★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆中国内の抗日運動遺跡地、でたらめ指定多い (世界日報 07/3/1)



 植民地解放から、いつのまにか60年が過ぎた。これまで韓国民は祖国の光復(解放)のために、異郷万里で流した烈士らの“血と汗”を再確認することを雑に扱ってきたのは事実だ。

 世界日報(セゲイルボ)は「3・1運動」88周年を迎え、抗日闘争の主舞台であった中国内の殉国烈士たちの足跡を振り返りながら、海外遺跡地保存の問題点を見てみようと思う。

 韓国政府が海外の抗日運動歴史の復元のために、現地調査を通して確認した中国内の抗日運動遺跡地の中で、臨時政府庁舎の位置など相当数がとんでもないところに間違って指定されていることが明らかになった。

 特に調査過程で、現地の行政機関に問い合わるような、基本的な確認さえ行わなかったなど、体系的な調査作業なしで短期的な「イベント効果」に偏重し、重大な歴史的誤りを犯していたとの批判を受けている。

 セゲイルボ取材チームが2日から20日まで、韓国政府が独立運動遺跡地として確認した長沙、嘉興など、中国南部70カ所を現地調査した結果、7カ所が実際の場所と違っていたことが判明した。

 今回の踏査が中国南部地域だけに限定された点を考慮すれば、範囲を海外全体に拡大すると、このような誤りはもっと増えるものと見られる。

 これに先立って、文化観光部と独立記念館は海外抗日運動遺跡地実態把握のために、2002年に韓国近現代史学会に依頼し、中国・東南アジア・日本・アメリカ・ヨーロッパ等の現地調査を経て、「国外抗日運動遺跡(地)実態調査報告書」を出した。

 同報告書によれば、韓国政府は1939年から翌年まで、抗日運動の求心点だった嘉興臨時政府庁舎の場所を重慶市古南鎮上升街27号(以前の臨江街43号)と明示したが、取材チームが現地郷土地理誌と対照した結果、実際の場所は200メートル離れたところだと確認された。

 また、嘉興楠木庁4号が1938年白凡(金九=キム・グ)が独立運動組織統合を議論して銃撃を受けた朝鮮革命党本部が現在はなくなったと紹介している。だが、取材チームが嘉興外事処(国際交流担当部署)に問い合わせた結果、こちらの正確な住所は楠木庁6号であり、過去の建物の一部がまだ残っていた。

 この外に、△重慶土橋の韓国人村、△阜陽光復軍第3地隊駐屯地、△重慶光復軍総司令部建物、△創社臨時政府庁舎、△武漢朝鮮義勇対創設場所も、とんでもないところが遺跡地に化けたり「未確認」と報告書に記載されている。

 大韓民国臨時政府記念事業会の金ジャドン(79)会長は「生存している独立活動家らが、初めからこういう問題を数回政府に指摘したが受け入れられなかった」と批判した。
[PR]
by sakura4987 | 2007-03-04 06:47

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987