◆Wikipediaの「マッカーサー」には、
この気持ちは忘れてはならないですね。
Wikipediaの「マッカーサー」には、
「1948年3月9日、マッカーサーは候補に指名されれば
大統領選に出馬する旨を声明した。
この声明にもっとも過敏に反応したのは日本人であった。
町々の商店には「マ元帥を大統領に」という垂れ幕が踊ったり、
日本の新聞は、彼が大統領に選出されることを期待する文章であふれた。」
と載っていました。 あはは。
※ついでに同じ項目でこの様な文章も。
『マッカーサーの更迭については日本の非武装化推進などが
当時のアメリカ軍部からも異論が有ったためとも言われている。
オマル・ブラッドリー統合参謀本部議長は
「マッカーサー解任は当然である」と主張した。
4月16日、彼はマシュー・リッジウェイ中将に業務を引継いで
空港へ向かったが、その際には沿道に20万人の日本人が詰め掛け、
毎日新聞、朝日新聞はマッカーサーに感謝する文章を掲載した。
また、吉田茂の日本政府は彼に『名誉国民』の称号を与えることを
決定したが、マッカーサーは受けるとも受けないとも言わなかった。
飛行機は午前7時23分に離日した。』ですって。
確か、ものすごい数の感謝の手紙も送られたと記憶しています。