◆矮小化するニッポン (日経BP 07/6/1)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070531/126099/
松岡利勝前農相の自殺で憂うこの国の皮相と末梢
昔、三木武吉という政治家がいた。同じ選挙区の対立候補から、「某候補は妾を3人も囲っている。こんな人間は、選良としての資格がない」と立会演説会で攻撃された時、ドラ声を上げて反論した。
「いま“某候補”と言われた人間は、この私であります。しかし、今の発言には決定的な誤りがある。囲っている女性3人とおっしゃったが、そうではない。4人の面倒を見ているのであります」
場内は爆笑に包まれ、女性問題は雲散霧消してしまった。
■スケールの大きい政治家がいなくなった…
三木は戦前、電鉄汚職にからみ、逮捕されたが、仲間をかばい最後まで自供しなかった。戦後、いろいろと背後関係についての噂が絶えなかったが、旧自由党と旧民主党との大合同を演出し、「55年体制」を築き上げる大立者となった。
彼がいなかったら、日本の長期繁栄の基礎となった政治的な安定は実現しなかったか、相当に遅れたことだろう。
もう1人、政治家ではないが、今日の9電力体制を作り上げ、エネルギーの安定供給を導いた人物に、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左ェ門がいる。
松永は普段から公言してやまなかった。「大病、破産、それに留置所を経験しなかった者は、大物にはなれない」。
慶応義塾大学の学生だった頃、コレラにかかり、死線をさまよい、長じて株式や石炭への投機がたたり、すってんてんの夜逃げ生活を味わい、三木同様、電鉄汚職にかかわって留置所で検事の追及を受けた。
ちなみに、この時同じ事件にからみ、一緒に留置所に入っていたのは、阪急の創始者である小林一三である。
戦後政治の天才と言えば、田中角栄だろう。ロッキード汚職で失脚した彼については毀誉褒貶相半ばするが、日中国交回復の立役者であり、議員立法の記録保持者であり、大胆な公共事業によって都市と農村の格差を縮めた推進者であることを否定する者はいないだろう。
まれにみるスケールの大きな政治家であったことは確かである。
その彼は、若い頃、炭鉱労働者の住宅建設汚職にからみ、塀の中から立候補をして当選を果たした。松永流に言えば、三木は胃潰瘍で、田中は肺炎で、いずれも死線を漂う経験をしている。
何を言いたいのかといえば、松岡農相の自殺である。現職閣僚の自殺は、現行憲法下では初めてだそうだ。死者を鞭打つつもりはないが、それにしても何というチマチマとした自殺であることよ。
■チマチマしたマスコミ報道とそれを求める国民
表立って責められたのは、事務所の使っていない光熱費を使っているかのごとく計上していた「偽経費」問題。
そのほか、緑資源機構の談合にからみ、何やら不正政治献金問題が捜査の対象になりつつあったのではないかという憶測もあるが、これもまた実際に表面化したわけではない。父母から受けた大事な命を捨てるほどの事柄か。
法に違反した事実があるというのなら、あっさり辞めて別の人生を送ればいいし、ないというのなら、どんな攻撃に遭おうとも、居直ればいいではないか。
それにつけても、思うのはマスコミの皮相的な波状攻撃である。
とりわけテレビと週刊誌は、このところほとんど末梢的ですらある。
憲法問題、アジア外交、少子高齢化対策、中央と地方の関係…。真正面から取り上げるべき骨太の問題がたくさんあるのに、揚げ足取りに似た問題を追って狂奔する。
当人がたまりかねて自殺すると、カメラの前で、神妙な顔をして、アナウンサーやコメンテイターが「ご冥福をお祈り申し上げます」と頭を下げる。
自殺する人間も人間だが、一方通行の全体主義的皮相攻撃を繰り返す側も、みなチマチマとして矮小だ。
チマチマ問題を取り上げるのは、それを視聴者や読者、ひいては国民が喜ぶからである。ということは、国民全体がチマチマと矮小化したことになる。
大悪をなす者は大善もなす。
少なくとも、なす潜在性を有する。水清ければ魚棲まず―とも言う。清濁合わせて呑む―とも言う。
他人のアラを追うことのみに熱心になり、重箱の隅を突くような攻撃を繰り返しているうちに、日本は国本来が有すべき男らしさを失っていくことだろう。

