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◆創価学会批判の要諦 [那田尚史の部屋]



 http://www.geocities.jp/nada123jp/criticism.64.html

創価学会批判の要諦

1、宗教法人としての資格

創価学会は本来、鎌倉時代から続く宗教法人日蓮正宗の信徒団体であったにもかかわらず、別途に宗教法人として独立していった。この奇妙な形態が生まれたのは先代の会長戸田城聖が、「これからドンドン折伏活動を進めていきます。そうすると国家からの弾圧などが起きるでしょう。そのときに宗門外護の役割を創価学会がになうために、防波堤として創価学会を宗教法人にさせてください」と宗門にお願いしたからである。
 当然宗門からは反対意見が噴出したが、時の法主・日達師が次の条件を挙げて許可を下した。

(1)折伏した人は信徒として末寺に所属させること。
(2)当山(日蓮正宗総本山)の教義を守ること
(3)三宝(さんぼう=仏法僧)を守ること。

 この条件を守るという前提で、宗教法人創価学会が生まれたのである。
ところが、池田大作はいわゆる52年路線によって、日蓮正宗を創価学会の下部組織に置こうとし、日顕師によって破門を受けた。
 もとより、創価学会には日蓮正宗を離れた教義も本尊も無い上に、上記の約束の上で許可を得た宗教法人である。従って、創価学会は、一度宗教法人として解散し、新たに教義と本尊を立てて宗教法人化するのが本来の筋である。
 現在の宗教法人創価学会は、成立時の事情に照らして見れば、インチキ宗教法人といわざるをえない。


2、本尊問題

創価学会が公称1000万人、実際は400万人の日本最大級の信者を獲得したのは、日蓮正宗の本尊=弘安二年の大曼荼羅(板曼荼羅)こそが、日蓮出世の本懐であり、これに祈れば癌も治り、貧乏人も大金持ちになる、まさしく「幸福製造機である」(戸田城聖)と宣伝してまわったからだ。
 創価学会員の信仰生活の基盤とは、この板曼荼羅を元にして代々の法主が書写した個人授与の曼荼羅に向かい、題目を唱えながら自分の願望を祈念して実現する、という点にかかっている。徹底的な現世利益の追求と、祈祷にその本質があり、かなり密教的な性格を持つ宗教である。無宗教者や他宗派の人間には想像しがたいかもしれないが、この曼荼羅を粗末にすると罰が当たると教えられ、自分の命よりも大事にする、というのが信者の心得である。
 ところが、現在宗門から破門を受けた創価学会にはこの板曼荼羅のコピー本尊がもらえない。そこで現在どうしているかというと、池田大作は、「火事にあえば燃えてしまう本尊などただのモノです」と発言した上で、(創価学会は日蓮正宗の代々の法主を罵倒しているにも関わらず)、江戸時代の日蓮正宗の法主・日寛師の書写した本尊を一部改竄した上で、ビニールに印刷して会員に配っているのである。
 本来本尊書写は時の法主にしか許されない行為であり、ただ紙に文字を書くのと違い、一つ一つの本尊には魂を入れる入魂の祈祷がされる。それを省略したビニールを拝んでも何の功徳もないことぐらいは誰にでも分かるはずだ。まともな信仰をしていた学会員の多くは、この偽本尊の配布の時点で脱会している。現在残っているのは、教義も本尊観も理解できない、かなり程度の低い人々ばかりである。

ところで、弘安二年の板曼荼羅だが、これは日蓮研究者の間では「偽物」と評価が定まっている。この本尊について言及された文献が最初に登場するのは江戸時代。また筆跡鑑定の上からも偽者と断定されている。
 従って、現在創価学会員が拝んでいる本尊というのは「偽物を元にコピーした本尊をさらに偽造した上に、入魂式も済ませないで機械印刷したただのビニール」ということになる。
 こんなものを拝んで功徳があるのなら、漫画家が描いた日蓮の似顔絵を拝んでも功徳があることになるだろう。馬鹿げた行為である。創価学会の教義上の最大の弱点は、このビニール本尊の無意味さに集約されているといってよい。


3、職業信者の存在

52年路線というのは、本来日蓮正宗の信徒団体であった創価学会が、日蓮正宗の僧侶が邪魔になり、この僧侶集団を自分達の下部組織にとりこもうとした陰謀であった。
 結局、池田大作の野望から生まれたものであり、池田がどんなにお金を集め、信者を増やし、カリスマになっても、宗門が存在する限り、彼は所詮「一信徒」の地位にとどまり、教義上の問題は法主に指導を受けざるをえず、また折角儲けたお金も布施という形で宗門に一部を渡さざるを得ないことへの反発だった。
 そこで池田大作は徐々に僧侶批判を進め、聖教新聞などを使って、「坊主は折伏もせずに贅沢三昧の生活をしている」とか「坊主は夜になるとカツラを被って酒を飲みに出ている」といった陰湿な噂を流し、創価学会員の心を僧侶から離反させるという陰謀を企てた。
 そして結局、日顕師から創価学会丸ごと破門、という形になり、現在創価学会には目の上のタンコブであった僧侶はいなくなった。
 その結果なにが残った方というと、皮肉なことに「お布施を出す貧乏信者」と「お布施で暮らす職業信者」に分裂したのである。なんのことはない、僧侶を追い出した代わりに、俗世の埃にまみれた在家のプロ信者が生まれただけである。
 このプロ信者は、学会職員、学会外郭企業の社員などで構成されている(本部職員三千人を始め公明党議員四千人弱、 聖教新聞店主、 大学・学園、 潮出版、 日本図書輸送、 信濃施
設管理、 東西哲学書院、 富士白蓮社、 報恩社、 シナノ企画 など)。400万人の創価学会員のお布施で飯を食っている数万人のプロの信者がいるわけだ。400万人の創価学会員は、愚かは愚かなりに、一応の信仰心は持っているが、プロの信者は性質が悪い。あるいは池田大作を軽蔑し、また板曼荼羅が偽物であることも知りながら、自分の生活のために400万人の信者を騙し続けているといってよい。
 こんなことになるなら、少なくとも「出家」という形態をとった僧侶を、在家がお布施で支えるというノーマルな関係のままであったほうが、どれだけ良かったか分からない。
 同じ信者でありながら、宗教で飯を食う、という変態的な存在の誕生。これは信仰の本義に照らしても邪義邪道の存在と断定して良い。


4、暴力団との癒着と犯罪行為

創価学会が広域暴力団山口組系後藤組と連携関係にあるのは周知の事実である。
 事の発端は、創価学会が富士宮市に霊園を造ろうとしたとき、住民の間で反対運動が起こり、また市議会もこれを問題として百条委員会を設置した。それを打ち破るために創価学会は後藤組に依頼して、建設反対派のリーダーの腕を日本刀で切り落とし(被害者は後に死亡)、百条委員会も市議を恫喝することで潰してしまった。この経緯は、後藤組組長本人が創価学会と当時の公明党委員長竹入氏あてに出した「内容証明」(脅迫状)が残っているから、全ては事実である。

 さらに、有名な東村山市市議の朝木明代謀殺事件がある。
これは創価学会の牙城として知られ、公明党が強い東村山市で、創価・公明党批判を続ける朝木市議が突然マンションから転落して死亡した事件で、マスコミも大々的に報道した。
 創価学会は「万引きを苦にしての自殺」と盛んに報道したが、万引きをしたと主張する洋服店の経営者は創価学会員であった。
 さらに、朝木市議の遺族は、これを殺人事件として捜査を依頼したが、それに協力した検察の二名がまたもや創価学会員であり、遺族は敵に応援を依頼する、というやり切れない陰謀に巻き込まれてしまったのである。
 この検察の陰謀で死体の司法解剖所見は昨年まで未公開だったが、今は明らかになっている。それによると、「両方の二の腕に強く掴まれたときに出来る青あざがあった」ことが示され、これにより、自殺説は完全に否定され、殺人説が確定したのだが、驚くべきことに、この事実を日本のマスコミは全く取り上げないばかりか、東村山警察署が殺人対策本部を置いているという話も聞かない。まさに闇から闇に葬り去られようとしている事件である。

さらに、故伊丹十三映画監督の自殺も創価学会による暗殺ではなかったかという噂も根強い。
 伊丹監督は「ミンボーの女」で組織暴力団を批判したが、その伊丹監督の顔をカッターナイフで切りつけたのが、創価学会と癒着関係にある後藤組の組員であった。
 伊丹監督は「愛人がいた」というスクープ記事が出るのを恐れ、「ワープロ」に、死んで身の潔白を証明する、と書いて、ビルの屋上から自殺した、とされている。
 ところが、信頼できる筋からの情報によると、伊丹監督の次回作は創価学会の不正を暴く作品だったという。ウィキペディア百科事典すら次のように書いているほどだ。

 1997年12月20日、写真週刊誌「フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して「死を以って潔白を証明する」との遺書を残し、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げた。しかしながら、他殺とされる見解も非常に多い。それは不倫疑惑について週刊誌の記者からインタビューを受けた際に「妻に聞いてみればいいよ」と笑いながら、全く意にも関せず「いつものことだから」のように軽口を叩いていた伊丹が突然それを「死を以って証明する」と自殺するのはあまりにも不自然すぎるからであった。さらに、次回作の題材となる宗教団体の信徒に殺されたという陰謀論もある。その信徒が深夜、件のマンションに乗り込み、伊丹の手足を縛った上アルコールを無理やり飲ませ(静脈注射との説もある)、泥酔したところを屋上から突き落としたというものだ。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%B9%E5%8D%81%E4%B8%89)

 朝木市議もビルからの転落死、伊丹監督もビルからの転落死。ついでに言えば、日蓮正宗を街宣車などで攻撃していた右翼団体の代表も後日、ビルからの転落で怪死している。

 この法治国家日本で、しかも政権与党・公明党の支持基盤=創価学会が犯罪に関わったと推理される殺人事件が幾つもあり、しかもマスコミが報道しない。我々は、このような隠れたテロリズムの闇の中に暮らしているのである。


5、ヌエのような政党・公明党

創価学会は最初は政党は作らない、と発言していた。ところが、公明党を作って参議院に議員を送った。そもそも公明党という名前は当時よく使われていた用語「公明選挙」(金のやり取りをしない公明正大な選挙)からのパクリであった。参議院に議員を送った後もしばらくは池田は「衆議院には出馬させない」と明言していた。しかし、その舌の根の乾かないうちに衆議院にも出馬した。
 公明党の党是の中心は当初は「王仏冥合」であり、その中心には日蓮正宗の国教化という意図が隠れていた。しかし、国民政党になり、その思想が政教分離の精神に反することから、国教化(国立戒壇の設立)を党是から消してしまった。(このことを批判しているのが「顕正会」である)。日蓮は天皇を折伏することで法華経を国教化しようと願っていたが、創価学会は「現在は民主主義の世の中なので、日本の人口の3割を折伏した時点で広宣流布は達成する」、という解釈をしている。
 最初、公明党は「反自民」を標榜する庶民政党で、平和主義を掲げて自衛隊にも反対していた。
ところが、故・藤原弘達の著書「創価学会を斬る」の出版妨害問題を起こしたときにマスコミから集中砲火的バッシングを受ける。このとき、創価学会がこの本の出版もみ消しのキーマンとして接触したのが田中角栄である。これを境に、公明党は自民党に擦り寄るようになる。
 現在公明党は、反自民どころか、自公連立政権を作っている。反自衛隊どころか、イラク出兵には先頭を切って賛成した。党是が180度転換している、ヌエのような政党である。
 公明党の議員、役員の人事権は全て池田大作が握っているとされている。公明党が初めて大臣を出したとき、マスコミに情報が漏れる前に、池田大作が講演で「公明党からも、もうすぐデエジンが生まれます。皆さんの子分です」といった発言をしたことからもそれが分かる。
 創価学会が公明党を応援するに際しては、集団での住民票移動や、F作戦と呼ばれる(Fとはフレンドの意)しつこい友人勧誘、戸別訪問など、よく知られているが、意外に創価学会で公明党批判をする、という人は多い。
 これは、池田大作の権謀術数の一つであり、池田は時々公明党の大幹部を呼びつけて、「誰のお陰で議員になっているのか。この恩知らず」などと罵倒し、一方創価学会の会員に向かっては「議員は学会員の下僕ですから、自由にこきつかいなさい」といった指導をしているのである。それを真似て会員もしばしば公明党批判を繰り返している。公明党がどんなに権力を持っても、創価学会には頭が上がらないようにする戦略の一つなのである。
 公明党は当初は庶民政党ということで弱者に配慮する政策を掲げていたが、現在は自民党の政策にほとんど逆らうことなく、増税や、今年成立した障害者自立支援法の改悪などに手を染めている。また詳細は下に書くが、在日外国人への地方参政権付与(実質的には在日朝鮮人への優遇処置)や、愛国心教育への反対など、「反国家的」な政策に根強く執着していることでも知られる。


6、池田大作の人物像

池田大作は東京都大田区の朝鮮人部落に生まれた。ネット新聞の「国民新聞」によれば、池田の両親は日本に帰化した朝鮮人とされ、あれほど訴訟が大好きで「訴訟テロリズム」と呼ばれる創価学会がこの問題については沈黙を守っていることを見ても、池田大作は朝鮮人、と断定していいだろう。これほど日本社会に影響力を持つ公人が朝鮮人であるということは大問題である。
 事実、聖教新聞は「日韓」と表記せず、「韓日」と記している。また、日本は中国や韓国に永久に謝罪すべきだ、といった極端な被虐史観を主張している。公明党がしきりに在日朝鮮人の地方参政権付与を主張しているのも、朝鮮人池田大作へのオベッカといえよう。創価学会副会長は数百人いるが、その3分の2が在日朝鮮人だという統計もある。こうしてみると、創価学会は統一教会と同様、朝鮮系新興宗教の枠に入れることが出来る。(ちなみにオウム真理教の教祖麻原も父親は朝鮮人である)
 池田の次のような歴史的事実を無視した朝鮮絶賛=日本罵倒を見ても彼が朝鮮人というのは動かない事実であろう。
「韓国の「情」は厚く、深い。5千年の間、苦難の歴史を耐えて乗りこえ、しかも情け深さをなくさなかった人達である。 憎しみを人に向けるよりも、悲しみを雪のように胸の奥に積も
らせながら、明日を信じて微笑んできた人々である。 愛の国、美の国、文の国。 その平和の人々が、「何十世代の後までも忘れぬ」と、怒りを骨に刻んだ相手が、日本の残虐な国家主義者であった。行く先々での略奪。暴行。殺戮。「禽獣にも劣る」、文化なき「悪鬼」と呼ばれた。」
 言うまでもなく朝鮮の歴史が5千年というのは史実の裏づけのない朝鮮人特有の妄想であるし、日韓併合は国際法に基づき、朝鮮政府の要請に基づいて結ばれてものであって、併合に際して日本は一人の朝鮮人も殺していない。池田の歴史観は、朝鮮政府の洗脳歴史観と全く同じレベルである。

 池田は前創価学会会長の戸田城聖の元で、高利貸し会社「大蔵商事」の営業部長として辣腕を振るった。病気で寝ている人間を叩き起こして布団まで持って帰ったというエピソードが残っている。
 戸田会長の後継者は、理論家で学究肌の石田次男であった、というのが定説だが、戸田亡き後、池田はさまざまな謀略を使って第三代会長となった。それをまるで生前から戸田氏が池田氏を特別視していたかのように嘘八百を並べて作ったフィクションが「人間革命」である。ちなみにこの小説は池田大作著、となっているがゴーストライターが他におり、「池田代作」と揶揄されることがしばしばある。

池田の仏教理解はきわめて低く、その哲学は証券会社の営業マンの処世術の域を出ない。聖教新聞を読むと、「仏法は勝負だ」「勝って勝って勝ちまくれ」といった勝負論が中心だが、これは「我執を取り去れ」(釈迦の基本思想)、「自分のことより先に、他人を幸せにせよ」(大乗仏教における菩薩道の基本思想)という仏教の理念からは程遠い。というか、真逆である。

池田は昭和50年前後、自分の弟子・福島源次郎を使って「池田大作本仏論」を流行らせた。これは日蓮の生まれ変わりが池田大作である、という思想であり、この当時、愚かな創価学会員たちは、仏壇の曼荼羅の横に池田大作の写真を立て、池田大作に向かって祈っていたものだ。
 当時口コミで「池田先生が車に乗ると赤信号で止まることが無い」という幼稚なものから、日蓮ゆかりの場所に池田が訪れたときに巨大な杉の老木を撫ぜながら、「あれから大きく育ったのう」と呟かれた、などとというエピソードが全国に伝わったものだ。ちなみにその杉の木は樹齢600年だったというから、日蓮在世の時期に生えたものではない。傑作な話である。

池田の品性を顕著に物語るものに「キンマンコ」発言というのがある。これは沖縄の糸満市に創価学会の会館が出来たときに、以下のように池田がスピーチしたことに由来する。
「んもー、イトマン平和会館なんて、名前変えた方がいいんじゃないか、うまく、ダメか、ウーマンぽい、ウーマンぽい、イトマンなんてウーマンぽい、ダメか、ダメか、もっといいねー、もっといいその、キンマン、イトマン、キンマンコだよ」

この程度の人物なのである。その知性のレベルは押して知るべしだろう。
 かれの学歴は短期大学の中でも最底辺のレベルにある富士短期大学中退である。創価学会会長になってから、どういう裏の手を使ったのか「卒業」の形式をとった。よほどこだわりがあったことが分かる。彼は松下幸之助やらトインビーやらの有名人と対談集を多数出しているが、実際の会談内容は「茶飲み話」程度で、本の内容の大半は側近のインテリが勝手に「創作」したものだと言われている。

インチキ宗教の教祖がしばしば女性問題を起こしているように、池田にもその類の醜聞は多い。よく知られているのは「月刊ペン事件」と「信平レイプ訴訟」である。
 「月刊ペン事件」は「月刊ペン」の編集長が、池田が婦人部の複数の大幹部と性的不倫関係にあることを暴いたものだった。創価学会は名誉毀損で告訴したが、告訴するその裏で笹川良一氏、腸平氏父子に頼んで、「月刊ペ ン」社とそ
の弁護人の懐柔工作を行い、二千万円を相手側に支払ってもみ消そうとした。結局この裁判は月刊ペン側が30万の形式的な罰金を払っただけで終わり(編集長はそれも不服として控訴したが死亡のために審議が打ち切られた)、池田の淫らな女性関係の真実性を証明する結果に終わった。
 「信平レイプ訴訟」とは池田が側近の女性幹部の信平信子さんを数回にわたって強姦したとして、信平夫婦が起こした裁判である。この裁判は全く異例なこととに、事実審理もなく、池田の証人出廷もなく、「時効」と「訴権の乱用」という信じられない解釈で信平さん側が敗訴した。創価学会は「総体革命」を旗印に、司法、行政、立法、、経済界などに会員を送り込んで裏のネットワークを構築している。この「信平訴訟」はレイプ事件としては異例中の異例の判決であり、司法が創価学会に取り込まれていることを如実に示すものであろう。

ここ数年の聖教新聞の一面は、池田が世界中から名誉市民や名誉博士などの栄誉を受けた記事で占められている。おそらく数百から千を超える名誉○○をもらっていることだろう。言うまでもなくこれらは金で買った名誉であり、そのことは韓国の忠清大学のチョン・ジョンテク学長が「私は(創価大学から)名誉博士号を受けたし、わが校を助けてくれたんだ。図書資金を5000(万ウォン=約500万円)出してくれて、発展基金に2億出してくれて、また文化祭で3億ウォン出してくれて、だから、、、、、」 と証言したことでも明らかであ
る。
 日蓮は「名聞名利にとらわれること無かれ」(世間的な名誉を欲しがってならない)と述べている。池田の行動は日蓮の弟子とはいえない、実に愚かな俗世権力への擦りよりである。
 彼がもらう栄誉の大半は南米やアジアなど発展途上国のものばかりで、また大学も無名大学ばかりである。一方、日本の大学で池田に名誉博士などを与えたところは一校も無い。このことがよほど悔しいらしく、聖教新聞には「島国日本」「嫉妬日本」といった売国奴的記述が多く見られる。また、そういう池田の心情を推し量って、会員は国からの勲章をもらってはならない、という不文律ができているという。それに反して竹入公明党元委員長が勲一等旭日大綬章をもらったことに嫉妬し、聖教新聞では、再三にわたって竹入氏の個人攻撃(罵詈雑言と言える下劣なもの)を行っている。

尚、創価学会は病気になったり事故にあったりした人に「それは信心が足りないためだ」と言い、特に他宗の関係者が癌などで死亡すると「罰が当たった」と罵り喜ぶのが習性になっている。この「罰論」に照らして池田大作自身の家族を見るとどうなるだろう。次期創価学会会長になると見られていた次男は29歳という若さで胃に穴が開いて死亡した。さらに長男の子供(池田にとっての孫)は身体障害者で、世間にそれが知られるのを恐れ妻の実家で隠して育てられているという(「日蓮宗新聞」)。この事実を創価学会員はどう思うだろうか。「仏罰」やら「現証」を信じるのであれば、仏は池田大作にこそ罰を与えていることになる。本人に直接罰が当たらず、周囲からじわじわと真綿で首を絞めるように現れる罰を「冥罰」というが、まさに池田自身は冥罰に当ったっていることになる。他宗の不幸に対する罵倒が、まさに自分に跳ね帰っているのである。罰論に従えば、池田大作こそ信心が足りない、ということになるのだが、創価学会員はこの「現証」をどう解釈するのだろうか?

田中角栄は池田を評して「法華経を唱えるヒトラー」といい、石原慎太郎は「俗物中の俗物」と喝破した。
 最後になぜこのような品性下劣な人間が巨大宗教のトップに立っているのかを検証したい。テリー伊藤は「お笑い創価学会」の中で池田大作ホスト説を述べている。家庭に不満のあるオバサン信者達にとって池田はフェロモンを発するホストだというのだ。この説は、池田が割合ハンサムだった青年時代には通じるが現在のブタのように肥え太った池田には当てはまらないと私は思う。
 私は、この程度の人物にカリスマ性を感じる日本人がいるのは、日本人の中に「父親の不在」があり、理想の父親像を池田に見出しているのだろうと思う。
 父親が人格者であった場合や、逆に父親がダメ人間で父に対する批判力が培われている人間には、自分の心の中に理想の体現者として、また道徳的亀鑑としての父親のイメージが定着する。この場合は、一瞬にして池田の俗物性を見破るので騙されることは無い。心の中に父親のイメージを持たない人間にとっては、この世は不安だらけで、行動の規範がもてない。そういうところに、世界中から名誉勲章を受けている池田大作という人物が現れると、批判力が無いだけに、簡単に尊敬してしまうのだろう。
 また、創価学会の宗教観は、上に書いたように、徹底的な現世利欲で、また祈祷宗教であることも大いに関係している。金が欲しい、元気になりたい、名誉がほしい、という人間にとって、祈れば適う「幸福製造機」という存在は実にありがたいものだろう。但し、前にも述べたようにこれは釈迦の思想とも、大乗仏教の思想とも何の関係もないものである。

今日は朝早く起きたので、私の創価学会批判を書いてみた。この文を読んで一人でも多くの人が創価学会について正しい認識を持ち、一人でも多くの学会員が事実に気づいて脱会して欲しいものだ。
  (現在、フランス、オーストリア、ベルギー、チリの4カ国が、創価学会をカルト指定している)
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by sakura4987 | 2008-01-14 17:05

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