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◆日米開戦前 米大統領→天皇あて親電



       「瀬島少佐と配達遅らせた」陸軍通信課証言

 (産経 07/11/24)


 ■最後通告に影響か


 昭和16年の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れた原因の一端を示すとみられる史料が、防衛省防衛研究所に保管されていることが分かった。史料は、ハワイの真珠湾攻撃成功を目指す旧日本軍が開戦直前、ルーズベルト米大統領から天皇あての親電の配達を遅らせたことを明確に裏付ける内容で、旧陸軍参謀本部作戦課の瀬島龍三少佐(当時)の関与を示唆した文書が見つかったのは初めて。親電の一時差し止めが最後通告の遅れにつながった可能性を指摘する専門家もおり、通告の遅れをめぐる論議に一石を投じることになりそうだ。



 史料は、昭和11年8月から20年までの軍関係の動きについて、戦後、防衛庁(現防衛省)が関係者から聴取した「防諜(ぼうちょう)ニ関スル回想聴取録」。



 それによると、16年12月の開戦前、陸軍参謀本部通信課員だった戸村盛雄少佐(当時)が37年3月、防衛庁の事情聴取に対し、大統領の親電をめぐる経緯について「7日午前11時ごろ、参本(陸軍参謀本部)の廊下で瀬島(少佐)とバッタリ会った」と証言。



 続けて戸村少佐は「瀬島から『南方軍の船団が飛行機に発見されてこれをおとした』と聞いて、これが開戦の第一発であると思って、瀬島とも一緒に考えて親電を遅らせた」と証言していた。



 これは、日本の船団がマレー半島沖で英軍の哨戒飛行艇に発見されたため、護衛していた旧日本軍の戦闘機が撃墜した事実を指す。この証言が事実なら、瀬島氏は旧日本軍がすでに、米国と同盟関係にあった英国と開戦したという事実誤認から陸軍の規定に従い、親電の配達を遅らせたことに関与していた可能性がでてくる。当時、参謀本部は海外情報の統制のため、外国からの電報を10~15時間程度遅配するよう決めていたが、大統領親電のような特別重大な電報については例外とする余地があったようだ。



 大統領親電の内容は日本側に一見、和平を呼びかけながら日本軍の仏印からの全面撤退を要求する強硬な内容だった。



 学識者の中には、軍部が親電の配達を遅らせている間に外務省本省がこれを解読、翻訳し、最後通告の内容に反映させようとしたため、結果的に最後通告の遅れにつながった-との見方がある。



 作家の半藤一利氏は「瀬島少佐が戸村少佐と会って親電の扱いを話したのは事実で、結果としてこれが最後通告の遅れにつながったという推論はありうべき話だ」と語る。その一方で、「瀬島氏に親電を握りつぶす力があったかどうかは材料不足で判然とせず、瀬島氏個人の判断が通告遅れにつながったと断定するのは無理があるのではないか」としている。


                   ◇


【用語解説】対米最後通告の遅れ問題 


 日本政府は昭和16年、真珠湾攻撃の約30分前の米東部時間12月7日午後1時(日本時間12月8日午前3時)に米国に最後通告を手渡す予定だったが、分割打電した最後の14部について在米日本大使館でのタイプ清書が間に合わず、野村吉三郎、来栖三郎両大使がハル米国務長官に最後通告を手渡したのは、真珠湾攻撃から1時間近くたった、午後2時20分(同午前4時20分)だった。米国は「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に対日戦争に入った。


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◆日本軍と開戦 英側認識せず マレー沖飛行艇撃墜

 (産経 07/11/24)


 日米開戦直前にマレー沖で日本軍が撃墜した哨戒飛行艇と英軍側の動向に関する史料が、23日までに英公文書館に保管されているのが分かった。



 史料は、この哨戒飛行艇が所属していた英空軍第205中隊の記録。撃墜されたのはカタリナ哨戒飛行艇で、12月6日午前10時ごろ、マレー沖を南下する日本の船団を確認した。しかし、その後消息を断ち、英空軍中隊は「日本軍に撃墜された恐れがある」としながらも、正確な状況確認には至らず、日本軍と戦争が始まったと認識していたわけではなかったことがうかがえる。



 日本側の記録では、日本軍の上陸部隊を輸送する船団を率いていた海軍の零式水上偵察機が英飛行艇を発見。通報を受けた陸軍飛行第一戦隊の航空機が撃墜している。


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◆米大統領親電 「配達に10時間」の背景は… 陸軍・外務省の関係カギ

 (産経 07/11/24)


 日米開戦時の最後通告の遅れの問題は、ルーズベルト米大統領から昭和天皇への親電の取り扱いをめぐり、旧日本陸軍の瀬島龍三少佐(当時)の名前が浮上したことで、新たな側面が浮かび上がった。「親電の配達遅れが最後通告の遅れにつながった」との見方もあるだけに、今後は瀬島少佐ら陸軍側と外務省本省が親電の扱いと最後通告に関し、どう連携していたのかが原因究明の焦点となる。未公開の外交史料を保管する政府、外務省の積極的な史料公開が望まれる。



 この問題が戦後62年たってなお、古くて新しい問題として学者や歴史家の間などで取り上げられるのは、米国に「だまし討ち」の汚名をきせられた問題の真相を明らかにする決定的な史料が発掘されず、いまだ、闇の中にあるためだ。



 大統領親電と最後通告の関係に初めて注目したのは、元ニュージーランド大使で尚美学園大の井口武夫名誉教授。平成16年10月の日本国際政治学会で、軍部と外務省本省が親電を差し止めて最終電文を修正したことが結果的に通告の遅れにつながった、と指摘した。



 当時、井口氏の報告について、細谷千博一橋大名誉教授(国際政治)は学会の席上、「大統領親電と最後通告の関係を指摘したのは新しく、今後も研究が必要」と評価する一方、現代史家の秦郁彦氏は産経新聞の取材に対し、「親電と最後通告の手順は別々に進んでいた。直接結びついていたとは思えない」と否定的な見方を示していた。



 では、実際に親電はどういう経緯をたどって天皇に届けられたのか。



 日本時間で12月7日正午、東京電報局に到着した親電は、10時間以上遅れの同日午後10時半にグルー駐日米大使に配達された。その後、親電は8日午前零時半にグルー大使から東郷茂徳外相に全文が手渡され、東郷外相は1時間半後の2時に東条英機首相の公邸を訪れ手渡している。その30分後、東郷外相は東条首相とともに皇居に参内して天皇陛下に親電全文を読み上げた。真珠湾攻撃とほぼ同時刻だった。



 外務省はわずか1時間半で親電の英文翻訳を終えて天皇あての文書を整えており、これが事前に解読、翻訳したため最後通告の遅れにつながったとの見方につながる。



 一方、分割された最後通告の最終電文「14部」は、親電が東京電報局に到着した12月7日正午から5時間後の午後5時には発電されている。電文は誤字脱字だらけで「大至急」指定がないなどの悪条件が重なった。



 だが、最後通告を手渡す予定時刻の米東部時間7日午後1時(日本時間12月8日午前3時)までは10時間の時間的余裕があることなどから、通告の遅れは大使館の怠慢とされてきた。



 陸軍参謀本部通信課員だった戸村少佐から親電問題について直接話を聞いたことのある京都産業大の須藤眞志教授(国際関係史)は「戸村少佐は日本軍が英軍機を撃墜したという瀬島少佐の話を聞いて遅らせる決意をしたと聞いた。瀬島少佐が最後通告を遅らせるのにかかわったとは思えない」と語る。



 一方、井口氏は親電の遅配と最後通告の関係について「陸軍不世出の鬼才である瀬島氏にして行えた神業だった可能性が高い」としている。



 外務省は以前、産経新聞の取材に、親電の遅れに関する軍の関与について「記録が残っておらず分からない」と回答。通告遅れの原因は「本省側もさらに配慮すべき点があったかもしれない」とし、大使館に全責任があったとする従来の見解を修正、本省側に一定の責任を認めている。
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by sakura4987 | 2007-12-02 14:33

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