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◆歴史好き日本人の精神体質 (世界日報 07/1/12)



現象に流され本質見ず/アリストテレスから考える

文芸評論家 菊田 均


 ≪■哲学型と歴史型の2つの分類≫

 六十年近く生きて来て、遅まきながら気が付いたことがある。この世には人間の精神の二つのタイプがある、ということだ。

 一つは哲学型、もう一つは歴史型。私の興味の範囲で言うと、小林秀雄が哲学型に属するのに対して、江藤淳は歴史型。私自身は、どうやら歴史型に属するらしい。

 が、この分類は、今から二千三百年以上も前に、アリストテレスがすでに行っていたことを(うかつなことだが)最近になって知った。彼の代表的な著作の一つである『詩学』の中にこの分類に関する記述がある。

 著作と言っても、実際は講義ノートのようなものだったらしい(彼は学校の教師だった)が、『詩学』がアリストテレス自身の発想によるものであることは確かなようだ。

 「歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語る……したがって、詩作は歴史にくらべてより哲学的であり、より深い意義を持つ……。というのは、詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別的なことを語るからである」(『詩学』松本仁助、岡道男訳)

 歴史家の語ることは「事実(個別)」に留まるが、詩人は事実を超えて「可能性(普遍性)」の領域まで語ることができる。

 その意味で詩人は哲学のタイプに属し、加えて、歴史以上の深みを持つ、というのがアリストテレスの考え方だった。

 ただし、アリストテレスの言う「詩人」は、我々が普通に考える詩人ではなく、ギリシャ悲劇の作家を指していたようだ。

 アリストテレスのさらに百年以上も前に活躍したソフォクレス(『オイディプス王』の作者)などが念頭にあったと言われる。

 はっきりしていることは、アリストテレスが哲学と歴史の間に序列を設けていることだ。哲学は深く、歴史は浅い。人間の精神にとってそのことが言える、と断言していることが重要だ。


 ≪■「河の流れ」に日本人的な思考≫

 当然の結論と言っていい。というのも、アリストテレス自身が歴史家ではなく哲学者であり、ギリシャ悲劇の研究家だったからだ。

 加えて古代ギリシャは、「歴史の父」と呼ばれる歴史家ヘロドトスのようなケースがあったにしても、全体の流れとしては、アリストテレスの師であるプラトンの存在も含めて、哲学が文化の中心に置かれていたからだ。

 プラトンの「イデア」がそうであったように、重要なのは変わらざるものであり、歴史が扱う個別的なもの、事実に関わるものは、哲学に比べれば、二義的な意味しかもちえないと考えられていた。

 私自身の精神的体質について言うと、「変わらざるもの」というのが何だかよくわからない。

 イデア的なもの、本質的なものは、この世(あの世か?)のどこかにはあるのだろうが、うまく捕まえることができない以上は、ないのとほとんど同じ、と考えても仕方がないか、という方向に進んでしまう。

 日本人の歴史好き(哲学が苦手)というのも同じことなのだろう。確かに日本には、哲学者よりは歴史家が多い。歴史文学も加えれば、その数はもっと多くなるはず。

 どうやら歴史型というのは日本人そのものの体質を表している。

 事実や現象にこだわって、背後にある本質を見ようとしない傾向は、よくも悪くも、日本文化の流れの中に一貫している。

 八百年ほど前に成立した鴨長明『方丈記』冒頭の「ゆく河の流れ」は、河の水は流れて行ってしまうものだ、人間もこの世も、河の流れのように流れて行く、という詠嘆を語ったものだ。

 確かに個々の河の水は流れて行くかも知れないが、彼が眺めていたであろう鴨川は、八百年後の今でも流れ続けている。

 鴨川が流れ去って行くわけではないのだが、我々日本人はなぜか、河の流れのように、人生もこの世も流れて行く、という風に考えることを好む。そう言えば、「川の流れのように」という、美空ひばりの名曲もある。


 ≪■歴史の評価を気にする権力者≫

 もう一つ、後世の評価に気を遣うのも、日本人の歴史感覚の特徴ではないかと思われる。

 山崎正和の『野望と夏草』という戯曲の中で信西が平清盛に向かって、「男はおのれ一生の敵に勝つだけではたりぬ。長い時の流れに耐えて、後の世の目に見えぬ敵に勝たねばならん」と呟く場面がある。

 戯曲のセリフの中の言葉に過ぎないと言えばそれまでだが、自身が後世の歴史評価の中でどう位置付けられるだろうかという思いが、短い期間ながら権力の中心にいた信西の中にあったであろうことは十分考えられる。

 そう言えば、徳川慶喜が意外にあっさりと大政奉還してしまったのも、「朝敵にはなりたくない」、という思いが強かったためではないか。

 「死後の評価なんかどうでもいい」ということではなく、「天皇への反逆者」のレッテルだけはゴメン、というそれなりに切迫した思いは、頭の回転のよかった最後の将軍の本音だったと思われるのだ。
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by sakura4987 | 2007-01-12 14:53

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