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◆「神の沈黙と不在」に絶望 「貧者の天使」マザー・テレサの告白



(世界日報 07/9/18)


世界に大きな衝撃  エスの苦悩を追体験?

 ノーベル平和賞受賞者であり、ローマ・カトリック教会の修道会「神の愛の宣教者会」の創設者、マザー・テレサが亡くなって十年を迎えたが、ここにきてマザー・テレサの生前の書簡内容が明らかになった。それによると、コルカタ(カルカッタ)で死に行く貧者の救済に生涯をささげたマザー・テレサが「神の沈黙と不在」に絶望し、「孤独な日々」を過ごしていたことが浮き彫りになっている。「貧者の天使」と呼ばれたマザー・テレサの告白は世界に大きな衝撃を投げ掛けている。(ウィーン・小川 敏)

 ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王ベネディクト十六世は五日、「マザー・テレサはイエスの生きた証人だった」と語り、世界のキリスト者に「テレサの生き方に倣うべきだ」と語り掛けた。バチカン法王庁列聖省は現在、マザー・テレサの聖人への列聖審議を進めている。テレサは二〇〇三年、前法王ヨハネ・パウロ二世によって列福され、既に福者となっている。

 現在のマケドニアの首都スコピエのアルバニア人家庭で生まれたマザー・テレサ(本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)は一九四八年以降、コルカタの貧民街に出掛け、そこで子供たちの教育を施す一方、貧者を救済し、死を待つ者を慰め続けていった。そのようなテレサを世界は「マザー・テレサ」と呼び、「貧者の天使」とたたえてきた。

 その修道女テレサが亡くなって五日で十年目を迎えたが、それに先立ち、テレサの生前の書簡内容が明らかになった。それによると、修道女テレサは「私はイエスを探すが見いだせず、イエスの声を求めるが、聞けない」「自分の中の神は空虚だ」「神は自分を望んでいない」といった苦悶(くもん)を告白し、「自分は孤独であり、暗闇の中に生きている」と嘆いている。

 「貧者の天使」の告白に衝撃を受けた西側メディアは「テレサ、信仰への懐疑」などとセンセーショナルな見出しを付けて報じた。彼女は生前、その書簡を燃やしてほしいと願っていたが、どのような経緯からか燃やされず、このように彼女の内面の声が明らかになったわけだ。

 マザー・テレサの告白は、キリスト教の歴史では決して珍しいものではない。むしろ、程度の差こそあれ、神を信じる多くのキリスト者が信仰生活の中で葛藤(かっとう)してきた。例えば、新約聖書の聖人パウロの告白は有名だ。パウロは「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して闘いをいどみ、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんという惨めな人間なのだろう」(ローマ人への手紙七章二十二節-二十四節)と告白している。「パウロの嘆き」と呼ばれるものだ。

 パウロの場合、自身の神への信仰の弱さを嘆いたわけだが、マザー・テレサの告白の場合、神、イエスに求めても答えを得ることができない、「神の沈黙」への嘆きともいえる内容だ。

 コルカタで死に行く多くの貧者の姿を目撃したテレサには、「なぜ、神は彼らを見捨てるのか」「なぜ、全能な神は苦しむ人々を救わないのか」「どうしてこのように病気、貧困、紛争が絶えないのか」などの問い掛けが常に付きまとってきたはずだ。このような状況下で神、イエスへのかすかな疑いが心の中に頭をもたげた。マザー・テレサは生涯、神への信頼と懐疑の間を揺れ動いていたのだろうか。

 テレサの書簡を公表した聖職者コロディエチュック氏は「テレサの告白は彼女の神聖を証明しているものだ。なぜならば、十字架上で神が離れていく孤独を味わったイエスの苦悩を、テレサは追体験しているからだ」と説明、信仰への懐疑を吐露したテレサの書簡内容で法王庁列福省の列聖審議が遅滞することはないと述べている。

 マザー・テレサの告白で彼女の神聖に疑問を投げ掛けることは、もちろんできない。しかし、修道女テレサの苦悩が、「神の不在」に関する現代キリスト教神学の不十分さを痛感させる一方、結婚と家庭を断念して修道院で神を求める信仰生活が神の願いであるか、という問い掛けを内包していることだけは確かだろう。
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by sakura4987 | 2007-09-22 15:01

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