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◆【やばいぞ日本】座談会(3-1)退路断つ「覚悟の戦略」を



 (産経 07/12/20)


 本紙連載「やばいぞ日本」(7月3日付から66回)を受けて、日本の劣化の原因や克服策を探ろうという座談会が産経新聞東京本社で開かれた。出席者は宗教学者の山折哲雄、JR東海会長の葛西敬之、元外務省中東アフリカ局参事官の宮家邦彦、一橋大学客員教授の中満泉の4氏(本文は敬称略)。約1時間半の論議は、以下の救国シナリオに集約された。

(1)日本は危機的な状況を迎えているのに、日本人は深刻さに気付いていない

(2)競争力を強めるため、退路を断って思い切った改革を断行する

(3)そのためには「覚悟の戦略」をもったリーダーが必要だ

(4)年長者が次世代をきちんと教えて人間関係を安定させる


ーなど。(司会は「やばいぞ日本」取材班キャップ、中静敬一郎・論説副委員長)



 --日本の現状をどう見ますか


 山折 連載を拝見して、日本社会の劣化が行くところまで行き、この先は沈没しかないのか、と感じた。

 戦後60年、われわれの社会は家庭でも学校でも職場でも「人間関係が大事だ」と言い続け、その結果、人間関係そのものが非常に不安定になった。

 何が欠如していたのかというと、親子や師弟の関係でも、技術や知識を年長の者が次の世代にきちんと教えていくという教育の垂直軸というものを問題にしなかった。これがかえって人間関係そのものの基礎を崩した。

 それから水平軸が横並びの平等主義となり、互いの足を引っ張る構造を作り上げた。垂直軸がしっかりしていれば、嫉妬(しっと)や怨念(おんねん)はかなりコントロールされる。それが正当な人間関係の中に吸収されず、ライバルや憎しみの相手に向けられ、社会の中に蓄積している。子殺し、親殺しなどの残虐な事件が多発しているが、蓄積した嫉妬や怨念が外に向かうと殺意になり、内に向かうと自殺を引き起こす。外にも内にも向けることができない人間は行き場を失って鬱(うつ)になっている。

 教育を中心にあらゆる社会組織の中に垂直軸と水平軸という立体的な体系を築き上げなかったことが問題だ。

 葛西 戦後の日本は、すべての人の考え方が内向きになっている。国というものは中を束ね、外に向かって戦略的に自己主張することにより、国益を推進するための組織でなければならず、そのためにリーダーが必要だ。

 これが明治以来の近代化のプロセス。担い手は戦うことを職業とする武士だったが、戦後日本は、その戦うことを否定することから始まっている。

 ですから国を守ろうとか、あるいは企業も役人も、外に向かっていかに競争力を強めていくかということをだんだん考えなくなり、内ばかり見るようになった。仕えやすい上司、付き合いやすい同僚、使いやすい部下がいいということになり、そういう人が組織の中で重んじられる形になっている。

 冷戦時代に米国の保護下で日本が自分で自分を守らなくてもいい、という、ある種の温室の中では、その仕組みは機能し得たと思う。ところが、冷戦崩壊後に米国から突き放され、あるいはバッシングされる事態になって、四分五裂の迷走状況になったまま、それがいまだに続いている。

 すべてにおいて受動的で、主導性を失ったのが日本の戦後の特色。小泉元首相、安倍前首相はその中でリーダーシップを発揮しようとしてある程度成功したが、今また逆戻りし、帆もエンジンも舵もない状況になっている。

 宮家 この連載には日本の劣化が書かれている。個人の劣化では教育の問題や政治家・役人の体たらく、社会の劣化では国家戦略のなさ、縦割り主義などが繰り返し指摘されている。

 私が印象的だったのは、ままごとで「お母さん役のなり手がなく、子供たちはペット役をやりたがる」という記事(11月8日付)です。子供たちの世代から変質が始まり、劣化がかなり深く進行していることは衝撃でした。

 中満 12月4日発表の経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査で、一番ショックだったのは日本の生徒の学習意欲が他の先進国と比べて格段に低いこと(注1)。理由を考えると、恐らく目的意識がなくなってしまったのではないでしょうか。

 戦後ずっと米国に追いつき追い越せ、と一丸となって頑張ってきたのが、実際豊かになってみて、そのあと一体どこに行ったらいいのか、その後の方向性がどうも見えてこない。そのことが、日本の現状で一番危惧(きぐ)すべきことだと考えます。



 --なぜ、こうなったのでしょう


 中満 根本的な問題点は、いい意味での「個」が日本では確立していない。当事者意識がすべてのレベルで非常に希薄であることが原因と考えます。個が確立していることは個人主義とは違う。個が確立していないと主体的にものを考えず、誰かがきっと何かを考えてくれ、それに従ってやっていけば、これまで通り豊かな生活ができるのではないか、と思っている。

 明治維新以降、日本は均質的に非常にレベルの高い国民を公教育を通してつくることに成功したと思う。

 しかし冷戦終了とグローバル化によって環境が激変した。それに対応するには集団で均質的な人間が集まったグループでは無理がある。かなり思い切った方策で教育の方針を変えるなどの改革が必要だったのに、常識の枠の中で、いってみれば箱の中の改革のようなことしかやってこなかった。

 個が確立していないことは、国際的にみれば個人レベルで国際標準で競争できる人間の数が、国のサイズからみるとあまりにも少ないことに表れている。国際的な外交政策においても、日本を守ってくれるのは米国か国連かという、全く二者択一的な、非常に単純な議論しかなされていない。

 日本を守るのは日本です。日米同盟とか国連とかをうまく使いながら、日本の大きな戦略を自分たちが考えていかなければいけないのに…。

 ■個人の力 組織に生かせ 宮家氏

 宮家 僕はグローバル化の問題にとどまらず、どうしても1945年に行き着くだろうと思っている。敗戦を境にすべてが変わったとは思いませんが、集団主義的なものから個人主義的なものへの流れ、もしくは集団主義と個人主義との葛藤(かっとう)が、いまだ克服されていないような気がしてならない。

 私はアラブ人や中国人と付き合うことが多いが、彼らはうらやましいくらい個人主義的だ。ただ、彼らが作る組織は見事にダメです。同じ個人主義でも、欧米諸国は個人と組織の調和をうまく図っており、個人の力が組織的に生かされるようになっている。

 しかし日本の場合は個よりも集団、組織のほうが大事だった。敗戦後の占領下で激変があり、戦前の集団主義的なものが、個人主義的なものへと大きく流れが変わった。実際に教育など一部の分野では個人主義ですべてが動き始めた。ところが、社会全体ではまだ集団的なものが残っている。 

 今のいろいろな変化に対応できない最大の理由は、個人主義的な人たちが多数になってきているのに、その新しい統治の手法がまだ確立していないことにあるのではないでしょうか。

 葛西 戦前と戦後とで、私はそんなに変わっていないような気がする。例えば戦争に突入したときの形を見るとドイツやイタリアは明らかに強いリーダーがいて、リーダーシップに引きずられて戦争に入っている。日本は全く逆で、軍部が独走したというよりも、あれはリーダーシップ不在の中で民意に迎合して戦争に突入した。

 リーダー不在は、日本が島嶼(とうしょ)国家であり、安全や繁栄が決定的に脅かされることはないという風土から来ているのではないか。

 聖徳太子が十七条憲法で「自分は必ずしも聖ではなく相手は必ずしも愚ではない」「たくさんの人の意見に従えばいい」としているのは、まさに日本型の非リーダーシップ的リーダーであり、その原点です。

 日本でのリーダーシップ発揮の時期は幕末でしょう。西洋の植民地化に対抗する形で必要やむを得ず出た。

 戦後、敗けて国は滅びたが、うまい具合に朝鮮戦争が起き、米国が日本を共産主義の防波堤として徹底的に保護する仕組みになった。それで日本人はリーダーシップというものを学ばず、国策を自分で考えないで、黙って冷戦のレジームの中できちんと努力さえすればいいという風になった。

 本当は今、幕末と同じぐらい日本は独立あるいは存在の危機を迎えている。中国の存在はまさに脅威です。にもかかわらず、そのことを認識すらしないという、そこに今の問題がある。幕末の侍たちは認識していた。

 今の国の指導者たる政治家の一部は認識していない。その認識すら失ったのは、憲法9条と東京裁判によって作られた歴史的歪(ゆが)みのせいです。誤った歴史認識に日本人は縛られ、思考停止している。

 山折 個の確立ですが、ヨーロッパ近代の社会が作り出した個は、ヨーロッパ近代人の人間観と非常に深いかかわりがある。根本は「人間とはそもそも疑うべき存在だ」という認識。これは非常に徹底している。

 デカルト(注2)の「われ考える故にわれあり」の「われ考える」は「われ疑う」。徹底的に疑う主体としての個が存在したから、自然科学が発達し、そこにヨーロッパ近代の精神性が出る。ただ、個と個の関係性が疑うべきものでは社会を作れない。民族国家を形成するための2つの条件がありました。1つは「一神教の信仰」で、もう1つは「契約の精神」です。

 日本社会はこの2つの条件を欠いている。その代わりに日本人は「人間とはそもそも信頼すべき存在だ」という人間観を作り出した。ところが、現実には人間は裏切り続ける存在です。

 このジレンマを乗り越えるために作り出したのが、「組織を裏切るな」というモラルだったと思う。ここに集団主義の宿命的な問題が出てくる。信頼すべき人間同士のコミュニティーを強化するためにどうしても集団的な力に頼る以外にない。超越的なものが存在しないわけですから。そこから組織に対する裏切りが、人殺しより重い最高の悪とされたのです。

 そうした日本固有の社会構造、人間観があり、その上に近代以降、ヨーロッパの個人主義、個の自立という思想を受け入れた。明治以降のリーダーたちは必死になって調和させようとした。これは調和させる以外にない。あれかこれかの問題ではないですから。

 アジア全体の中では日本の維持してきたこの集団主義は、かなり良質の集団主義だと思う。個人主義を抱え込んだ集団主義、あるいは集団主義を内面化した個人主義。今はその良質の部分をどう発展させるかという岐路に来ていると非常に強く感じる。



■【やばいぞ日本】座談会(3-2)



 --解決策はいかがですか


 山折 異論があるかもしれないが、私は「経済成長率信仰」を根本的に変える必要があるのではないかと考えています。経済成長率さえ維持していけば、年金の問題も税金の問題も解決すると言わんばかりのことを政治家も経済人も言い出している。しかしね、もう世界全体が限界に来ている。この信仰に鍬(くわ)を入れることを、まず日本が率先すべきじゃないかと思う。

 大和言葉には「腹八分」といういい言葉があります。これは日本人のライフスタイルに直結した観念であり、感覚です。ところがね、若い者と一緒に居酒屋に行くと、飲み放題、食い放題の店があふれかえっている。食べよう、ばかりです。こういうものに歯止めをかけるため、「腹八分」という考え方はいろんな面で適応可能性を引き出すメッセージだと思います。

 それと経済成長率信仰の見直しは結びつく。ただ、経済が停滞していいのかといわれると困るが、「経済持続力」といった言葉もある。

 葛西 日本で抜本的な改革がなされた時期は、明治維新と大東亜戦争の敗戦です。いずれも外的要因による「非連続的改革」です。だから非連続的改革をやってみたらいいと思う。

 真っ先にやりやすいのは、公共事業と教育です。日本は今、土建立国になっているから、これから先、これまでのような国でやる公共事業では、一切新規の建設はやらない。いままで建設したものを21世紀の間、いい状態で使うためのメインテナンスの投資しかやらないことをまず決める。

 教育改革では、考える力をつけるための基礎と、集団で授業を受けることによって社会的な規律を身につけることに絞る。子供の数はどんどん減り、先生は大量に退職している。こんな絶好の機会はないので、先生の採用および教育予算は子供の減少に比例して抑制する。個別の施策のために抑制を解除する場合は、案件ごとに教育再生管理委員会のような組織が判定する。

 こうすると、公共事業と教育が退路を断たれた形になる。非連続的な改革の発火点になり、いろんなことが動き出すきっかけとなるかもしれない。相当乱暴な議論ですが、国鉄改革の場合はまさにそうだったわけです。

 宮家 おっしゃる通りで、非連続的な形でしか日本は改革ができない。外圧がなければ、もしくは環境が激変しない限りできない。今の日本では山折先生が言われた良質の集団主義が劣化し、その中で個人主義も劣化している。こう言うと不愉快かもしれませんが、まだ落ちるところまで落ちていない。落ちて、1億2800万人全員が「これはダメだ」と思わないと、一致団結して改革しない。その間は改革しようとする立派な人の足をみんなで引っ張るだけです。

 中満 倫理観の低下を私たちが感じていても、日本人ほど緻密(ちみつ)で勤勉でモラルが高い国はありません。

 ただ難しいのは、これらの長所、強みが実は短所、欠点と紙一重です。緻密で勤勉だからこそ、いざというときにダイナミックな考え方ができず、リーダーシップを取る人間が出てこない。対外的な関係を築くときに相手を信頼し過ぎて主張しない。こういう性質を表裏一体で持っているからこそ、改革が難しい。だが、逆にそれらを両方得ることができれば、ものすごいパワーになると思います。

 日本の劣化といいますが、例えばマンガやアニメの文化力は1960年代のビートルズに匹敵するぐらいの浸透力を持っている。しかしそうした力を結集するようないい意味での組織力、行動力が今、欠けています。

 「日本と世界」ではなく、「世界の中の日本」へ、発想を転換するため、英語を公用語化するような思い切ったことが必要ではないでしょうか。




 ■英語の公用語化検討を 中満氏


 --英語だけの公用語化ですか


 中満 もちろん国語化ではなく、日本語との併用です。官僚組織では重要な文書を必ず日本語に訳す。いかに時間と労力を使っているか。それを一切やめ、「そのまま読む」とすれば、英語を学ばなければ仕事ができなくなる。必要に迫られるわけです。

 山折 明治以前では、中国文明と日本文明はそういう共存関係でした。漢字文化を日本列島文化は消化した。それをやれということですね。

 葛西 江戸時代に2、3歳のころから漢文を読ませたような教育を一部の人に施すのはいいかもしれません。しかし、植民地のように他国の言葉で仕事をしなくてはならなくなったときには必ず支配される。

 以前、外資と対等合併した会社の社長に「社内の公用語は何だ」と聞いたら「英語だけだ」というので、「あなたの会社はもう負けたということだ。いずれダメになります」と言いました。その会社は半年後につぶれた。

 英国が、「英国病」(注3)と言われるように没落が危惧されながらも地位を保ったのは、英語が世界の覇権言語だったからです。日本語はそうではない。日本がこれから生き残るには、だれかと手を組むことが必要です。

 相手を間違えたら滅びる。それはやっぱり米国であり、小泉、安倍両氏は正しい。日米同盟が基軸であることに異を唱える人々は、ものの本質を見誤っていると思う。

 現実的な処方箋(せん)は、太平洋を内海とする密接な日米関係をつくることです。その方向に動けば、「日本病」が進んでもなんとかなると思う。

 宮家 日本が劣化することで、その正しい政策ができなくなる可能性があるのが怖い。

 葛西 山折先生の経済成長率信仰見直しには全く同感です。経済成長による税収増を重視する「上げ潮路線」は疑問です。必要なのは、厳(きび)しめの想定による日本経済の正確な将来予測であり、その試算に基づいた処方箋を現実的に考えなければならない。

 政府は消費税率論から逃げているが、国鉄の運賃値上げと一緒で、ずっと逃げて最後にドカンと値上げしたらうまくいかなかった。それと同じことになるような気がする。

 山折 いまよく「国家戦略」という言葉を使うが、その場合の戦略を作り上げる方法は常に目的合理性に基づいている。しかし、例えば明治維新における政治家たちがやったのは、目的合理性に基づく認識はもちろんあったと思うが、それ以上に「覚悟の国家戦略」だった。

 今の日本社会にとっても重要なのは「覚悟の戦略」と思う。葛西さんが言われたようにいろんな見取り図を作って、その中で選択する。これは合理的に説明できない場合があるわけです。そのときにどう覚悟するか。それがない。「覚悟の戦略」という発想が。

 宮家 グローバル化への危機意識をみんなに持ってほしい。とりわけ政治家です。なぜなら政治決断をしない限り、われわれが言ったことはすべて絵に描いた餅(もち)。しかし国会が衆参両院でねじれ、今のままでは本当に大事な政治決断をするチャンスを失う。政争をやっている暇はない。

 中満 思い切った政策を行っても、効果が国レベルで出てくるには時間がかかる。5年ぐらいのうちに思い切ったことをやり始めないと、間に合わなくなってしまう。



 --問題はリーダーですね


 葛西 リーダー教育は必要と思う。でも、例えば文部科学省の審議会で議論をして、国全体のシステムとしてリーダーを育てる仕組みを作るのは不可能だ。そこで、私は志を同じくする民間企業数社とともに、リーダーの卵を育てる中高一貫校を2006年、愛知県に開校した。一粒の種をまく、その動きがいくつか集まったときに何かが出てくる。自分にやれることをやっていこうと思っています。

 聞いた話ですが、米国人の最も多くの人たちが一番信頼するのが「米軍」だと答えるそうです。私の米国の知人をみてもそれはうなずける。高給をもらわず、強ぶらず、自己抑制の効いていて、しかも積極果敢である。

 いわゆる昔のいい米国のリーダーシップが残っている。日本の霞が関にはそれに当たるものがない。

 宮家 絶対ない(笑)。

 葛西 ビジネスの世界はもっといません。リーダーを育てるには時間がかかります。

 中満 どんな職場組織でも、入って2、3年たつと「この人は将来リーダーになるだろうな」という人間は大体見えてくる。そういう人材を育てる意識的な努力がもっとなされた方がいい。要するに、どんどん責任を与え、失敗を含めて自分で学び取らせていく。そうした取り組みが霞ケ関はもちろん、ビジネスの世界でもなされていけば、将来のリーダーの卵が生まれてくるのではと思います。

 山折 歴史に学べば、日本の改革革命で最も見事な成功例は明治維新。あれは無血革命に近い。前提は江戸城無血入城です。そこに西郷隆盛(注4)と勝海舟(注5)というリーダーがいます。彼らが何を最終的に目標にしていたかというと、前述した聖徳太子の「和」の問題が出てくる。その意味で集団主義は非常に根が深い。

 私は、明治維新で示されたリーダーたちの一種の集団主義、和の精神は、いつでも死を覚悟していたと思う。

 よく非暴力、平和主義というとインドのマハトマ・ガンジー(注6)が想起されますが、ガンジーも死を覚悟し、最後は暗殺された。絶対平和主義を唱える日本人はそこを見ていない。日本人がこの甘さを乗り越え、その上で明治無血革命の集団主義、和の精神をどう質を高めて継承するかです。

 葛西 明治になって大久保利通(注7)は暗殺された。

 山折 毎日暗殺の危機感の中で活動していたわけでしょう。すごいと思いますよ、その精神力は。
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by sakura4987 | 2007-12-27 16:57

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