方へ目を移すと、「ホノルル特電七日発表至急報」として「機翼に日の丸の標識をつけた少なくとも二機の日本軍爆撃機がホノルル時間午前七時三十五分、ホノルル上空に現われ、爆弾を投下したが、一弾がヒッカム飛行場に命中し、他の一弾は真珠湾に投下され、石油タンクが火を発して燃え上がっているといわれる」という記事があった。ホノルル時間の0735(7日)はワシントン時間の1305(同)、東京時間の0305(8日)に当たるが、傍点から推測すると、電報局から発信したのは攻撃が始まった直後と思われる。全容はつかめないが、とり急ぎ目撃と伝聞を混ぜて第1報を、という発信者の意気込みを感じる。急ぐ理由はあった。戦争状態と認識されれば、電報の検閲や差し押さえが始まるのは確かだったからだ。

 さてこのスクープ電を打ったのは誰か。当時ホノルルに支局を置いている日本の新聞社はなかったから、現地の契約通信員だろうが、空襲さわぎで混乱した市中をかいくぐり、電報局へかけつけた根性と機敏さはお見事といってよい。

 その結果、大本営海軍部発表より早いタイミングで現場中継にも等しい第1報が東京へ届いたのである。

 ≪「証拠」は見落とされた≫

 では米側はどうかというと、映画「トラトラトラ!」で、マーシャル参謀総長の警告電報をRCA社の少年配達員が自転車でキンメル司令長官に届けるシーンを思いだす。それは攻撃が始まってから実に4時間後のことであった。致命的な遅れといえるが、ホノルルの無名の打電者が報じた0735という時刻は、別の問題を提起していることに私は気づいた。

 9日付朝日(朝刊)の「ワシントン特電七日発」は、野村大使の手交時刻をワシントン時間の1340(ホノルル同0810)と報じているではないか。

 米外交文書によれば、野村の国務省到着は1405、控室で待ったあとハルと会見したのが1420とされている。1340はやや早いが、いずれにせよ前日の夕刊が報じたホノルル特電の1305と照合すれば、真珠湾攻撃が通告前に始まった「証拠」になりかねない。

 しかし国際情報戦では日本が不利となるこの重大ミスを、朝日の校閲者も情報局の検閲官も見落としたようだ。気づいた読者がいたのか現場の通信員は誰か、知りたいところではある。
[PR]
by sakura4987 | 2006-12-22 12:54

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987