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◆守破離

守破離とは、物事を習得する上での段階を三つに分けた言葉です。

「守」とは、

師匠の教えを正確かつ忠実に守り、剣道における基本の作法、礼法、

技法を身に付ける、いわば「学び」の段階をいいます。

「破」とは、

それまで身に付けた技や形をさらに洗練させ、自己の個性を創造する段階をいい、

「離」とは、

さらに前進させ、自らの新しい独自の道を確立させる最終段階のことをいいます。

自己を常に発展させるべく修行、精進を重ねていく終わりのない道です。

 

以って第一段階の「守」をいかに綺麗に身に付けるかで、その後の全てが決まる

のだと思います。初めに良き師匠に巡り合えることも、また重要なこと。

 

もともと「守破離」という言葉は、不白流茶道開祖の川上不白(江戸時代中期・

後期の茶匠)が記した『不白筆記』(一七九四年)に見られ、茶道の修行段階を

教えたものであったのが、転じて日本の諸武芸に於いても修行の段階を

説明する言葉として使われたと称されています。

 

この三段階は、剣道のみならず万事の学習に通じる理りです。

 



習・守・破・離の段階を考える



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守・破・離

 先日、一年間にわたった水墨画教室が終了した打上会の席、「水墨画でも、何でも習い事というのはなかなか上達しないものだ」と話し合っていた時のことです。

 Tさんが「剣道に守・破・離という言葉があるのだけれど、その前に習があるのだよな」とポツンと口に出したのです。その場では、Tさんから詳しい話はなかったのですが、習・守・破・離というのは仕事の場でも使える言葉だと思ったのです。

 私なりに習・守・破・離を解説して見ると次のようになります。

 まず、入門すると先生のやり方を習います。したがって、習ったら、先生に教えられたことを守ることから始まるのです。この段階では上達しているかどうかは先生に評価してもらうことになります。(習の段階)

 次に、あるところまで上達すると、人は教えられたことを自分がやりやすいように変えて見たくなり、教えを少し破って見るようになります。破ったことで先生の評価は下がるかも知れません。しかし、少し破って見ると先生との違いを自分で判断できるようになり、自分の考えが段々と固まってきて、自分流を見出だしてくるようになります。(破の段階)

 そして、先生の教えから変えた自分のやり方に自信を持ってくると先生の流儀から離れて独立していくようになるのです。先生の流儀を守っている間は、自分の力は先生の目だけで評価され、世間の目からは隔離されていて、直接に批判されることはありません。世間からは先生だけが評価さているのです。
 先生から離れると、自分が打ち立てた流儀は世間の目で厳しく評価され、世の荒波を自分でかぶることになるのです。(離の段階)

 「先生と弟子」を「上司と部下」に見立てたら、仕事の場でこれと同じようなことが言えるのではないかと思いました。

仕事の典型的な2つのタイプ

 私たちが仕事と考えていることに、典型的な2つのタイプがあります。簡単にいえば『決められた方法を守る仕事』と『方法を考えてやる仕事』です。

 前者は『決められたことをきちんと守って、作業を間違いなく遂行し、欠陥のない商品を作り上げること』というタイプの仕事です。

 後者は『やり方を工夫しながら目的を達成していくこと』というタイプです。

 

 人間は考える動物です。考えるという素晴らしい能力を持っています。しかし、「人間は考えながら動物」ですから、行動している時に「何を考えていたか」で仕事の結果が違ってくるのです。逆にいえば、仕事の中で何を考えさせるかで仕事の成果が違うのです。

 そのため、『決められた方法を守る仕事』においては「何故この方法を守る必要があるのか」をきちんと教えることが大切です。

 『方法を考えてやる仕事』では「目的をどのように教えるか」がポイントになります。目的をしっかり教えておく必要があるのです。

 しかしながら、丁寧に教えることが大切だといっても、教え過ぎては部下は育ちません。また、部下は自分が分っていると思っている話は聞いていません。部下に教えるということは大変難しい仕事なのです。


部下に仕事を教える時に

 仕事は様々です。上司と部下の関係も様々です。部下のその仕事に対する習熟度によっても仕事のさせ方、教え方には大きな差があります。同じあなたとあなたの部下との場合でも、仕事によっては違ってきます。全ての仕事を先に述べた2つのタイプに割り切ってしまうこともできません。

 どんな仕事でも、方法を教えるよりは何故を教え、目的を教えることの方が大切だと断言できます。しかし、部下の習熟度が低ければ、方法を教えない訳にはいきません。

 そこで、自分と部下を先生と弟子の関係に見たてて、「今から教えようとする特定の仕事について、自分と部下の関係は習・守・破・離のいずれの段階にあるのか」と考えて見ては如何でしょうか。

 習の段階にあると思えば、仕事の目的を教え、方法を懇切丁寧に教え、その上に、何故(その方法をとるのか)を教える必要があります。教えるだけでなく、山本五十六の歌といわれる『やって見せ 言って聞かせて させて見て 褒めてやらねば 人は動かじ』をきちんとしてやる必要があります。

 守の段階では、方法の細部を教えるよりはむしろ、目的と何故の確認に念をいれることが大切です。もう方法を細かく教える必要はない筈です。

 破の段階、これは改善活動のようなケースと考えればいいでしょう。標準作業の見直し、設備やジグの改善を検討するような場合、目的を十分に議論し、何故を確認したら、失敗や間違いを恐れず自由な発想で検討、テストを進める必要があるのです。

 離の段階、これは設備や手法、手順までも変えていくようなケース。目的を十分に説明し、検討を加え、発想の自由度の範囲をメンバーで確認してから自由に議論を進めるようにしたらいいのではないでしょうか。

 また、改善活動のような「破の段階、更には離の段階の仕事」であっても、その仕事を進める計画を立案するような時は「離の段階」と考え、その計画を実験する時、実行する時は「習、守の段階」と考えて行動する必要があるでしょう。

 要はその時、その時の仕事の場面で、「今は習・守・破・離のいずれの段階にあるのか」を考えて、部下の教育指導と部下とのコミュにケーションに対処していけばいいのではないでしょうか。

部下に生き生きと仕事をさせるために

 まず第一に、仕事の目的を明確に説明すること。目的に同意できない仕事には部下は力が入らないのです。目的の何故も十分に説明する必要があります。

 次に守るべき条件、ルールをはっきりと説明すること。これを守らせるためには何故これが必要かの十分な説明が不可欠です。そして、部下の能力に合せて、できるだけ大きな自由度を与えることが部下の大きな力を引き出すのです。




守(しゅ)・破(は)・離(り)    「揆奮館について」に戻る       [2006/03/26更新]


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 稽古を積む課程、すなわち修行における順序を表す言葉で、独自の境地を拓く、道す

じとして、師の流儀を習い、励み、他流をも学ぶことを重視した教えである。

 一般的には、「守」は、師についてその流儀を習い、その流儀を守って励むこと、

「破」は、師の流儀を極めた後に他流をも研究すること、「離」は、自己の研究を集

大成し、独自の境地を拓いて一流を編み出すこととして説明される。

 武道における修行が人生に深く関わっている以上その修行には限りがない。すなわち

限りなき修行に没入することを最終的には求めている言葉である。  

                       [参照]武道論十五講、不味堂出版


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「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行し、それをしっかりと身につけ

ることをいう。

「破」とは、師に教えられしっかり身につけたことを自らの特性に合うように修行し、

自らの境地を見つけることをいう。

「離」とは、それらの段階を通過し、何物にもとらわれない境地をいう。

 修行をする上で、心・技・気の進むべき各段階を示した教えといえる。

    [参照]全日本剣道連盟居合道学科試験出題模範解答例、月刊剣道日本編集部


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  伝統を受け継ぐ者にとって忘れてはならない、特に武道にとっての教えが「守破離」で

ある。

「守」とは、師や各流派の教えを忠実に守り、それからはずれることのないように精進

して身につけよ、という意味である。

「破」とは、今まで学んで身につけた教えから一歩進めて他流の教え、技を取り入れるこ

とを心がけ、師から教えられたものにこだわらず、さらに心と技を発展させよ、という意

味である。

「離」とは、破からさらに修行して、守にとらわれず破も意識せず、新しい世界を拓き、

独自のものを生みだせ、という意味である。

「守破離」は単に武道の世界だけの教えではない。学問も経営も技術も、すべてにあては

まる。師に教えられて師に止まっていては発展はない。古武道に出発して古武道の中で止

まっていたのでは、後継者としての存在価値はない。師をしのぎ、伝統を越え、親を超越

して、より高い次元に発展成長してこそ文明の進歩がある。「守破離」とはその意味の言

葉である。

            [参照]活人剣抜刀道、叢文社


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 「守破離」の「守」とは、武道を学ぶにあたって、師や各流派独自の教えや形、技など

を忠実に守り、それからはずれることのないよう精進して、その教えを堅く守って身につ

けることである。

 「破」とは、今まで学んで身につけた教えや形、技が確実に身につき、修行がさらに進

んでいけば、自然と他流の師の教えも心がけ、他流のよい技を取り入れていく。そして自

己の守ってきた形の技を破って、心と技を発展させていくのである。

 「離」とは、破の状態よりさらに修行していくうちに「守」にとらわれず、また「破」

も意識せず、おのずから一つの形、流派を離れて新機軸を開いて、独自の新しいものを生

み出して、修行していくことである。

 この「守破離」の精神は単に武道ばかりでなく、人間の生き方すべてにとって大事なこ

とである。

                 [参照]日本刀精神と抜刀道、BABジャパン出版局




世阿弥の『花伝書(風姿花伝)』説は、
『風姿花伝』現代語訳に目を通した限りでは、
『序・破・急』には言及されていても、
『守・破・離』は見当たらないので×
ところが、
東北大学名誉教授・学士院会員:源了圓氏によれば、
『守・破・離』のベースは『序・破・急』にあった、
と言うよりも世阿弥の生き様そのものにあった、
との見方もあるようなので△

利休道歌の
「規矩(きく)作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘るな」
の説は、
『守』『破』『離』の全てが歌われているので○

江戸時代の茶人・川上不白の『不白筆記』
「守ハマモル、破ハヤブル、 離ハハナルト申候他。。。」説
となると、
『守』『破』『離』について、
詳しく解説が為されているので○と言いたいところだけど、
年代順に見れば、
『不白筆記』が最も新しいわけで、
“後出しジャンケン”の観はいがめず△

ということは利休道歌説が最有力かぁ?
と思っても、
「『守・破・離』のベースは世阿弥の人生そのものにあった」
とすれば、
『花伝書(風姿花伝)』は
明治の時代までは口伝によって受け継がれたとは言え、
世阿弥の世評が利休に何らかの影響を与えた可能性も、
無きにしも非ずと思われ、
この三つの説が微妙に絡み合って、
今日に伝えられ、
“道”を学ぶ者たちの指針とされるようになった。
と解釈するのが一番自然なのかも。。。

後は実践するも聞き流すも本人次第、
と言うことで。。。

って言うか、
料理の修業もこうあらなきゃダメだね。
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by sakura4987 | 2007-12-02 13:38

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