◆【社説】少子化対応策/環境整備と価値教育の両輪で (世界日報 07/1/7)
国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が昨年末に発表した予測によると、五十年後には、日本の人口は八千九百九十三万人にまで減少することが判明した。
また、女性が生涯に産む子供の数の平均値である合計特殊出生率(出生率)も、1・26に落ち込み、かつ人口の四割が六十五歳以上の高齢者となる見通しとなった。
■出生率1・39でも深刻
これを受け、複数のマスコミは危機感を煽(あお)り、「年金制度の維持は困難となった」などと政府批判に利用している。現行の政府の年金制度が出生率、1・39を前提にしているためだ。
だが、人口を維持していくための出生率(人口置換水準)は、日本だと2・08とされる。
従って、所詮(しょせん)、1・39程度の出生率では、「紀元三〇〇〇年には日本人がいなくなってしまう」(専門家)のである。
日本の人口が急速に減少していきかねないとの黄信号がともったのは一九九〇年に前年の出生率が1・57であることが判明した時だ。
過去最低だった丙午(ひのえうま)の年、六六年の数値を下回ったためである。
以来、エンゼルプラン(九四年)、新エンゼルプラン(九九年)で仕事と子育ての両立のための政策が打ち出された。
具体的には、女性が仕事をしやすいようにと、保育園を増設する「待機児童ゼロ作戦」などの施策が重点的に行われた。
しかし、これらのプランの成果はほとんどなく、ほぼ一貫して出生率の低下傾向が続いてきている。
この事実は、保育園増設などの行政上の処置やそれに伴う財政支援では、この問題に対処し切れないということを示している。
少子化傾向が顕著になった九〇年代以降は、バブル経済の崩壊により企業生き残りのためリストラが蔓延(まんえん)し、より一層、経済合理主義が吹き荒れた時代となった。
加えて、女性の就労を駆り立て、女性の経済的自立を美化する風潮が生まれた。
その背景には、「男女差よりも個人差が大きい」などという極端な男女平等政策、すなわちジェンダーフリーの思想が根っこにある。
これには、家庭・結婚制度を破壊して社会秩序を覆す革命思想が潜んでいる。
男女平等だけ声高に主張し、後孫への影響を視野に入れない狭小な考え方により、既存の秩序が否定的に扱われ、日本の良き伝統が崩されていったのである。
学校の教科書でも、離婚の奨励や祖父母よりペットを家族と考えるよう促す記述が顔を出すなど、伝統的な家族観が破壊される方向に誘導されている。
今回の社人研の予測では、四人に一人の女性が生涯未婚で過ごすようになるという。
このような教育で育ち、かつ経済的に自立した女性が、自己犠牲を伴う結婚、子育てに二の足を踏むのは無理からぬところになりつつある。
しかし、一人一人が生を受け育っている背後には、両親をはじめ先祖の苦労、犠牲がある。われわれは「生かされている」のであり、また子供は産むのではなく、「天からの授かりもの」なのである。
■バランス良い宗教教育を
今の急速な少子化問題の解決には、こうした視点が不可欠だ。そのためにはバランスの良い宗教教育も必要となってこよう。
カトリックやイスラム教国では置換水準を軽く超えている。合理主義・個人主義優先で国が滅んでしまっては本末転倒である。
少子化には、経済支援などの環境整備だけでなく、価値観教育との両面で対処すべきである。