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◆「直言! 日本の教育」 家庭で子供に敬神崇祖の生活を

 

(世界日報 07/9/24)


 沖縄県護国神社宮司 伊藤陽夫氏


 教育改革が、制度や小手先のやりかたでは本質的抜本的改革は難しいと私は見ています。それはコンクリートに種をまいて水を与えても芽が出ないのと同じです。豊かな土壌が何より大切と考えます。



 教育は、educate。すなわち何を引き出すかが肝心ですが、神道では人間を含む天地万物すべては神の命の幸(さきは)えであるとみますからこの「神のいのち」を引き出すことが教育の役割ではないか、と考えます。神聖で荘厳なるものが人間の本質であるという人間観を持って大人も教師も子供と接するか否かで、子供の成長を大きく左右することになります。



 ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんが日本に来て感銘し、広める運動を始められた「勿体(もったい)ない」という言葉は、神様の恵みに対する感動の言葉です。また「たべる」も「たまわる」(「いただく」)の語源「たぶ」の転化したもので、古代日本人は「食う」ことを、神様からの恵みを頂く、たまわるといっていたことになります。このような敬虔(けいけん)な麗しい心を回復し、美しい国を子供たちに贈らねばなりません。



 かつて学習塾を経営していた時、授業の始めに「七つの誓い」を朗読させていたのですが、「私達は常に両親と先生を敬い……」という個所になると、最初、つまってしまうのです。読めない子もいました。これは、子供たちが生活の中で「敬う」という体験をしていないからにほかなりません。



 日本の家庭には仏壇神棚があって日々、敬神崇祖の生活が定着していました。親でさえ、ひれ伏して仰がねばならぬ「何か」があるという環境は、本当は子供にとって不可欠です。神仏への感謝や祖先への崇敬の念は自ずと、親や年長者に対する姿勢を育(はぐく)み、ものを大切にする心を養うからです。また、親の心に「畏敬(いけい)」の思いがなければ、その人は家族や周囲の人たちから畏敬されることもなくなるのです。



 畏敬の念があって初めて権威が生まれるのですが、今の教師にも親にも権威が喪失したのはこのためではないでしょうか。神仏にひれ伏すことを忘れた結果、腕白(わんぱく)な子供に親がひれ伏し、家庭でさまざまな悲劇が生まれていることが残念です。



 今年八月十五日付産経新聞で、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が対談で「神棚に手を合わせて拝み、ご先祖にお線香をあげることを子供時代の日常の中に習慣としてあったこと、そんな環境に育ったことを心の財産として幸せに思っています」と語っており、我が意を得たりと思いました。また、評論家福田和也氏は、「垂直の倫理観の回復」という表現で、敬神崇祖の重要性を指摘しています。



 2DKの空間にも、小さな神棚を置くことはできます。子供に「ありがたさ」を教えることこそ、教育の原点と思います。加えて、多くの感動を子供に与えるのが大人の役割でしょう。友情における感動、美しいものに出合った感動、本物にふれる感動……。それは必ずや生きている喜びに結びつくものです。でも、「躾(しつけ)」は「おしつけ」であってはいけません。漬け物石も、その重さがポイントと言われるように、子供を押しつぶすことのないように、細やかな愛情を心掛けてほしいものです。



 敬神崇祖の生活を親が実践していないと子供には全く響きませんね。私自身は二十歳過ぎから、早朝、水垢離(みずごり)を始めました。家庭を持ってからは、長男は五歳の後半から、二男は小学一年から一緒に水垢離を始めました。いずれも自分から「やる」と言い出したのです。水垢離の後は、家族そろって神棚の前で祝詞を奏上し、般若心経誦唱を行うのが日課となりました。



 その長男は京都大学から外務省に入省しましたが、その後、明治神宮に奉職。二男は大学院を出て、教師になりました。二男には「子供に人間の本物をみせてやれ」と激励しています。
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by sakura4987 | 2007-09-29 11:01

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