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◆「著作権というものの限界」


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 ■【日本考察論】~今のニッポンが見える!~

   「賢く生きる」       
                 執筆 福田将平
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「著作権というものの限界」

Webやインターネットの技術が発達して、いろいろな過去のパラダイムが変
わりつつあるが、その中で大きなテーマの一つが著作権の問題であろう。文章
や写真、絵画、その他文芸創作物や芸術作品、映像、ゲームなど対象は多岐に
渡る。これだけ対象が多岐にわたり、その創作の過程がそれぞれのジャンルに
よって大きく違うのにもかかわらず未だに旧来的な考え方で著作権という一つ
の考え方でこれらを統制しようとしている。

例えば、いわゆる文章などによる創作物は日本人は日本語で書くことが多い。
日本語に限らずそれは大抵言語を使って書かれている。作家の柴田翔氏は「私
たちは、過去数千年にわたってしゃべったり、書いたりして作りあげてきた日
本語、その表現力を無料使用して、作品を書いている」と言う。これは創作、
創造というものに非常に効果的な光を投げかけるものである。そもそも人が無
から何かを創り出すということは滅多にあるものではない。創造とは基本的に
は今あるもの、過去からあるもの、アイディアをその時代に合わせたり組み合
わせたり改変したりして行う作業である。

誰が最初に言ったかは知らないが有り難い教えや言葉は、アリストテレスや老
荘、孔孟、など挙げたらきりがないがもう過去の偉人や哲人がそのエッセンス
は言い尽くしている。経営者や成功者が語るものはあくまでそれらのその人な
りの経験に基づく体現の過程だったり結果だったりしてそれらが本当に何もな
いところから初めて創られたかというとそうではない。またその過程でも使っ
ているのは他人の経験や言葉など、時には他人の創作物でもあるだろう。

また視点を変えると、音楽や文章は権利の問題はさておき、一度ネットに公開
すればそれはその瞬間から無断使用の対象となりえる。無断使用されている現
場を押さえることも困難であるからその権利も主張する術もない。逆に言うと
ネットという公共の場に置くことはすなわちその時点でそれらの権利を主張す
ることは実質的には不可能なものとなる。

それではこれからの時代、何が価値を保持できるのだろうか?一つにはこうい
う考え方もあるだろう。同じ言葉を喋るにしても、その人がその時に喋るもの
とそれに付帯する雰囲気とそこから得られる満足感は再現不可能なその時固有
のものである。究極的にはそういう瞬間瞬間に価値が付されていくだろう。書
かれたもの、映されたもの、写されたもの、その他これまでの「古い」著作権
の対象であったようなものはその権利的な根拠を失い単純なその瞬間の価値の
ための無料の宣伝媒体にしかならないだろう。

※2007年8月14日付け日本経済新聞夕刊「あすへの話題」
「日本語の無料使用」柴田翔
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:19

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