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◆秘話満載「トラトラトラ」打電、淵田中佐の自伝発刊へ



 (読売 07/11/30)

 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071130i4w7.htm


 太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃で、海軍の飛行隊を率いた淵田美津雄中佐(1902~76、終戦時大佐)が晩年に書いた自伝が米国在住の遺族の元に残されていた。



 戦果を昭和天皇にじかに説明したことや、海軍内で功名争いが起こり、後の重要な作戦の成否に影響したことなど、歴史の秘話が描かれている。



 淵田中佐は空母「赤城」の飛行隊長として真珠湾攻撃に参加。有名な暗号電文「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり)を打った人物で知られる。



 自伝は、65歳から73歳で亡くなるまで書きためた一連の草稿。死後、米国の長男に引き継がれ、約30年間眠っていた。2年前、テレビ局でドキュメンタリー番組などを制作してきたジャーナリストの中田整一さん(66)が存在を知り、内容を整理していた。



 自伝によると、淵田中佐は真珠湾攻撃の18日後、永野修身・海軍軍令部総長らと大本営に行き、昭和天皇に見取り図と航空写真を広げて戦果を説明した。「陛下は興味深げに、その写真を縦にしたり横にしたりして眺められる。予定されていた時間は、三十分であったのに、実際は一時間半も費やされた」。説明の後、昭和天皇は、皇后に見せたいと言って写真を持ち帰ったという。



 「開戦に消極的だったとされる昭和天皇には複雑な思いもあっただろうが、心配する皇后を気遣う人間味あふれる一面が垣間見られる」と中田さんは言う。



 自伝ではまた、真珠湾攻撃で戦死した特殊潜航艇の9人を「九軍神」としてたたえるために、米戦艦「アリゾナ」を沈めた飛行隊の戦果を、潜航艇の手柄として大本営が発表するまでの内幕を暴露している。海軍の参謀たちは、そうした工作や、それに不満を募らせる飛行機隊員の説得などに奔走させられた。



 開戦当初の航空作戦を指揮した海軍兵学校同期の源田実参謀(戦後、参院議員)が翌年6月のミッドウェー海戦に向かう艦上で、「第一段作戦(真珠湾攻撃)の後始末とこんがらがってね。じっくりと、この作戦を検討するひまもなかった」とぼやいたエピソードを紹介。自伝では「敗因は、驕慢(きょうまん)であった。アメリカ海軍を侮っていた」と振り返っている。同海戦では日本海軍が主力空母4隻を一気に失い、太平洋戦争の大きな分岐点となった。



 同海戦で重傷を負った淵田中佐は海軍大学校教官などを経て、海軍総隊参謀で終戦。広島や長崎の原爆の惨状を見て戦後は一転、キリスト教に帰依し、伝道者として米国中を巡礼した。



 評論家の保阪正康さんは「佐官級の軍人が天皇に直接奏上するのは前代未聞。資料的な価値の高さは言うまでもないが、軍人と牧師という二つの人生を生きた男の面白さにあふれている」と話している。



 自伝は近く「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」というタイトルで講談社から出版される。
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by sakura4987 | 2007-12-02 14:35

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