◆マルティン=ニーメラー(神学者)の詩
http://blogs.dion.ne.jp/ryotak/archives/761903.html
ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分は共産主義者ではなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ教徒が、というふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。私は教会の人間であった。
そこで自分は何事かをした。しかし,そのときにはすでに手遅れであった。
※石出法太(1992).『ドイツ』岩崎書店.より引用
マルティン=ニーメラーはドイツの神学者で牧師。もともと軍人で、第一次大戦の時はUボートの艦長であった。第一次大戦後に「主の平和」のために戦うことを決意し、牧師・神学者に転身した人物。
ナチスに追随・迎合したドイツの諸教会が「ドイツ的キリスト者運動」に統合される中で、反ナチスの立場から「ドイツ告白教会」の結成に加わり、反ナチ闘争に身を投じて逮捕され、8年もの長きにわたり投獄された人物である。
同じくナチスに逮捕され、ドイツ敗戦直前に絞首刑に処された著名な神学者、ディートリッヒ=ボンヘッファーは「ドイツ告白教会」の運動と反ナチ闘争における大事な仲間であった。
第二次大戦後は、ドイツとその国民、教会の悔い改めと平和のために尽力し、長くドイツの平和運動の代表的人物であった。