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◆河合隼雄氏のご逝去を悼む(2)自己探求での日本神話研究



 (JANJAN 07/7/22・24)

http://www.news.janjan.jp/culture/0707/0707219477/1.php

http://www.news.janjan.jp/culture/0707/0707239624/1.php


1 夢の分析


 ユングが言った心の構造というものは、大きく分ければ、表層意識の奥に個人的な無意識と集合的な無意識があるということになる。そして一般に潜在意識とくくられてしまうこの無意識世界にあって、個人がどのようにあがいても、知覚できない世界があり、それが集合的無意識(普遍的無意識)というものだと知った時は衝撃的であった。 


 何故ならば、人間はどんなに努力をしても、自分の心というものを知覚することはできないということになるからだ。しかし幸いなことに、夢というものがある。人間は自分が見る夢を分析することによって、自分の心というものが、何を欲し、何によって突き動かされているか、ということを、朧気ではあるが、学問的レベルまで、掘り下げて分析できるのである。 


 その代表的な著作が「明恵 夢を生きる」(京都松柏社発行 宝蔵館発売 1987年4月刊)という労作だろう。この著は、鎌倉時代において夢日記(「夢記(ゆめのき)」)を綴った名僧明恵上人(1173~1232)の日記の心理を克明に分析することによって、個としての明恵の心とそして、明恵を慕う人々がいかに見えない心というものを介在して、魂が向き合っているかを解読した名著である。私はこれを精読することで、人間とは時代を越えて、いかなる時においても個人(自己)として存在するものだ、ということ、そしてもうひとつ集合的無意識というものが、まるで漆黒の宇宙のように心の奥に広がっており、そこには汲めども尽きないほどの智慧が眠っているのではないか、と想像させられた。 


 この著を書くために河合氏は、白州正子さん(1910~1998)との知遇を得た。彼女はすでに「明恵上人」(新潮選書 1974年4月刊)という本を出版していて、この著に触発されながら、河合氏は日本人と日本文化の森に深く入って行ったのである。 


 私は白州正子さんの自邸である「武相庵」の奥座敷の書斎を見た時、河合隼雄氏の著作が、ぎっしりと整理され配置されているのを見た。白州正子という日本文化の研究者、河合氏のユング心理学による日本文化の心理分析というものが、いかに重要な仕事であるかということを、思い知らされた。 


 2人は18歳はなれた世代の違う人物ではあるが、互いに深い尊敬を持ちながら、日本文化というものの奥にあるものを探ろうとしたというべきだろう。2人は「縁は異なもの 白州正子 河合隼雄」(河出書房新社 2001年12月刊)という著作で対談をしている。これは白州氏が亡くなってから刊行されたものであるが、その中に、面白い白州さんのエッセイが掲載されている。 


 これは白州正子さんが、河合氏の「明恵 夢を生きる」の解説として書いたものである。白州さんは、「解説は苦手」と前置きして、自分が河合氏の心遣いによってに癒されたというエピソードを明かしている。


 ある新聞のコラムに、白州氏は「私の小さな秘密」として、長年自分の身の回りの世話をしてくれた乳母が高齢で亡くなった時、人が死んだ悲しみより、戦時中のことで、これでイースト菌を調達する者がいなくなって、パンが食べられなくなると思ったらしい。白州さんは、なんて私はイヤらしい人間なのだろう、と自己嫌悪を催し、ずっとその気持ちを隠してきた。数十年後、これをコラムに書いたのである。


 すると、これを読んだ河合氏が雑誌か何かに取り上げて、「人はあまり大きなショックをうけた時には、それから逃れるために極く些細なことや、つまらないことを考えるものだ」と言ってくれたというのである。


 白州さんは、あまりにうれしかったのか、その夜には、夢に河合氏が現れて、旅先のホテルの芝生の上には満天の星空が広がる中で、やさしく静かに抱いてくれたというのだ。これは少しもセクシーなものではなく、ちょうど「明恵上人が弥勒菩薩に抱かれて、ゆうゆうと空を飛んでいる感じ」と白州さんは表現している。確かに、河合氏の言葉に癒され、その癒しは、個人の無意識の表出としての夢にまで顕れ、白州さんの心は魂のレベルで救われたということができる。白州正子さんの自邸である武相荘の書斎に、河合隼雄氏の書籍が多く配置されている意味が、何かよく分かった気がした。 (つづく) 



2 中空構造論(日本の国の形と日本人の心を規定するもの)


 私は、昔大学に入り立ての頃、極めて曖昧な日本の古代史も含め日本の歴史の真相を知っている人が、どこかにいるに違いない、と思っていた。もちろん、漠然とした直観に過ぎないのだが……。


a 明治維新で壊れたもの


 日本の歴史は、古事記や日本書紀に表された日本神話があることで、非常に曖昧に見える。普通、個々の民族に伝わる神話というものは、歴史的現実を越えた胸躍る英雄譚などとして、単なるナショナリズムのプロパガンダというよりは、民族の想像力をかき立てるファンタジーとして肯定的に語られるものである。同時にそれは、民族の文化的歴史的な背景を持つ「神話の知」あるいは「神話力」とでもいうべき深淵なる智慧を含んでいるものである。


 ところが、日本の場合には、明治維新以降、明治憲法によって、天皇の権力というものを国家の中心に据えた立憲君主制を取り、強力な富国強兵政策進めた結果、古代における日本神話がイデオロギーとして機能させられるようになって、日本人の精神は、歪められた神話解釈をなかば強制され、急速に全体主義化させられることになった。その為、今日でも、どうも日本の神話というものに、違和感や懐疑心を持つ人も少なくない。教育の現場でも、日本の神話を教えることはひとつのタブーのようになってしまっている現実がある。


 確かに、太平洋戦争が勃発する頃には、日本人のかなりの人々が、「日本は神国だ」と主張する「軍国主義思想」に、洗脳されたようになって、「アメリカ怖れるに足らず」との声が巷に満ち溢れていた。


 昭和16年(1041)12月8日、日本海軍はアメリカ海軍の基地があるハワイ真珠湾に空から奇襲を仕掛けた。この日は、日曜日の早朝とあって、アメリカ軍も油断をしていたこともあり、アメリカの太平洋戦略に大打撃を与えた。この一報を、日本中が歓喜の声で聞いた人がほとんどだった。しかしその後、戦局は急速にアメリカ軍優勢となり、沖縄戦、広島、長崎への原爆投下と続き、日本は昭和20年(1945)8月14日、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏を受け入れることになったのである。


 何故、神の国の日本が負けたのか。それは結局、明治維新以降、日本神話にイデオロギー的な装飾をしながら、天皇という存在を中心に据えて、ドイツ流の西洋化を短絡的に進めたことの敗北であった。それはまた神話的幻想(イデオロギー)に洗脳され全体主義化した日本人が、真の意味で近代合理主義の精神(民主主義)というものを知る始まりとなったのである。


b 河合隼雄氏の自己探求の旅としての日本神話研究


 河合隼雄氏は、日本神話にユング心理学をもって取り組むことになった経緯について、このように語っている。


 「日本神話はかつて軍閥によって都合のいいように解釈され、国民に押しつけられたという不幸な歴史をもっている。私も子供時代にその体験をしたため、日本神話に対する嫌悪感は相当に強かった。それが、アメリカ、スイスに留学し、ユングの分析家になるためにひたすら自分の内界への旅を続けていたときに、日本神話に出会うことになり、非常に驚いた。結局は日本神話を取りあげ、分析家になるための資格論文を書いた」(「神話と日本人の心」岩波書店 2003年7月刊)


 私は、この引用文中の「非常に驚いた」という箇所に、注目する。それはソクラテスが、日常毎日通っていた門の上にある「汝自身を知れ」という言葉によって、一種の悟りを得て、学問の何たるかを知ったことに似ていると思うからだ。


 私は、冒頭申し述べた、「日本の歴史の真相」を誰か明確に知っている人が現れると思った直観は、今この河合隼雄氏ではないかとさえ、考えるようになった。もちろん私の言う「日本の歴史の真相」とは、単なる歴史学的な意味合いのみではなく、日本人と称せられる日本列島に住むようになった人間の心(魂)の歴史も含まれる。


c 中空構造とは何か?


 河合氏は、己の心の内面を探ろうと、日本の神話という森の中に分け入り、驚くべき発見をした。それは、日本の神話の中に隠されていた、真ん中が空であるという意味の「中空構造」であった。


 これを簡単に説明すれば、イザナギとイザナミの子に、アマテラス(女性姉=太陽または天を象徴)とスサノオ(男性弟=地上を象徴)が居て、その間に、ツクヨミという神(月読弟=月を象徴)が居るのであるが、無為の存在で何も行動を取ることのない神である。真ん中に居ながら、神話の中で何も自己主張をしない極めて存在感が薄いという河合氏の発見である。


 ここから河合氏は、さらに想像力を働かす。アマテラスという女性原理とスサノオという男性原理が衝突し合いながら、均衡を保つ構造によって、カウンターバランスを取る日本神話の仕組みについて次のように説明している。


 「このような構造は、アマテラス=スサノオの対立性を示すものではあるが、完全にどちらかを善なり中心なりとして規定せず、時にはどどちらかがそうであるように見えても、次に適当なゆりもどしによってバランスが回復されることを意味している」(「中空構造日本の深層」中央公論社 1982年1月刊)


 この中空構造は、単に「アマテラスーツクヨミースサノオ」の関係のみではなく、同じように、天地創造の時の「タカミムヒーアメノミナカタヌシーカミムスヒ」の場合でも、また「ホデリ(海)ーホスセリーホヲリ(山)の時にも見いだせるとする。


 この中空構造の社会の特徴は、「中心が空であるために、そこへはしばしば何ものかの侵入を許すが、結局は時と友に空に戻り、また他のものの侵入を許す構造である、……このようなモデルは日本人の心性にいろいろな点でマッチしていると思われる」(前掲書)


 日本人は、古代は中国や朝鮮から、明治以後は、西洋から、何でも新しいもの取り入れ、日本的に変容させて、日本化してしまうようなところがある。この日本人の特徴も、この河合氏の「中空構造論」から説明がついてしまう。また中心が空ということを考えれば、京都という都市の構造を考えると、侵入者があっても、どうぞいらっしゃいという構造だ。これは文化的に、いったん侵入者があったとしても、そこで「空」という権力者が、天皇なのか、それとも摂政役の公家なのか、まるで掴み所のない魔法のような権力構造によって、煙に巻いてしまうようなところがある。


 まさに日本では、「歴史をふりかえってみると、天皇は第一人者ではあるが、権力者ではない、というふしぎな在り様が、日本全体の平和の維持にうまく作用してきていることが認められるのである。(前掲書)


d 戦後の日本と中空構造


 これは、中心にすべての権力が集中する社会構造とは、まったく違う考え方であり、明治維新以降、日本は、富国強兵のために、このような中空構造を否定した社会体制となり、太平洋戦争によって、大きな犠牲の上に天皇の直接統治を排し、象徴天皇制として、元の中空構造の社会に戻ったということになる。


 日本神話の研究から生まれた河合隼雄氏の「中空構造論」は、画期的、独創的な日本論であると同時に日本人論である。日本社会の特徴である曖昧さは、実は中心を意図的に、空にすることによって、新しいものと古いものが、バランスを保ち、共生する民族の智慧であったということも出来る。


 その場合、中心に座る人物は、カリスマ的な独裁者は、けっして座ることが叶わない。もしもそのような力を持つものが現れると、その人間は、日本神話に登場する「ヒルコ」(*注)のように島流しに遭うのである。それは中空構造は、均衡を好み、鎌倉時代で言えば、源義経のような武将や戦国時代で言えば織田信長のような絶対的な専制君主は、受け入れがたいとして、これを排除抹殺してしまうという強硬手段に訴えたりもするのである。しかしそれはあくまでも、中空構造という均衡を保つための手段なのである。とすれば、「出る杭は打つ」という日本の諺も、何となく「中空構造論」で説明がつくのである。


 1982年1月、河合隼雄氏54歳の時、中公叢書として、何気なく刊行された「中空構造日本の深層」は、当初さほどの反応はなかったが、25年後の今日、その輝きは、今や河合氏の日本文化に対する最大の貢献という見方もあるほどだ。今後、この「中空構造論」が、日本と日本人をめぐる難問解決の指針になることを期待したいものだ。


e 河合隼雄氏の日本人への遺言?


 ところで、河合隼雄氏は、2004年11月に、「深層心理への道」という少し遺言書にも読める著作を刊行したが、その中で、こんな気になることを言っている。


 「中空均衡構造で日本はいままで頑張ってきたけれども、これからはヒルコに帰ってもらうべきだというのが僕の考えなのです。


 ヒルコに帰ってもらうのだけれども、うっかり真ん中に帰ってきたらがらりと変わるだけです。中心統合型になるだけで、それでは面白くない。だから帰ってもらうのだけれども、中空構造も維持したままでヒルコに帰ってきてもらうというそういう非常に難しいことをするのが現代の日本人の課題だ、というのが私が日本の神話から考えたことです。」(深層意識への道」岩波書店 2004年11月刊)


 これは河合氏が、日本社会の最大の弱点である本当に力がある人が中心のリーダーとして活躍できない状況を突破するための方策を示したもので、中空構造の社会でも、カリスマ的な才能を持った人物が活躍できる社会を創り出して行くべきだという提案だ。確かに頭脳流出が叫ばれる昨今、能力を持った人物が海外に流出してしまって、日本社会に頭脳の空洞化という極めて不幸なことが起こらないとも限らない。やはり私たちは、西洋の合理主義の長所もうまく取り入れて、それこそ日本社会に新しい流れを作らなければならないのである。

*注
「ヒルコ」
イザナギとイザナミの息子。足が不自由で、三歳でも足が立たず、捨てられたと言われる。「蛭子」あるいは「日る子」とも表記し、恵比須(えびす)とも呼ばれる。アマテラス(女子)と同じく太陽を象徴する男神である。古代の神話世界での母性社会を暗示するものか。
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by sakura4987 | 2007-08-01 09:52

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