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◆【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 「建国の精神」に立ち返ろう



 (産経 08/2/8)


 ■日本本来の高貴さ取り戻すために


 ≪■7世紀末に「国のかたち」≫

 今、行われているアメリカ大統領選の予備選挙において、候補者たちが演説でワシントンやリンカーンなど「建国の父たち」に言及しているのを耳にすることがある。アメリカ人にとって「建国の精神」を確認するのが4年に1度の大統領選ということらしいが、国を挙げて「建国の精神」に立ち返る姿はうらやましくもある。

 どこの国もそうだが、「建国の精神」は何よりも重視されるものだ。自分たちの父祖はこのような理想の下に国を作り上げたのだ、ということを折に触れて確認し、また、そこに立ち返り、「建国の精神」の発展・延長の上に今日があるのだと納得するという具合だ。

 間もなく今年も2月11日の「建国記念の日」を迎えるが、わが国の場合の「建国の精神」とは何だろうか。『古事記』『日本書紀』の伝えるところによれば、神武天皇が橿原宮で即位されたことをもってわが国の建国とするが、独立宣言によってアメリカの「国のかたち」が確立したということができないのと同じように、日本の場合も神武天皇のご即位で完全に「国のかたち」が固まったとは言い難い。

 最近の研究によれば、対外的な危機を経て国家としての自立を示すために生み出された「日本」という国号や「天皇」という君主号が固まった天武天皇・持統天皇の時代、すなわち7世紀の終わり辺りに日本の「国のかたち」がようやく固まったと見るようだ。

 ≪■「公共の精神」という概念≫

 では、そこで固まった「国のかたち」、言い換えれば「建国の精神」とは何だろうか。

 本居宣長が発見し、明治の帝国憲法を起草した井上毅が再発見した『古事記』の「出雲の国の国譲り」の神話に示される、天皇統治は個人や一族の利益のために行われるものではなく優れて公共性を帯びたものであることを明らかにした「しらす」という統治理念。

 世界を家族的情愛でもって統治しようという神武天皇の「八紘一宇」の理想。豪族の私的支配を戒め、天皇を中心に国がまとまることを示した聖徳太子の十七条憲法。豪族のみならず皇族の土地まで没収した大化の改新から始まる「公地公民」。またそこにおける「天皇」という無私の地位…。

 これらから浮かび上がってくるのは「公共の精神」という概念である。

 私は最近、他を思いやり、自己犠牲をもいとわないわが国の国民性は、この建国の時代に固まった「国のかたち」のなし得るものであるという感を強くしている。

 武士が自らの特権を放棄して行った明治維新はまさに彼らの自己犠牲、「公共の精神」を重んずる姿勢によってこそなし得たものであったし、「版籍奉還」「廃藩置県」は明治版の「公地公民」と考えれば分かりやすい。

 沖縄のみならず大東亜戦争の末期に各地で起こった集団自決という悲劇もその精神の一つの表れであったろう。例えば映画『氷雪の門』が描いた樺太・真岡の電話交換手の女性9人がソ連軍の侵攻に際して集団自決した事件も、彼女たちが内地に引き揚げろとの軍の命令を拒否してまで職務を最後までまっとうしようという強い責任感の持ち主であったがゆえの悲劇だった。特攻隊の若者たちの気持ちも同じところにあっただろう。

 ≪■自己犠牲をいとわない姿≫

 名越眞之氏の近著『品格ある日本人』(PHP研究所)に紹介されているものだが、昭和21年、食料が尽き、栄養失調になりながらもはうようにして屋久島永田岬の灯台の火を灯し続けた高橋義守さんという灯台守や、1992年、スペイン・バルセロナオリンピックのマラソンレースで後続のランナーがつまずかないようにと補給ドリンクの容器をわざわざ道からそれて脇に捨て、結果、8秒差で惜しくも銀メダルとなった有森裕子選手などなど、戦後においても他を思いやり、自己犠牲をいとわない日本人の姿はあちこちに見いだされる。

 私たちが普段、意識せず行っている思考や行動、ここに私たちの国の建国以来の「国のかたち」が投影されているとは意外なことかもしれない。しかし、わが国の歴史を振り返ってみたとき、一貫して「公共の精神」を重んずる日本人の姿が浮かび上がってくるのだ。

 私たちは知らず知らずのうちに「公共の精神」を重んずるという「建国の精神」を今も生きている。そのことを「建国記念の日」に当たって自覚することは「溶け行く日本」を再生させ、本来の「高貴な日本」に戻るためにも必要なことだと思われるのだ。
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by sakura4987 | 2008-02-16 11:47

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