◆慰安婦は徴用ではなく募集だった ― 日本政府調査資料から
(古森義久氏のブログ-ステージ風発 07/7/23)
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/243239/
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』という書を読みました。というより、要点に目を通したというほうが正確です。
この書は「女性のためのアジア平和国民基金編」となっています。出版元は龍渓書舎です。
日本政府が平成4年から5年にかけて発表した「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」という資料の「概要紹介」を単行本の形にしたものです。
この資料は慰安婦問題の研究者、専門家たちはとっくに読んでいるものでしょう。
しかし私にとっては初めての通読でした。そして目を通して驚き、かつ納得したことは「日本の政府や軍が女性を組織的に強制徴用して慰安婦にしたという文書上の証拠はない」という趣旨の政府の言明どおり、ここに概要が紹介された資料はみな慰安婦が募集され、軍はむしろ募集にあたる業者に対し強制徴用の類の行為はとらないよう警告していたような事例ばかりだった、という点でした。
この資料は産経新聞の読者の神奈川県海老名市在住の肥田英二さんが提供してくれました。肥田さんは伯父さんが学徒出陣されたそうで、日本軍の将兵が慰安婦問題で若い女性たちを「性的奴隷」にしていたと断じられるのはその伯父さんへの侮辱や誹謗になる、と述べていました。
もちろん一般でも自由に入手できる資料です。しかし、これを読んで、強く思ったのは「なんだ、軍の組織的徴用などなかったことは日本側の調査でも、とっくに判明していたではないか」という点でした。
その資料の一部を以下に紹介しましょう。
〔警察庁関係(旧内務省関係)公表資料〕
▽昭和13年1月に山形県知事が陸軍大臣、内務大臣あてに送った文書
「募集業者について銃後の民心、とくに応召兵士の家の婦女子の精神に悪影響を及ぼし、婦女の身売防止の精神にも反するとして、募集を断念させる説得を行ったと報告している」
▽昭和13年1月に高知県知事が内務大臣などに送った文書
「軍の威信にかかわる言辞を弄する募集業者の活動は禁止し、渡航希望者にも証明書を出さないことにすると報告している」
▽昭和13年2月に内務省警保局長が各庁府県長官あてに送った文書
「この通牒は募集者の言動を遺憾として、慰安婦となる者は内地ですでに『醜業婦』である者で、かつ21歳以上でなければならないこと、渡航のために本人が警察に出頭することと親権者の承諾をとることを義務づけている。婦女の募集周旋にあたって、軍の諒解または軍と連絡があるかのように言う者は取り締るべきだとしている」
〔防衛庁関係(旧軍関係)公表資料〕
▽昭和13年3月に陸軍省副官が北支那方面軍および中支派遣軍参謀長に送った文書
「支那事変地における慰安所の従業婦等の募集に任ずる者の人選を適切にし、軍の威信保持上並びに社会問題上、遺漏なき様、配慮されたいとの通牒」
▽昭和17年5月に北支派遣軍の軍法会議が下した判決文
「娼妓の廃業に要する金銭のため収賄した陸軍主計中尉に対する軍法会議判決文」
▽昭和17年5月の父島要塞司令部参謀部陣中日誌
「東部軍参謀部は洲崎から26名、吉原から15名の女子を業者が準備し、15日ごろ輸送の予定であるが、人員数差し支えないかと問い合わせの電報」
同種の文書は他に数百点もリストアップされています。
ここで一貫しているのは慰安婦の女性は「募集」されていた、という記述や説明です。また慰安婦の「廃業」もあったこと、前線の慰安婦としては吉原などですでに職業的売春に従事していた女性たちが多数、働いていたこと、などが明記されているわけです。
これら文書からはアメリカ下院の決議案がうたうような「日本軍により性的奴隷」とか、軍や政府による組織的強制徴用という実態はどこにも浮かんでいません。
灯台、もと暗し、日本の慰安婦について調べるにはまず日本政府の調査資料を参照すべきだということでしょう。
吉見義明氏のような慰安婦問題研究者が「日本の政府や軍による女性たちの組織的な強制徴用」をめぐる日本国内での最近の論議には決して入ってこないことも、その理由の一端がわかった気がしました。
私のブログに登場してくる「ホンダ決議案擁護」の人たちも、決議案を支持しても、その決議案が前提とする「日本の政府や軍による組織的強制徴用」という部分には絶対に触れてこないという印象があります。なぜでしょうか。