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北朝鮮による日本人拉致事件を最初にもみ消したのは誰か 2008/01/08


http://www.news.janjan.jp/government/0801/0801068500/1.php
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 私がほぼ毎日読むブログの一つに、元レバノン大使で小泉純一郎の自衛隊イラク派遣に反対して、事実上外務省を罷免された天木直人さんの「天木直人のブログ」があります。

 1月4日付け記事に【「声なき声に応えたい」と年頭に誓う読売新聞社会部長】という題の、大変面白い内容が書かれておりましたので、少し長いですが以下に引用させていただきます。


◇ ◇ ◇

「声なき声に応えたい」と年頭に誓う読売新聞社会部長

 「国家的犯罪から身の回りの病理現象まで……記者の一人ひとりが追及すべき悪の対象を胸に秘め、取材している。あとはいま書ける事を書き切るだけだ。過去の苦い悔いを繰り返さないように……声なき声の代弁者でいたい……」

 これは年頭にあたって読売新聞社会部長の中井一平という記者が1月4日の読売新聞朝刊に寄せている誓いである。その言やよし。読売新聞の記者は本当にそれを実行してくれるだろうか。この1年の読売新聞の記事を私は注視して行きたい。中井社会部長がこのような決意を書いた理由は、氏がかつて駆け出しの頃、横田めぐみさん拉致事件に関して、「国策も絡むのなら記事にできないか」と独り合点して取材のほこを収めたからだ。筆を折ったからだ。

 その時の経緯を今思い返して、中井部長は次のように書いている。
 
 ……77年11月、当時中学1年生の横田めぐみさんが下校途中、北朝鮮工作員に拉致されたとされる自宅近くの道を、(海鳴りの)音に向かって進む。松林を抜け、荒波が打ち寄せる日本海が目に入った時、かぶさるように、ある光景が思い浮かんだ。85年の秋口、東京都内の警視庁公安部の刑事宅。深夜、帰ってきた顔なじみの刑事が、玄関先で沈んだ声で言った。「急に、『もういい』となった。何なんだろう」門灯の薄明かりにも、さえない表情はうかがえた……「上の方」から捜査にストップがかかったという。「政治的な思惑らしい。でも日本人が無理やり、連れていかれているんだよ」。刑事はいつしか涙声になっていた。そのころ大物政治家が日朝の関係改善に動いていた……。
 
 こう書いたあと、中井部長の前掲の言葉が続く。

 「国策が絡むのなら記事にできないか」。真偽は確かめられないまま独り合点して取材のほこを収めた」そして、中井部長は次のように更に続ける。「あのとき書いて世に訴えていれば」「いや、それでどうなったか」。悔いと言い訳が胸中で交錯した。年を重ねるごとに膨らむのは悔いの方だ……ならば中井部長にお願いをしたい。今からでも遅くない。たかだか20年ほど前の話だ。あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察庁や外務省の官僚たちは誰か。


◇ ◇ ◇
(引用終わり)

 天木直人さんは、「日朝の関係改善に動いた大物政治家」の名前を知らないはずはありません。名前を出すと、その影響と反感が大きいので敢えて書かなかったのかと推測されます。この大物の政治家は、当時自民党幹事長の「金丸信(1914年9月17日‐1996年3月28日)」と日本社会党副委員長の「田邊誠(1922年2月25日 生まれ現在85歳)」だと私は思います。

 その当時の「金丸信」と「田邊誠」の行動を「Wikipedia」で調べると、以下のようになっています。

●「金丸信」に関する「Wikipedia」の記述の一部。

*1990年、日本社会党の伝手を頼り田辺誠らと訪朝団を編成。団長として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問する。金丸と金日成主席が、日本語を用いて差しで対談を行う。しかしやり取りが文書として残っていないため、一体何を話したのかが謎となっている。

 この空白の数時間の間に取り決められたといわれる約束が、日朝の交渉においてしばしば「金丸さんが金日成主席と約束した」という形で北朝鮮側から持ち出されることがある。このとき自民党の代表として国交正常化や統治時代の補償とともに『南北朝鮮分断後45年間についての補償』という約束を自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交した。

*(後に、金丸の脱税捜査の際に発見されたとされる無刻印の金の延べ棒数億円分はこの時北朝鮮から貰ったのではないかとする噂が流布された。また、この延べ棒と同じ溶鉱炉で製造されたとされる延べ棒がオウム真理教の施設から発見されている)
      
*拉致疑惑についても何の進展もなされなかった事もあり、この約束は帰国後「土下座外交」と批判を浴び、自民党の承認を得られず反故とされる。

(引用終り)

●「田邊誠」に関する「Wikipedia」の記述の一部

*1977年12月、飛鳥田一雄委員長の下で国会対策委員長に就任。国対委員長時代には、自民党の金丸信国対委員長とのパイプを築いた。金丸との盟友関係は金丸の死去まで続き、互いに「マムシとナマズ」と呼び合うほどだった。

*1989年自民党が惨敗した7月参院選で社会党が躍進後に副委員長に就任。

*1990年金丸信(自民党元幹事長)と共に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問し金日成国家主席・朝鮮労働党総書記と会談した。

(引用終り)

 読売新聞の中井社会部長が、駆け出しの社会部記者として警視庁公安部の刑事宅を夜回りした際、「上の方」から捜査にストップがかかったことを聞かされ、「国策が絡むのなら記事にできないか」と勝手に思い込み、「横田めぐみさん拉致事件」の真相追及を止めたのが1985年でした。

 当時は、日本社会党が唯一北朝鮮と交流があったわけで、金丸信は、盟友であった日本社会党副委員長の田邊誠を対北朝鮮の窓口にして、1990年に実現する「北朝鮮訪問」の準備をしていた時期にちょうど重なります。

 当時の日本社会党委員長は、土井たか子(1928年11月30日-現在79歳)でした。田邊誠はその後日本社会党委員長(1991-1993年)についています。

 民主党の小沢一郎は、当時金丸信の一番弟子で秘蔵っ子であり、「訪朝団」の一員として訪朝しています。(1990年 金丸訪朝団の一員として北朝鮮を訪問する=Wikipedia)
 もしも、1985年段階で、「横田めぐみさん拉致事件」の捜査が「政治的な思惑」で打ち切られる事なく、マスコミの追求も止めないでいて、「拉致事件の真犯人は北朝鮮工作員」であることがその時点で公表されていたならば、その後の展開は全然違った方向になっていただろうと推測されます。日本全国で警戒態勢と監視体制がとられたであろうから、その後の拉致事件は防げたのではないでしょうか?

 また、「北朝鮮による日本人拉致事件」が、小泉純一郎や安倍晋三など「国策で捜査をストップさせた」当事者の自民党の政治家達に、自分達の人気取りに利用されつづけてきた「拉致被害者とご家族」の運命もまた違っていたのかと思われます。

 ブログの最後に、天木直人さんは、次のように書いています。

 「ならば中井部長にお願いをしたい。今からでも遅くない。たかだか20年ほど前の話だ。あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察庁や外務省の官僚たちは誰か」

 金丸信は1996年に死亡していますが、田邊誠は85歳で今でも存命しています。土井たか子は79歳で現役で活躍しています。小沢一郎は民主党代表で現役です。少なくとも上記3人の政治家には、天木さんの読売新聞中井部長への質問と全く同じ質問をしたいと思います。「あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察庁や外務省の官僚たちは誰か」

 彼ら3人の政治家は、当事者として国民に真実を述べる義務があります。特に田邊誠は、金丸信と「マムシとナマズ」と呼び合うほど親しく、1990年の「金丸訪朝」の準備と訪朝を企画・実行した中心人物です。すべを語って欲しいものです。

(山崎康彦)
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by sakura4987 | 2008-01-14 17:13

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