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◆【オピニオン】教育を歪めるスローガン 言葉に酔い深い洞察は霧散



 (世界日報 07/11/22)


■明確な理念なし


 中央教育審議会の初等中等教育分科会は、十一月七日に「教育課程部会における審議のまとめ」を公にした。その中で、現行学習指導要領の柱である「生きる力」について異例の反省を盛り込み、「文部科学省と学校関係者や保護者、社会との間に十分な共通理解がなされなかった」と総括している。ここまで明確に指摘したことは大変異例なことであり、「生きる力」の理念が教育現場に浸透することはなかった証左と見ることができる。



 結局のところ、今回の「生きる力」も打ち上げ花火のようなスローガンに終始したというのが私の印象である。立派で華やかな言葉であるが、根がないのでやがて力を失うことになるのである。そして、このようなスローガンが何と教育の世界には多いことだろうか。 ある小学校校舎の外壁に大きな文字で「輝く瞳で未来を見つめて」という教育的スローガンが掲げられていた。眩(まぶ)しいような響きではあるが、何を訴えているのかは不明である。



 このように、良くも悪しくも我々日本人は、みんなで心一つになれるようなスローガンが好きではないかと思う。「鬼畜米英」と叫んで国民を鼓舞した戦前から、労働運動や企業の業績向上スローガンの現在まで、実にさまざまなスローガンがこの社会には溢(あふ)れている。しかしながら、教育の場にスローガンを持ち込むことは、教育を歪(いびつ)なものにし、危険性を孕(はら)むことになるのではないだろうか。



 その第一の理由は、置かれている現実や足元を直視せずに、ただ単に心地よい言葉に酔ってしまい、情緒的な反応に終始したり、群集心理的な行動に流れてしまう危険性があるからである。そこでは、人には無限の可能性があるのだと声高に叫ぶ人間讃歌は聞かれても、人間とは光の部分と影の部分を背負った存在であり、ほんの少しのきっかけで悪魔にもなりうるのだという深い洞察に裏打ちされた哲学は霧散するのである。



 第二の理由は、スローガン的な教育は教師の思考を停止させてしまうことである。日本の教育論議が空回りを繰り返し、建設的な方向に行かないのは、議論する以前の段階でそれぞれに教育スローガン的信仰があるからではないのだろうか。かつて、教職員組合の幹部と臨教審の議論をしたことがあったが、彼らは答申そのものを読むこともなく、信念として反対していた印象がとても強い。スローガンの教育は、形式と見栄えのよさは生むかもしれないが、決して豊かな内的充実を生じさせることはないだろう。そしてどうであろう、内実のない形式主義は、今日至るところで悪臭を放っているのではないだろうか。



■新島襄の「予言」


 ところで、このような昨今の教育的疲弊を予言していた人物がいた。新島襄である。彼は同志社を設立した大教育者であるが、明治二十一年に内外に協賛者を得るべく公にした「同志社大学設立の旨意」は、百年を経ても色褪せることなく、我々に訴えるのである。



 ――今や我邦に於いては、欧米の文化を輸入するに際し、独り物質上の文明を輸入し、理論上の文明を輸入し、衣食住を輸入し、鉄道を輸入し、蒸気船を輸入し、法律を輸入し、制度を輸入し、文学科学の思想を輸入し来たれりと雖(いえど)も、要するに其の文明の由って来る大本大体に至っては、未だ着手する所の者あらざるが如し。故に人心自ら帰向する所を失ひ……是れ実に吾人が遺憾とする所なり。――
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by sakura4987 | 2007-12-02 14:36

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