◆【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 「もと是れ神州清潔の民」
(産経 07/11/14)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071114/acd0711140238000-n1.htm
(前半部分、略)
≪まず「精神」が問われる≫
翻って思うに、日本は本来、「清潔」を重んじる国ではないか。幕末、文久3年(1863年)、大和に挙兵した天忠組に加わった、国学者・歌人の伴林光平は、『南山踏雲録』という傑作をのこしたことで知られているが、その光平の漢詩の一節に「本是神州清潔民」(もと是れ神州清潔の民)というものがある。
日本の伝統においては、まず、精神が「清潔」でなくてはならないのである。何をいっているか、何をやっているかという点ではなく、いわんや、保守派か進歩派かなどという次元のことではなく、その前提として「清潔」な精神であるかどうかが決定的なのである。
今日の日本の教育、年金不正、偽装の問題をはじめとする、日本の社会、日本人の精神の根本における腐敗の進行を食い止めるには、日本人が持っている「清潔」の観念を蘇らすことがまず必要であろう。「不潔な」現状に決して屈しない、雄々しい日本人は心の中でいつも唱えているべきである、「もと是れ神州清潔の民」と。