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◆沖縄戦「集団自決」から63年 真実の攻防 第3部<5>



 (世界日報 2008/6/21)


“牙”を抜かれた沖縄メディア/米軍、長期統治の悲劇


 昭和四十三(一九六八)年九月、昭和天皇と香淳皇后が稚内で「九人の乙女の碑」の前に立たれた時、既に「軍命」という記述はなかった。碑文が、わずか三、四年以内に削除・修正されたというのは異例なことだ。

 その理由として、二つの要因があったと思う。まず第一は、ソ連軍が火事場泥棒のように、乱暴狼藉(ろうぜき)を公然と働いた事実を多くの樺太の住民が目撃、体験していたことだ。もう一つは、日本本土は昭和二十七年に独立、言論の自由が回復されたこと。そのため、金子俊男著『樺太一九四五年夏』などの優れた戦時記録が誕生し、樺太での悲劇が、赤裸々に公表されたのである。

 一方、沖縄はどうであっただろうか。既に「真実の攻防」連載で言及したように、米軍は日本統治の在り方を入念に研究し、「内地人」と「沖縄人」の対立・離間工作、米国と日本の戦いを「軍国主義者」と「国民」の戦いにすり替えるWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)を立案。戦時中、一千万枚ともいわれる宣伝ビラをまいたのもその一環である。そして上陸直後は、真っ先に負傷した住民、兵士の治療に当たる救護チームを派遣して、日本軍が流した「鬼畜米英」のイメージを払拭(ふっしょく)させ、「日本軍に自分たちは騙(だま)されていた」と思わせる作戦を展開し、見事に功を奏した。

 占領政策で米軍が最も苦心したのは、表面上は言論の自由が保障されているかのように取り繕いながら、完璧(かんぺき)な「検閲で統制された言語空間」をつくり出すことだった。そのために新聞・ラジオなどは無論、高校の生徒新聞、子供の紙芝居に至るまで鋭い目を光らせ、都合の悪いものは「発行手続きが不備」などの理由で発行を停止させた。

 そのような時代に発行された沖縄タイムス編『鉄の暴風』(昭和二十五年発行、初版は朝日新聞社)に対して、沖縄戦集団自決訴訟を担当した大阪地裁の深見敏正裁判長は、高い評価を与えたが、これは「木を見て森を見ず」の分析と言わざるを得ない。

 承知のように、『鉄の暴風』は米軍のヒューマニズムを称賛し、日本軍への憎悪を記述のベースに置いている。その典型が、隊長の住民自決命令である。

 『鉄の暴風』は発行前に全文英訳して、その内容を米軍が精査した上で許可を出した。そこに、米軍への批判の一言半句も差し挟むことはできなかったのである。その当時の出版をめぐる興味深いエピソードをご紹介したい。

 一九四八(昭和二十三)年、アメリカでヘレン・ミアーズは『Mirror for Americans:JAPAN』を出版した。一九〇〇年生まれのヘレン・ミアーズは、一九二〇年から日米開戦前まで二度にわたって中国と日本を訪れ、東洋学を研究。戦争中はミシガン大学、ノースウエスタン大学などで日本専門家として講義。四六年、連合国軍総司令部(GHQ)の諮問機関「労働政策十一人委員会」のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。その年、翻訳家の原百代氏はヘレンから原著の寄贈を受け、日本での翻訳出版の許可も得た。原氏は、GHQに嘆願書を添えて、日本における翻訳出版の許可を求めたのである。

 だが、翻訳は許可されなかった。マッカーサーは翌年八月、ある知人に出した手紙の中で「本書はプロパガンダであり、公共の安全を脅かすものであって、占領国日本における同著の出版は、絶対に正当化しえない」「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない」と述べている。(伊藤延司訳『新版 アメリカの鏡・日本』、平成十七年、角川書店。前書き参照)

 マッカーサーの予言通り、本は占領が終了した後の昭和二十八年に出版された。本の中には、次のような記述がある。

 〈占領は博愛主義的行為からは、はるかに遠いものである。私たちは、日本国民が指導者たち同様拘束されている事実を直視しなければならない。日本の行政、産業、資源、労働を握っているのは、法律をつくり、ときには武力をつかってでも法を執行しようとするアメリカ人である。教育制度、宗教、葬式、婚姻の習慣、伝統芸能、礼儀作法からキスの仕方まで、日本の文明がアメリカの規制を受けている〉(『新版 アメリカの鏡・日本』より)

 厳しい検閲制度の中で誕生した沖縄タイムスは、米軍から“牙”を抜かれながらも、米軍から“栄養”を吸収して成長するしかなかった。戦後、二十七年にも及ぶ米国統治こそ、沖縄メディアにとって底知れぬ悲劇をはらんでいる。





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◆沖縄戦「集団自決」から63年 真実の攻防 第3部<6>

 (世界日報 2008/6/21)


戦前教育の罪悪視に反論/「欧米に倣った」と清瀬一郎

 アメリカのヘレン・ミアーズの著書は、占領下での翻訳出版を禁止されたが、日本でも当時、自ら執筆依頼を断った人物がいた。
 極東国際軍事裁判(東京裁判)の弁護団副団長であり、東条英機の主任弁護人を務めた清瀬一郎その人である。

 清瀬は昭和四十二年、読売新聞社から『秘録 東京裁判』を出しているが、実は東京裁判の被告のうち七人が死刑執行された後の二十三年十二月末にも、読売新聞社から、東京裁判の顛末(てんまつ)を書いてくれ、と要請された。だが彼は断固として断っている。読売の記者は粘って、では執筆しない訳を書いてくれと申し込み、「東京裁判のことを書かざるの記」というような題で一文を草した、という。要約すると――。

 連合国は言論の自由を標榜しているので、法廷では連合国の違法も、わが国の自衛権も、正々堂々、だれはばからず主張することができた。いかに耳ざわりでも、とにかく、これを許さねば道理が立たぬ。しかし、法廷以外では、その半分も主張が許されぬ。そのことは当時の占領政策の実際としてわかっている。現に毎日の法廷記事許可の限度でわかっている。いま、読売新聞の申し出により、私が正直に、良心的な記事を書けば、新聞の発行禁止は必然であり、なおその他の災害を伴うかも知れぬ。(中公文庫『秘録 東京裁判』参照)

 占領時代、信念と真実を言える時と場所をわきまえていた清瀬の気概と見識は見事なものである。

 清瀬は、連合国軍側の検察を相手に一歩も譲歩を見せなかった。

 さて今日、沖縄戦の悲劇の元凶を、左翼勢力は日本軍と、徹底した皇民化教育のせいである、と主張する。沖縄戦を語る証言者の中にも、日本軍を悪く言わずとも、当時の教育が集団自決の要因であったという見方をする人も少なくない。連合国軍が敗者の日本を裁いた東京裁判においても、検察は当時の日本の教育を悪者に仕立てようとした。検察側の主張はこうである。

 昭和三(一九二八)年一月一日以前、多年にわたって、日本軍部は日本の青年に軍国主義的精神を教え込むことを目的とするとともに、日本の将来の発展は征服戦争にかかるという極端な軍国主義的観念を培養せんとし、軍部はこれを日本の公立学校に実施したのである、と。そして検察は、これを共同謀議の存在する証拠の一つとして挙げたのである。

 清瀬は冒頭陳述でこの検察側の主張に対して「これほどわが国の教育に関する間違った見解はありませぬ」と、真っ向から反論している。そのくだりを下記に引用する。

 〈わが国の公立学校制度は一八七二年、すなわち明治五年、アメリカの組織に倣ってたてたものであります。国民道徳の大本はわが国古来の美風を経とし、支那の儒学を緯とし、これに配するに西洋道徳の枠をもってしたものであります。のち一八九〇年、明治二十三年に教育勅語が発布せられました。このうちに忠と孝と博愛と信義、公益、奉公等の徳目が定めてありまして、決して戦争奨励の趣意は含んでおりませぬ。日本人の崇拝の目標でありまする皇室のご本旨は、常に平和と、愛と、仁慈とであります。もっとも華美を排斥(はいせき)して、質実、剛健を奨励しましたが、これは戦争奨励とは異なったものであります。

 一九二九年以後においては、アメリカやスイスの例に倣いまして、学校内に軍事教練を施しましたが、これは青年の心身の鍛練と品性の改善のためであります。そしてこの措置は日本政府による軍事予算の削減から生じた欠陥を補うためでありまして、侵略思想の表現とみなすべきものではありません〉

 清瀬は、これが「わが国不動の教育方針」と指摘し、「いかなる文部大臣もこの不動の方針を動かすような力は持つことができませぬ。日本の将来は征服戦争にかかるなどの教えは、政府も軍も方針として教授したことは断じてないのであります」と明言するのだった。

 さらに清瀬は、「八紘一宇」とは、全世界人類が一家族中の兄弟姉妹と同一の心持ちをもって交際するという意味であり、「皇道」の本旨は、仁愛、公正、及び道徳的勇気であり、さらに礼儀と廉恥を重んじることであり、人間の尊重ということについて皇道とデモクラシーに本質的な差異はない、と述べるなど、検察側の主張に対して徹底的に反論するのであった。
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by sakura4987 | 2008-06-24 11:21

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