★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆しらかば帳:特別編・北京五輪聖火リレー 「市民不在」喜べぬ記憶 /長野



 (毎日 2008/4/27)

 http://mainichi.jp/area/nagano/news/20080427ddlk20070063000c.html


 98年長野五輪から10年が過ぎ、再び聖火リレーがナガノの地を駆け抜けました。残念なことに混乱が相次ぎ、「市民不在」の印象もぬぐえませんでした。今日は記者ミニコラム「しらかば帳」特集をお届けします。県内14人の記者がリレーを通して私たちの「長野」を考えてみました。

 ◇「平和への発信できた」--鷲沢正一・長野市長

 長野市の鷲沢正一市長は26日、聖火リレーの終了後、「一つの責任は果たした。2度目の聖火を迎えたことは良かった」と評した。

 厳戒警備で市民が楽しめなかったとの指摘には「もっと隔離されるかと思ったが、意外に見えた。いろいろな人が意見表明をする場があり、平和への情報発信ができた」と語った。


 ◇出発式と同時刻、善光寺では法要--チベット弾圧、犠牲者を追悼

 善光寺では、中国チベット自治区などでの暴動犠牲者を追悼する法要が、聖火リレー出発・点火式に合わせて営まれた。

 チベットの旗の色である赤、青、黄を顔に塗った在日チベット人や僧侶、支援者ら約500人が参加。犠牲者とされるチベット人や中国人約70人の名前を読み上げながら、読経した。


 ◇「外の世界は見えなかった」--市民ランナーの声

 沿道に中国やチベットの旗がはためき、異例の厳戒態勢の中で無事終了した聖火リレー。市実行委関係者や市民ランナーらは複雑な胸中を語った。

 公募ランナーの佐藤政子さん(64)=長野市上松=は長野五輪に継ぐ2度目の聖火リレー。「無事に終わって良かったが、沿道にあいさつしようと思ったら、人が見えなかった」と残念がった。

 屋代高校1年の宮下智成君(15)=長野市松代=も「外の世界は何も見えなかった。できれば警察がいなかったほうがよかった」と話した。さらに「世界の関心を集めた長野の一員であると自覚して活動したい」と夢を語った。

 長野市南長池の主婦(70)は「赤い大きな旗が舞って中国人が沿道を埋め尽くすリレーは見たくない。チベット問題も対話をすればいいのに」とつぶやいた。【福田智沙、光田宗義】


 ◇スケルトン第一人者・越さん、チベット問題で一転「寂しさ残った」

 そりに乗り氷のスロープを頭から滑り降りる競技「スケルトン」の国内第一人者、越和宏さん(43)=長野市=は、地元ランナーとして最も早い6番目に走った。長野市の中央通り約300メートルの沿道は物々しく「平和の尊さ」をかみしめながらの走りだった。

 王滝村生まれ。10年前の長野五輪で、スケルトンは正式種目ではなく、ボブスレー競技でコースの前走をした。それでも大勢の人が声援を送ってくれたことは記憶に鮮明だ。その後、スポンサーを探しながら練習を続け、2回の冬季五輪に出場した。

 今回は状況が違う。中国政府によるチベット人権問題の存在だ。「気楽に走ろうと思っていた」リレーは一転した。

 警察官ら約100人に囲まれての走り。戸惑い、憂いが消えない。「スポーツの祭典なのに残ったのは寂しさです」【宍戸護】



 ■しらかばリレー

 ◇「調和の旅」かけはなれ

 「誰がどこを走るかを教えたって、沿道からどうせ見えないでしょ」。本番の2日前、市リレー実行委幹部を取材したら、耳を疑う言葉が返ってきた。聖火リレーのために組まれた予算は3000万円。式典会場から一般客を締め出し、走者79人がどこを走るのか明かさない。市民不在のリレー。税金で賄われているのに、聞いてあきれる。

 その後の会見でも「安全のため」を錦の御旗(みはた)に掲げ、公表しようという姿勢は最後まで見られなかった。「理解してもらいたい」の一言で片付けようという態度からは、「市民のために」という意思は、みじんも感じない。

 五輪は「平和の祭典」と言われるが、コースを見れば、機動隊だらけという異様さ。「調和の旅」という今回のテーマからかけ離れてしまったと思うのは私だけでないはずだ。混乱なくリレーは終わり、市実行委が待望する結果となった。運営スタッフ、ボランティア、締め出されて遠巻きに見た人たち。彼らの心にはどんな思いが残ったのだろうか。(智)


 ◇重すぎる「国のため」

 「お国のために健闘を祈る」と競技団体幹部のあいさつに続いて万歳が始まった。この光景に筆者はとても違和感を感じた。ある競技のシドニー五輪代表発表の場。「完走者すべてが勝者である」という精神が尊ばれ、自らの限界に挑戦するこの競技のイメージとは異質に感じた。

 筆者がこの席を訪れたのは、市民愛好者から選手に選ばれた女性アスリートを取材するため。組織や国のためではなく、「自分が好きだから続けてきた」と競技生活を振り返る彼女はすがすがしかった。平和の祭典に「お国のために」はとても重すぎるのでは。(隆)


 ◇笑顔なし、10年の明暗

 10年か、と思う。長野五輪は本社取材団のサブデスクだった。観光客であふれ、原宿の竹下通りと化した中央通り。並んでも入れなかった権堂の飲み屋。あれはバブルそのものだったが、街のいたるところに歓迎の笑顔があった。

 再び聖火が来た。政治問題を連れて。街は制服警官の濃紺と中国国旗の赤で埋まり、沿道の店は混乱を避けてシャッターを閉めた。何のためのイベントか。どれだけの人が聖火を目の当たりにできただろう。「しらけた。楽しみにしてたけど、その気もうせた」と権堂の飲み屋のママは言う。笑顔があった10年前。あの時と今回の光景を重ね合わせた市民は、きっとだれもいない。(篤)


 ◇分断の風潮の犠牲者

 「チベットに自由を」と言えば取り囲まれる。トーチにともした火は消される。聖火リレーを巡る騒動には、目を覆いたくなる思いだった。

 翻って、世界と日本には、私たちを分断する言葉があふれる。ならず者、不満・分裂分子、格差社会、勝ち組・負け組…。聖火は、そうした風潮の犠牲者にも思える。

 チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世は「本当の意味での愛と慈悲は、決して怒りの心とともに起きてくることはありません」(サンマーク出版『思いやり』より)。北京五輪は、人間相互への信頼を思い起こさせる大会であってほしい。(宗)


 ◇市民の声を聞いて

 東京に住む読者から、聖火リレーについて「一言言わせて」と電話を受けた。「妨害は卑劣な行為。リレーの後、どこかの広場で『言論』として思い切り話し合えばいいんだよ」。声の主はチベット人権問題を巡る混乱ぶりに憤った。

 98年冬季五輪以来、久々に注目されるナガノ。が、異例の厳戒態勢に、当初の歓迎ムードは吹っ飛んだ。市実行委は「理解して」と言うばかりだが、納得できない人も多い。

 ここは冒頭のアイデアを拝借。市民向け報告会を開き声を聞いてみてはどうか。鬱屈(うっくつ)した空気は五輪にそぐわない。リレーに携わった人々の思いこそ、街づくりの財産になる。(雄)


 ◇五輪ブランド今も

 「五輪の長野へ行きたい」。初めて県内を訪れたのは五輪直後の98年3月。渋谷からの高速バスで飯山市内のスキー場へ降り立ち、「このあたりが会場だったのか」と妙に興奮したのを覚えています。

 五輪で多くの観光客を集めた県はその後の誘客では苦戦。県の調査によると、07年の観光客数は約9000万人。98年の約1億人から1割も減。スキー場は特に顕著で利用客が半減しました。五輪は忘れ去られてしまったのか。

 外国人観光客の急増が、開催地長野の魅力を証明しています。五輪からまだ10年。まだまだブランド力に頼ってもよいのではないでしょうか。(神)


 ◇祭典は何の象徴か

 長野市で着物店を営む荻原京子さん(65)には4人の孫がいる。一番下は4歳だ。

 店には今も98年の長野五輪当時の値札をすべて保管する。「某国王も来店した。浴衣も大人気。あの時は『ようこそ世界の人々』と大歓迎だった」と語り伝えているが、「再び五輪を感じられる機会なのに、この騒動はとても残念」と嘆く。長野五輪を知らない世代に「平和の祭典」は今、何の象徴として伝わるだろうか。

 「周囲が騒ぎ過ぎ」と言う荻原さんの意見に耳が痛かった。これから自分が未来に何を伝えられるか、考えたい。(英)


 ◇批判中国への恐れ?

 「日本人は世間を、欧米人は神を、中国人は歴史を気にする」。本社元北京特派員のこの一言を考えている。侵略を受け続けた貧困国が革命、改革開放を経て強大化した。五輪はその威厳を世界に示す場だと彼らは考えているという。恥さらしはできないし、させない。まして胡錦濤国家主席は元チベット自治区党委員会書記だ。

 世界史上、人口13億の国家などなかった。世界は中国を恐れている。

 チベット問題を糾弾する欧米の一部の批判は、実は恐れの反映と言えないか。そして世間体が大事とされた私。ぎくりとして、ひどく悔しい。(龍)


 ◇祝福されない聖火

 1991年6月、IOC総会で当時のサマランチ会長が「ナガーノ」と、98年冬季五輪開催地を宣言した紙面を、長野への愛郷と感激で編集していた。本番では、ジャンプ、女子モーグルなどメダルラッシュに興奮。連日、都内の駅頭に繰り出し、号外を配布していた。

 10年後の今、混乱を増殖する聖火リレーに困惑している。半日のデモンストレーションだが、危機管理に治安国家の威信がかかる。お義理の歓迎で駆け足リレー。「祝福されない聖火」で始まる北京五輪、何が起こっても不思議はない?(正)


 ◇市の広報に違和感

 「長野を再び世界にアピールできる」。そんな歓迎ムードは影をひそめた。相次ぐ抗議活動に、善光寺の出発地点返上。警備態勢や走者区間など概要も公表されず、市民からは「どうなっているのか」と声が聞こえた。

 対応に追われる市実行委員会の忙しさも分かるが、広報の姿勢には違和感を感じた。国内外から注目されているにもかかわらず、定期的な会見はなく、取材にも「検討中」と答えるのみ。状況が混とんとしていただけに、市民の不安をあおり、興味を失わせるだけだ。安全確保を強調して説明を拒んでも理解は得られない。(藤)


 ◇「無事」だけでいいか

 五大陸を巡る聖火の旅は終盤にさしかかっている。今回の旅は、波乱が多く、聖火の“心境”を忖度(そんたく)すれば「旅はもうこりごり」といったところか。

 ともかく無事に聖火を韓国へ送りたい。その県民、日本国民の気持ちの大きさを感じていた。確かに、暴力的なリレー妨害は論外だ。とはいえ、平和とはほど遠いチベットの人権問題を、世界に訴えようとする彼らの考えを、一顧だにしないのもいかがか。

 散り始めた桜が見送る長野リレー。平和と友好のメッセージが、この地で芽生えたと思いたい。(諒)


 ◇「災い」の炎では…

 「長野・国宝善光寺本堂に落書き」。東京であった友人の結婚式からの帰り道、ほっと一息ついた新幹線内で電光掲示板を流れたニュースに目を疑った。誰が何のためにやったかは分かっていない。

 しかし、すぐに頭に浮かんだのは「聖火リレー出発地返上」の件だ。平和の祭典を盛り上げるリレーだったはずだ。五輪とは関係なしに各自の思惑が暴走。警備態勢は物々しさを増すばかり。押し寄せる群衆を心配し、友人からは「圧死しないでね」。10年ぶりの炎が「災い」だったと語り継がれないことを願う。(池)


 ◇競技も楽しみたい

 10年前の長野五輪。開催が決定する前まで県内で取材し、自然保護に絡む問題などさまざまな動きを見聞きした。「五輪はいらない」という声もあった。開催時は県外にいて距離を置き眺めたが、ゲーム自体は日本勢の活躍もあって大きな盛り上がりを見せた。

 今また長野で揺れる聖火リレー。「平和の祭典」を誰もが願うが、五輪はいや応なく政治や時代に翻弄(ほんろう)される。チベットの問題は理解できる。だが、それを妨害活動でアピールするのは逆効果だろう。中国の動向を注視するが、アスリートたちのドラマは純粋に楽しみたい。(博)


 ◇「希望」の灯消えぬ

 98年2月7日、長野市立三本柳小の当時の児童会長・長坂理央さんから、最終走者で地雷のために義足となった英国人、クリス・ムーンさんに聖火が手渡された。長野オリンピックスタジアムに到着した聖火は煌々(こうこう)と揺れていた。

 あれから10年。同小を訪ねると、子供たちは地雷被害に遭った国々の学習会を続けていた。

 「私たちにできることをしていきたい」と力強く語る子供たちを見て、ひと安心した。あのときの聖火はまだ消えてはいない。

 混乱ばかりが目立った二度目のリレー。でも、残るのは希望だけであってほしい。(明)

毎日新聞 2008年4月27日 地方版
[PR]
by sakura4987 | 2008-04-29 13:02

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987